夕学レポート
2017年05月22日
遠いシリア 安田菜津紀さん
安田菜津紀さんの講演が始まってすぐに「まるでテレビのナレーションを聞いているようだな」と感じた。それは、安田さんの聞きやすくてソフトな声のせいもあるけれど、言いよどみのない、ひとつひとつの言葉に迷いのない、思いのこもった安田さんの喋り方がそう感じさせたのだろうと思う。過不足のない言葉で、会場の人たちの頭に染み込むように、一人ひとりの目を見ながら語り掛けるような調子で安田さんは話し始めた。
最初に語られた場所はカンボジア。かつてポル・ポト政権下の恐怖政治により、全国民の5分の1、あるいは4分の1とも言われる大量の人々が虐殺された国である。
今から十年以上前になるが、私自身もカンボジアを訪れたことがある。その時首都プノンペンにあるキリングフィールド(たくさんの人が殺された刑場跡地)にも行ったのだが、あまりの生々しさに目を覆いたくなるような息苦しさを感じたことは強烈な記憶だ。ある展示室には殺される直前に撮影された人々の顔写真がズラリと掲示されていて、一様にひきつった顔でカメラを見つめていた。血糊がついたままの鉄のベッドや夥しい数の頭蓋骨など、どれも凄まじい光景で、あまりに痛ましかった。
内戦が終わり二十年弱を経過した現在のカンボジアでは、復興が進み希望も感じられるのだが、内戦の爪痕は今も色濃く残る。その一つが「地雷」だ、と安田さん。
カンボジアでは、今現在でも推定400万個の地雷が残されているそうだ。安田さんは会場に問いかけた。「この地雷をすべて除去するのに、あと何年必要だと思いますか?」。
答えは、100年。
「戦争は、紙の上では『はい終わり』となってもすぐには終わらない。カンボジアでは、これからまだ100年もかかわりのない人が傷つき続ける。だから戦争をしてはいけない」。安田さんの言葉だ。
さらにこの日は、イラク北部地域のこと、シリアのことを安田さんは自らの写真を見せながら紹介してくれた。
シリアで家を追われた人はすでに1,200万人を超えたということ。もとの人口が2,200万人だから、半数以上の人が家を追われたことになる。
隣国ヨルダンには70万人が逃れ難民として暮らしていること。難民キャンプではキャパシティを大きく超えた人々が生活し、労働も許されず、学校に行かない子どもも増え、環境が極めて悪い。病気の治療のために両親と離れて一人ヨルダンの病院に入院する女の子の話。家族を失った大勢の人々のこと。 自分と一人の子どもだけが助かり、妻やそれ以外のすべての家族を失った男性は「なぜ家族全員を同時に殺してくれなかったのだ」と安田さんに問い掛けたという。
シリアで起きていることは私の想像をはるかに超えている。内戦が起きていることや大勢の人々が難民となっていること、最近ではアメリカが攻撃したことなどはニュースで知ってはいたものの、しかし実はほとんど何も知らないに等しかった。どこか遠い国で起きている、希望の持てない情報として、無意識のうちにシャットアウトしていたのかもしれない。
それは確かに解決されるべき問題ではあるけれど、個人が動いたところで解決できるようなレベルの話では到底なく、よって自分が詳しく知らなくても良い情報だという情報処理が頭の中でされていたのだろう。正直、シリアの正確な位置も知らなかった。恥ずかしいことかもしれないが、多くの日本人が同じようなところではないだろうか。
安田さんは、フォトジャーナリストという自らの仕事についてその価値を問うことがあるという。「写真で直接的に人の命を救うことはできない。例えば医者なら命を救える。NGOなら現地に滞在して人々に寄り添うことができる。自分には何ができるというのか」。
あるNGOスタッフに言われたそうだ。「これは、役割分担だよ」と。それぞれができる役割をちょっとずつ持ち寄ればいいのだと。以来安田さんは、現地と日本とを行き来しながら、写真や講演などを通じてシリアやイラクやカンボジアの様子を伝えること、それが自分の役割と考えていると話した。
これらの話を通じて、今この会場にいるみなさんも、小さくてもなにか自分の役割を果たしてください、と訴えているように私には聞こえた。
今回の講演は、あるシリア人の言った「自分たちを本当に苦しめているのは、アサド政権でもISでもなく、世界から無視されることだ」という言葉で閉められた。マザーテレサの「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」という言葉を思い出した。
無視。無関心。
会場を出てからの帰り道、ガード下で賑やかにお酒を飲むサラリーマンたちを眺めながら、私自身の日常に戻っていくどこかほっとしたような心持ちになっていた。この人たちは、講演を聞く前の私と同じように、シリアのこともイラクのことも考えていないだろうなと。私の役割?あなたの役割?考えながら道を歩いた。
今もしここに「シリアの難民を助けるため」という募金箱が置かれていたら、迷わずお金を入れただろうと思う。けれど募金箱はないし、明日にはこの講演の記憶は薄れ、明後日にはさらに薄れていく。
世の中には問題が溢れていて、助けたい人もたくさんいて、その前に日常の自分の課題が山積みされていて。私の日常はなかなかシリアにはたどりつかない。これが、無視するということなのか?
コンビニやファーストフード店のレジ脇にある募金箱に私は時々小銭をチャリンと入れるのだけれど、それだけではだめなのだろうか。何日かごとに届くクラウドファンディングのメールマガジンは、タイミングが良ければ目を通し、これは支援したいと思うプロジェクトに出会ったときに過去数回寄付をしたことはあるけれど、そんなことでは足りないのだろうか。
「それぞれが出来ることをすればいい」「自分の関心に合うことに無理なく参加すればいい」そう言う人は多いし私もそう思ってきたが、おそらく世界は、人々がそんな程度でいる限り永遠に解決されない問題が存在している。問題は増え続け、膨らみ続けている。
でも。でも。でも。
頭の中ではいくつものブレーキがかかる。私に対処できる問題じゃない。私がやらなければならないことは他にもっとたくさんある。私の役割は、別。
でも、でも…。
安田さんのまっすぐな思い、その思いとピタリと一致した言葉や表情…それらを思い出しながら、私はモヤモヤした。家に帰り、インターネットでシリア難民を支援している団体を見つけ、少額ながら寄付をした。それでもモヤモヤは増えるばかり。
難民の人々が少しでも安らかな日常を手に入れられることを祈る。それは、絶対に、解決されるべき問題だ。世界中の誰もが、私たちと同じような日常を手に入れられることを願いつつ、モヤモヤしたままのレポートを終えたい。
(松田慶子)
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