ピックアップレポート
2004年03月09日
社会人学習の新潮流
城取一成 慶應学術事業会 学術事業部長
はじめに
大きな環境変化を受けて、長らく日本の成長と繁栄を支えてきたさまざまな社会システムが変革を迫られている。その中にあって、大学教育を取り巻く状況も、大きな転換点を迎えている。
「象牙の塔」と揶揄されるように、大学はこれまで、社会に対して、特に産業界に対して距離を置いてきた。しかし、一方で、複雑かつ不規則に見える現象世界を科学的に究明し、新たな知見を創出することができる高度知的専門機関としての大学・大学院の社会的存在価値は誰もが認めるところである。大学経営が直面する課題としても、「社会との接点拡充」はとりわけ大きな論点として掲げられており、産学連携事業の推進とあわせて、産業界のニーズに対応した人材育成のあり方が幅広く論及されている。要は、大学と社会の距離を感覚的にも物理的にも縮めることが希求されていると言えよう。
多くの大学や産業界側・行政側も、遅まきながらそれに気づき、いくつかの試行がはじめられている。
例えば、千代田区は区内にある11の私大との連携・協力を強化する基本協定を締結している。区民向けの公開講座の開催や大学を核とした街づくり、地域活性化活動の推進を図ろうというものだ。また大阪では、関経連が音頭を取って、2001年より、産学官の連携で大学機能の都心部集積を促進しようという「インテリジェントアレー構想」という名称のプロジェクトが立ちあがっている。では、肝心の大学が主体となった社会人・企業人に向け講座の現状はどうであろうか。
本稿は、人材育成の社会的基盤として大学の役割や取り組みを、大学主体の「社会人学習機関」の視点から紹介するものである。
大学の社会人教育の現状
現状の各大学・大学院の取り組みは下記のように分類整理できる。
- 公開講座
すでに、多くの大学では、市民講座、エクステンションセンター等という名称で公開講座が開催されている。例えば、慶應義塾では、「港区民大学」や「横浜市民講座」などキャンパス・学部単位で開催されるものや、「G-Sec(グローバルセキュリティリサーチセンター)公開講座」のように研究所単位で行われるもの、「三田演説会」や「小泉信三記念講座」といった慶應ならではの講座まで、15以上の公開講座が催されている。
- 科目履修生・聴講生制度
広く知られてはいないが、科目履修生・聴講生制度も多くの大学に設置されている。
これは、学生向けの授業科目のいくつかを社会人に対しても履修可能にしているもので、学生と机を並べて講義を受けることができる。慶應義塾では、すべての学部でなんらかの形で科目履修生・聴講生を受け入れている。 - ビジネススクール(MBAコース)
既設の企業人向け講座の代表格がビジネススクールであろう。文部科学省によると、大学院への社会人の入学者数は、1996年度の5,317人から2001 年度には10,287人と5年間で倍増している。その多くがMBA(経営学修士)修得可能なビジネススクールへの入学者と推測して間違いはないであろう。
慶應義塾には、我が国のビジネススクールの草分けである、慶應義塾大学大学院経営管理研究科があり、開校以来20有余年の歴史を重ね、延べ2500人以上のMBAホルダーを国内外に送り出している。
近年は、2000年に一橋大学が神田に国際企業戦略研究科を開校、今春には東京都立大学が新宿の都庁内キャンパスの都立大学経営大学院を開設するなど国立大学の都心キャンパスも珍しくなくなった。 - 高度専門職業大学院(プロフェッショナルスクール)
大学院教育で注目を集めているのが、高度専門職大学院構想である。ビジネススクールで、MBAコースに加えて、技術の戦略的なマネジメント力に注力するMOT(技術経営)コースを拡充する例が増えている。
また、法曹人材の養成を目的とする「法科大学院(ロースクール)」や、政治や行政に携わるプロフェッショナルの涵養を視野に入れた「政策大学院(ポリシースクール)」、金融工学などの高度で先端的な金融知識と技術を駆使した専門家の育成を目指す「金融大学院(ファイナンシャルスクール)」、他にもITや環境といった特定分野のプロフェッショナル教育に特化したコースが、主として社会人向けに設置されはじめている。
新潮流を促す「3つのニーズ」
続いて、本稿の主題である「新たな潮流」に筆を進めたい。筆者は大学の新たな社会人学習のコンセプトを考えるうえで、「社会」「企業」「個人」の3つののニーズへの対応を念頭に入れておく必要性を強く感じている。
- 「社会」のニーズ -生涯学習社会という視点
生涯学習社会の到来が叫ばれて久しいが、「知的欲求の充足」ニーズという側面が強調され過ぎているような気がする。「学習」とは「環境の変化に適応するために、自らの態度・行動を変容すること」であって、行動を伴わない行為は「学習」とは呼び得ない。時代の転換点にあって、生涯学習社会とは、さまざまムーブメントの起点となる場を社会のあらゆるシステムに組み込むことに他ならない。
大学に求められるのは、良質な起点の場としての機能である。成熟した市民社会の一員として、社会・経済・仕事等さまざまな側面で、環境変化に主体的に働きかけ、自らの未開拓領域を切り拓くための新たな知見を獲得できる場を提供できるかが大学に問われていることになる。 - 「企業」のニーズ -研究成果還元への期待
