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夕学レポート

2017年04月24日

真のダイバーシティは「自由」にある 山田邦雄さん

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常識破りの三代目

「”売り家”と唐様で書く三代目」という有名な江戸川柳がある。今回の講師である山田邦雄・ロート製薬代表取締役会長兼CEOも、まさにその三代目だ。しかし山田会長は、江戸の大旦那の三代目とは全く違う。
なにしろ、この三代目は社長に就任して以降、新規事業や新たな人事政策への大幅シフトを推進、売上も規模も急成長させたというのだ。そして今やダイバーシティ先進企業としてビジネス界の耳目を集めている。
「”NEVER SAY NEVER”と常識破る三代目」なのだ。



山田会長の曾祖父の山田安民氏が、ロート製薬の前身である「信天堂山田安民薬房」を創業したのは1899年(明治32)。「胃活」という胃薬や「ロート目薬」を世に送り出し、一世を風靡した。1949年(昭和24)には山田安民氏の息子・山田輝郎氏が株式会社を設立、初代社長に就任する。名の知れわたっていたロート目薬にあやかり、社名はロート製薬とした。
初代社長は、当時の医薬品業界にはなかったマーケティング発想を持った人だった。新商品をラジオと新聞で大宣伝して大ヒットさせたり、新たに完成させた本社・工場の最新鋭設備を一般の見学者に広く公開したりした。今でいう産業観光の走りだ。
1960年(昭和35)からは、当時では珍しかった”テレビ番組の一社提供”を開始。番組冒頭に流れる「ロート、ロートロート♪」というジングルとともに社屋から鳩が飛び立つ映像で、その名を日本中に知らしめた。また胃腸薬「パンシロン」の宣伝ではテレビCMを積極的に展開。「パンシロンでパンパンパン!」というCMソングを老若男女が口ずさんだ。
目薬と胃薬を二枚看板に集中して宣伝を投下し、当時従業員数500名ほどに過ぎなかったロート製薬を、日本中で知らない人がいないほどに有名にした。
1978年(昭和53)に就任した二代目社長・山田安邦氏は、初代のような「集中主義」の商品戦略でマスマーケティングを仕掛ける手法とは違い、規制や国の壁を打ち破り、新たな分野の薬や新たな地域にチャレンジして行く経営手法を取った。
それまでは医家用しかなかった妊娠検査薬を市場で初めて一般用として発売しようとした際には、医師会の猛反対や販売中止の行政指導なども受けつつも、母体保護の観点から決して諦めることなく、執念で実現に漕ぎ着けたという。
1988年(昭和63)には、それまでライセンス提携をしていた米国メンソレータム社を買収して経営権を取得。当時の年商額の半分以上の買収額を投じる大英断で、海外進出への足掛かりを得た。平成に入るとアジア各地に現地法人や生産拠点を続々と設けて行く。
そして創業100周年を迎えた1999年(平成11)、三代目の山田邦雄社長が就任する。

