2011年07月11日
「出産をはさんだ私の10年」塘口寛子
プロフィール
1971年生まれ。大学卒業後、日系生保に就職したが、半年足らずで退職。4年間のフリーター生活を経て、外資系生保に就職。10年を超える人事のキャリアをつむ。この4月、息子が小学生になるのをきっかけに、会社員生活を卒業。現在は、地域での活動や月3日程度の仕事をしながら、子育て中心の生活を送る。
「キャリアアーキテクチャ論」を受講したのは約10年前。この間、キャリアの節目をいくつか経験した。会社を退職し、出産、再び就職、そして退職。なかでも出産は、大きな節目となった。
26歳で結婚後、なかなか子宝に恵まれなかった。「三つ子の魂百まで」を信じていたから、妊娠したら退職するつもりだった。腰掛のつもりで人事のキャリアをスタートしたが、なかなか妊娠できない。このまま子供ができないのか? だったら、どんな専門性をつければいいの? なかなか決められない状況に悶々としていた30歳。そんなとき、MCCの「キャリアアーキテクチャ論」に出会う。
自分より10歳以上も年上の受講生に囲まれ、圧倒された。自分の意見が持てない。自分の駄目なところばかりに目が向いていた。自信なんてかけらもなかった。
そんな状態のまま講座が終了。やがて、人事らしい仕事、新しい人事制度の企画に没頭できる部署へ異動した。経営者の傍で働くまたとないチャンス。無我夢中になって働いた。ちょうど制度導入を終えたとき、妊娠した。もう諦めていただけに、心から、うれしかった。それまでのペースで働くことが想像できなかった。子育てに専念したかった。だから、会社を辞めることに、まったく迷いはなかった
やがて臨月を迎える。おなかの赤ちゃんは順調に育っていたから、自然分娩ができないなんて想像もしていなかった。2日間の陣痛に苦しんだ結果、帝王切開となった。麻酔した瞬間、陣痛の苦痛から解放されほっとしたのは今でもよく覚えている。無事に出産を終えたが、あまりの疲労に2日間ベッドから起き上がれなかった。
産後しばらく赤ちゃんを抱く元気がなかった。母としての実感は、まったくわかなかった。そのせいか、まったく母乳が出なかった。母乳がなくても、ミルクのおかげで赤ちゃんはスクスクと成長した。自然分娩もできない、母乳もでない、”メス”としての役割を果たせない自分が情けなかった。
退院後、3日も経たないうち、「こんなはずじゃなかった」と思ってしまう。家から一歩も出られない。十分に眠れない。ゆっくり食事もできない。お風呂でリラックスできない。なかなか泣き止まない赤ちゃんとの生活に疲れ果ててしまった。何気ない家族の言葉にも傷ついてしまい、落ち込むことも。結局、産後1カ月は、母乳での育児は実現できずに終わる。
その後、実家から東京に戻ってくる。昼間母子2人の生活は、気楽だった。なかなかおいしい食事をとることはできなかったが、ご飯、味噌汁、ひじき、そしてたんぽぽコーヒーさえあれば、十分だった。誰にも気を使わない気ままな生活のおかげか、母乳がよく出るようになる。徐々に子育てのリズムつかめるようになり、赤ちゃんとの暮らしを楽しんだ。
ひょんなきっかけで、再び仕事に戻ることを決意。せっかく働くんだったらおもしろい仕事がしたい、との思いから、産前に働いていた会社に再就職。契約社員という気楽な身分で、在宅も活用しながらマイペースに働くことを選択。1年を経過するころ、周囲からの「中途半端」という声にならない声を感じる。そこからスイッチが入った。子供がいるからといって甘えることなく、周囲や会社の期待に応え働くようになる。
そんな矢先、「正社員に」という上司のすすめもあり、フルタイムのマネージャーに。旦那や実家の母の協力を得て、海外出張、国内出張、合宿研修などもこなした。家事と育児の両立支援制度の企画をきっかけに、社内にダイバーシティを推進するチームを発足することになる。
会社の期待にNoと言わずに働いたため、猛烈に忙しい日々となる。保育園へのお迎えもあり、会社での残業ができない。だから、家での”持ち帰り残業”が当たり前に。子供とちゃんと話がしたい。おいしい料理をつくって食べさせたい。でも、そんな時間は全くなく、簡単な夕食をすませ、子供にTVを見せつつ、傍らでパソコンを開き、仕事をしていた。深夜3時まで働いたり、早朝4時から働いたりすることも頻繁だった。
今思うと、一生懸命働く自分の姿に酔っていたのかもしれない。劣後順位をつけられない自分。自分で自分の首を絞めていた。徐々に心も体もついていかなくなっていった。上司と相談し、ペースを落として働くことも試してみたが、いつのまにか、また忙しい日々となる。
「本当にやりたいことは何?」そんな問いをきっかけに、約1年間、自分と向き合う日々を過ごした。徐々に、自分の大切にしたいものがみえてきた。2人目を妊娠する可能性がないかもしれないとわかると、いっそう、子供との時間を大切にしたいと思った。子供の小学校入学をきっかけに、今年の3月いっぱいで会社を辞める決意を固めた。
会社を離れて3カ月。子供との時間を大切に、毎日をかみしめて生きている。時間がゆっくり流れるようになった。心穏やかに過ごしている。今、やりたいことは、子供との時間を味わいつつ、明るく可能性にあふれた未来を子供たちに残すこと。そのために、これからの自分の時間を使っていきたい。
「キャリアアーキテクチャ論」を受講していた10年前、自分なりの言葉で「キャリア」の定義を試みた。しかしうまく言葉にできなかった。今改めて、自分なりの言葉でキャリアを定義すると、「キャリアとは、自分自身の心の声に素直でありたいと思う気持ちと、周囲の期待に応えたいと思う気持ちのぶつかり合い、そのたびに自ら選択した結果の産物である」。これが、現時点での私なりキャリアの定義だ。
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