2003年5月に発表されたIMDの国際競争力調査によれば、日本の国際競争力は11位で、エビアンG8サミット参加8カ国の中では6番目であった。 IMDの客員教授である一條和生一橋大大学院教授によれば、個別の評価項目では、「企業の人材開発へ取り組み」に関しては第1位であったのに対して、「企業活動に対する大学の貢献度」については、なんと最下位に位置するという。
ここに日本企業の人材開発の現状と課題が浮き彫りになっている。企業内の教育システムの充実には熱心だが、その成果がパフォーマンスとなって健在化していないこと。そして、知の社会還元と役立つ人材の育成を使命とするはずの大学が、国際競争力にリンケージする形で企業に貢献していないことである。
大学は、卒業後、社会に貢献していく人々の学びの場として、また学問の成果を社会にもたらす存在として、社会に積極的にコミットする組織でなければならない。 - 「個人」のニーズ-個人主導のキャリア自律を支援する
これからの学びの場は、人生やキャリアで次のステップを踏み出したい、あるいは仕事を通じて大きく変わりたいと希望する人々に、具体的な一歩を踏み切るためのきっかけをつくる役割も果たす必要がある。新たなフィールドに歩を進めることは大きな希望に満ちている反面、不安も伴うことになる。そういう時には、最初の一歩を踏み出し、大きなマップを描きつつも、その細部を歩き、確かめ、小さな成果や成功体験を蓄積することが一番である。大学が社会に提供する新たな学びの場は、そのための知識を身につけ、意見をぶつけ合い、ネットワークを広げる機会でなければならない。
筆者が所属する慶應義塾の社会人教育機関丸の内シティキャンパス(MCC)のプログラムには、「働きだして、そして壁にぶつかって、はじめて勉強の意味と価値が分かった」と語る参加者が数多く参加している。漠然ながらも、将来を見据えているからこそ、そして、そこに向けた道筋であることを認識したうえで現実の課題を抱えているからこそ、なによりも、自分の意志で選択した機会だからこそ、学びの場が機能する。
4つの講座類型
上記3つの社会的ニーズを踏まえて、今後発展するであろう大学・大学院の社会人・企業人向け講座のあり方は下記の4つのタイプに分類できると考える。
- オンライン・エクステンション型
先述の公開講座を、ネットを使って公開するタイプである。特に、これまでの主流であった文化・教養系の科目の公開講座に加えて、ITやバイオ、ナノテクなど先端科学領域において、最新の研究成果に基づいたアカデミズムを社会に還元していくことに期待は大きいと思われる。ブロードバンドの本格普及と歩調を合わせて、ネットでの授業公開や教材公開が一般化する可能性がある。
スタンフォード大学をはじめ、米国の大学では、講義内容や教材がWEB上に公開されており、日本の大学も少しずつではあるが同様の試みが始まっている。
慶應SFC(湘南藤沢キャンパス)でも実験的な取り組みとして、大学の教育資源をデジタル化し、それらを最新のデジタル情報基盤上に乗せることで、学びたい個人に自由で多様な学習形態を提供することを目的とした「WIDEプロジェクト」がある。 - ビジネススクール型
米国のビジネススクールほど大規模ではないにしろ、日本の一部のビジネススクールでも学位(修士)にこだわらず、トップエグゼクティブやミドルマネジャーの高度な経営管理能力の開発を目的とした短期(数カ月から数週間)のマネジメント教育プログラムが実施されている。代表的な例としては、慶應ビジネススクールのエグゼクティブセミナーが挙げられる。トップマネジメント向けから中堅幹部向けまで、複数のプログラムがあり、延べ15000人以上の経営者・実務家がここで学んでいる。
また、一橋大学大学院商学研究科が、伊藤忠商事、NEC、花王、富士フィルムの4社と共同ではじめたエグゼクティブプログラムなど、ビジネススクールの拡充と社会人受け入れの本格化に伴い、他大学でも同様の講座の開設が始まっており、企業にどこまで認知してもらえるか、ここ数年の活動が試金石になると思われる。 - ポータルサイト型
3つ目の形態として、大学の知的・人的資産よりも、施設、卒業生ネットワーク、ブランド等を経営資源として活用するタイプの講座が増えている。組織名称としては「エクステンションセンター」「オープンカレッジ」等を掲げているが、講座内容や講師選定では、外部の教育機関やコンサルタントと連携して、実践的なビジネスニーズに対応しようというものだ。大学の強みを、一種のポータルサイト的な機能に集約し、外部組織や専門家と上手に手を組むことで、講座のバリエーションや機動性を充実させ、社会のニーズに応えることができる。
早稲田大学の「オープンカレッジ」や明治大学の「リバティアカデミー」、法政大学の「エクステンションカレッジ」などはこのタイプと言えよう。 - プラットフォーム型
4番目のタイプは、筆者の所属する慶應丸の内シティキャンパス(MCC)が標榜するもので、「知識・スキルを獲得する場」である大学・大学院と「実践的な経験の場」である社会(企業・団体)の中間にあって、両者の有機的な循環を促進するための「プラットフォーム」として機能しようというものである。
これまで紹介してきた3つのタイプが、従前の社会人・企業人向け講座の延長線上にあるのに対して、これまでにない斬新なコンセプトの学習機関を目指している。
以上、社会人学習の新たな潮流としての大学・大学院の動向に関する一考察である。
(人材育成学会 第1回年次大会論文集より)
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