「選択と集中」の逆を行く

山田邦雄氏が入社したのは1980年(昭和55)のこと。当時のロート製薬は大変な高収益企業で、利益率は20%近かった。会社設立以来の「集中主義」の賜物だ。ただ、売上も一定で伸びてはいなかった。そのうち利益率がどんどん下がり始め、山田邦雄氏が取締役に就いた2年後の1992年(平成4)には、史上最低の4%ほどにまで落ち込んだ。
それでなくとも一般用医薬品市場は昭和の終わり頃からどんどんと右肩下がりになっていた。従来の「集中主義」では、縮みゆく市場で生き残れない。医家向け中心の大手が「一般用は宣伝費だ」と言って非常に良い条件で店頭に卸している商品にも太刀打ちできない。
そこで山田社長が目をつけたのが化粧品だった。メンソレータムで塗り薬の生産には慣れていた。基礎化粧品を作るのであれば設備も大して変わらない。華やかなイメージの物をめざせば化粧品メーカーにはかなわないが、効き目で勝負する機能性化粧品なら勝ち目はあるのではないか。そう考えた山田社長は、2001年(平成13)、機能性化粧品「Obagi(オバジ)」を発売。一大ブームを巻きおこす。
初代である祖父が厳格に貫いた「集中主義」。幼い頃から祖父の影響を受けてきた孫の自分が、その主義を曲げて新規事業に打って出ようとすることに迷いもあった。社内では「うまくいくのか」と疑心暗鬼の声も上がった。しかし時代は変わったのだ。山田社長はあえて、経営戦略のセオリーである「選択と集中」を捨て、持ち前のチャレンジ精神で化粧品事業に漕ぎ出す決意をしたのだった。
強運の人である。こうして漕ぎ出した未知の海原に、いきなり追い風が吹き始める。ドラッグストアブームだ。化粧品に機能を求める時代となり、女性が化粧品を求めてドラッグストアに集まるようになった。
そこで山田社長は2004年(平成16)に、「肌ラボ®」というわずか1000円ほどで買えるシリーズを打ち出す。高機能な化粧品を手軽なプラスチック容器で提供、詰め替え用パウチも投入した。華やかさをイメージに売ってきた化粧品業界の”掟破り”なコンセプトに、化粧品業界人からは「我々の市場をめちゃくちゃにするな」と責められた。しかしこれが大当たり。斬新なチャレンジだったが、時代の風を見事にキャッチし、この年から売上も利益率も急上昇することとなる。
新規事業だった化粧品を事業の柱に育て上げた2009年(平成21)、三代目社長はかねて宣言していた通り10年目で退任し、代表取締役会長兼CEOとなった。

妄想や思考硬直から離れる

冒頭で書いた「”NEVER SAY NEVER”と常識破る三代目」。この”NEVER SAY NEVER”というのは、2016年(平成28)のCIに基づいて発表された新・企業スローガンだ。これこそが山田会長が歩んで来た軌跡を後に続く人々に託した言葉であり、パラダイムシフトを推進しているロート製薬の決意の表れでもある。
・思考硬直する「肩書き主義」からの脱出
・大部屋形式のワイガヤ
・1500人が力を結集する「多様の坩堝(るつぼ)」
この3項目は、”NEVER SAY NEVER”を牽引する山田会長が、変化を産み出す風土・組織づくりの提要として掲げているものだ。
「バブル崩壊後の23期連続増収」という奇跡を成し遂げたロート製薬も、2016年度は減収を見た。国内市場は既に長期縮小のフェイズに入っている。企業は成長一辺倒の妄想を捨てて厳しい現実を直視し、構造変化を果たさなくてはならない。
戦後復興という史上稀な異常期には、多様より画一、分散より集中統合、ダイナミクスより序列化という価値観が有効だった。しかしこれからはその真逆を行く必要がある。そのためロート製薬では、年齢・性別・国籍・雇用形態の壁を超える自由な組織づくりをめざしている。
世間で話題のダイバーシティ。それは目的ではない、これからの時代にあった事業を創るための方法論に過ぎない。CIのついでに発表した”副業解禁”がやたらと話題を集めてしまったが、制度の斬新さに価値があるのではなく、あくまで人づくりのパラダイムシフトをした結果のひとつの形に過ぎないのだ。
山田会長は、政府主導で進められている一律の残業規制というのには違和感があるという。例えばR&Dなどのクリエイティブ職であれば、気が済むまでとことん仕事をしたくなる場合もある。残業が悪、ではない。それこそ思考硬直だ、と。年齢・性別・国籍はもちろん肩書きや所属や時間の制約からも離れ、自由な働き方ができる組織。それこそが真のダイバーシティ企業なのだ。


個人的な記憶をたどれば、私がロート製薬の名を初めて知ったのは、クイズダービーというTV番組のオープニング映像でのことだった。あの番組の名物出演者たちも、その多くが鬼籍に入ったり高齢になって病に倒れたりしている。あれから長い年月が経っているのだ。しかし青空に飛び立つ無数の鳩や軽快なコーラスによるジングルの記憶は、決して色褪せることはない。
思えば、ロートの名が掲げられた屋上から飛び立つ白い鳩たちは、まるで山田会長の唱えるダイバーシティのように自由だ。孫とは真逆の主義を貫いていた初代社長が作ったCM映像が、半世紀以上の時を経て、新時代のロート製薬の在り方を象徴しているというのは、何とも数奇な話である。
(三代 貴子)

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