ピックアップレポート
2018年06月12日
長瀬 勝彦『図解 90分で分かる経済のしくみ』
はじめに
人間は経済的な動物であると言われますが、その割には、経済について直観的に抱いている理解や解釈が実は間違っていることが多々あります。経済を理解するには経済学の知識と経済学的な思考を学ぶ必要があります。
本書は、拙著『図解1時間でわかる経済のしくみ』をもとに、加筆、修正を加えたものです。前著は2006年に初版を発行して以来、幸いなことに版を重ねてきました。今回のリニューアルに際しても仮想通貨など新しい項目を加えています。ただし本書の目的は目先の話題を追うことではありません。経済学の原理的な思考を身につけておけば新しい事象も比較的容易に理解できるのです。
もちろん、ここに書いてあることの大部分は、すでに多くの論者が述べていることです。筆者はその整理をしたにすぎません。また、経済学にはいろいろな理論があって、ひとつの問題について対立した見解があることは珍しくありませんが、それらをすべて説明するとかえって分かりにくくなるので、あえて単純化したことをおことわりしておきます。
この本を手がかりに読者の皆さんに少しでも経済学の考え方に親しんでいただくことを願っています。
Lesson15:利己心と競争が経済を回す
「神の見えざる手」
オスカー・ワイルドが子供向けに書いた『幸福の王子』という短編小説がある。子供のころに読んで涙した記憶のある人も多いことだろう。
ある町に王子の像があった。
両目は青いサファイヤでできていて、腰の剣の装飾には真っ赤なルビーが輝き、体は金箔に包まれている美しい像だ。その王子はとても優しい心を持っていて、町の不幸な人たちを見て心を痛め、渡りの途中にやってきたツバメに頼んで自分のサファイヤの目やルビーや金箔など、すべてを施してしまう。自分の命が果てるまで他人を助ける王子とツバメの崇高な行為に感動せずにはいられない。
しかし、残念ながら、このような行為が経済学の分析対象となることはあまりない。
経済学について、誤解を恐れずに言ってしまえば、人間が思いっきり利己的にふるまったらどうなるかを考える学問だからである。みんなが利己的だったら経済は混乱してしまうのではないかと心配になるが、経済学のすごいところは、市場の参加者(売り手と買い手)の利己的な行動が市場全体としてはうまく資源を配分するということを理論的に明らかにしたことにある。
経済学の始祖であるアダム・スミスはこれを「神の見えざる手」と表現したが、たしかに神様を持ち出して説明したくなるほど不思議な現象である。
公正な競争が不可欠
流通業者がいるおかげで生産者も消費者も得をすることは先ほど説明したが、流通業者は、別に世のため人のために商売をする必要はない。「安いところで買って別のところで高く売って、ひともうけしてやろう」という動機でもかまわない。
生産者は「なるべく高く売れるように良い商品を作ろう」と励むし、消費者も「なるべく良い商品をなるべく安く買おう」と血眼になる。これこそが効率的な資源配分をもたらすのだ。
ただしそれは無条件にとはいかない。生産者も消費者も流通業者も、公正な競争にさらされていることが条件である。
競争があれば、だれも暴利をむさぼることはできない。どこかの売り手が特別に高く売ろうとすると、もっと安く売る業者が出てきて(なにしろそれでも採算がとれるのだから)、そちらに顧客をさらわれてしまう。競争下では、だれも楽をして儲けることはできないのだ。
しかしここに問題がある。
利己的な人間は、できれば楽をして儲けたいと思っている。生まれつき競争が好きで好きでたまらないという人はめったにいない。
公正な競争は辛く苦しいものだから、うまく競争を回避して楽に儲けようと悪知恵を絞る人や企業はあとを絶たない。だから、まったくの自由放任ではやはり経済はうまくいかない。
「神の見えざる手」を実現するためには、人間の手が必要なのだ。
Lesson44:GDPは何を測っているのか?
GDPでわかること
経済学では基本的に、経済活動(お金のやりとり)が増えることが豊かになることだと考える。国の豊かさの指標として、一般的に使われるのはGDP(国内総生産)だ。GDPとは国内で生み出された価値の合計だが、集計されるのは、お金の出入りのあったものだけだ。
はたしてGDPは、本当に豊かさを示していると言えるのだろうか?
経済学の世界では、あるよく知られた寓話がある。
隣り合った二つの国、A国とB国の人口は同じくらいで、GDPも似たり寄ったりだった。またどちらの国にも蚊がいなくて、夏の夜に悩まされることはなかった。
ところがある年、A国政府は外国から蚊を輸入して国中にばらまいたのだ。するとA国の国民はたまらず蚊取り線香を買いに走った。おかげでA国には蚊取り線香産業が繁栄し、GDPはB国をはるかにしのぐようになった。
さて、現在のA国の国民とB国の国民はどちらが豊かな生活をしているだろうか?
こんな話もある。
南国の島の海辺で、現地の人が昼間からのんびり昼寝をしていた。
よその国から来た金持ち観光客がそれを見て「休んでないでもっと働くべきだ」と言った。現地の人は「どうして働かなくてはいけないんだい?」と尋ねた。
「働けばお金が手に入るぞ」と、明るく答える金持ち観光客だったが、現地の人はすかさず「お金が入るとどうなる?」と尋ね返した。
「そしたら私みたいに休暇を取って南国にバカンスに来られるのさ」
すると現地の人は「なんだ、それなら今の生活と同じだ」と、笑ったという。
経済的な豊かさが生活の豊かさとは限らない
寓話ではなく現実の話としては、たとえば自転車が故障したときに自分で直せば付加価値はゼロなのでGDPにはカウントされないが、自転車屋に持ち込んでお金を払って直してもらえばGDPを押し上げる。古い服を大事に着てもGDPには関係ないが、古い服をどんどん捨てて新しいのを買えば経済は成長する。
悩み事があるときに相談に乗ってもらえる友だちがいるのと、友だちがいなくて有料のカウンセラーに通うのと、どちらの生活が豊かだろうか。
何でもお金で解決する国のほうがGDPが高くなるが、だからといってその国の生活が豊かだとは限らない。
Lesson45:お金で幸せになれるか
お金だけでは幸せになれない
よく「お金で幸せは買えない」という。
しかし一方で「金で幸せは買えないというのは、十分な金を持っていない者のたわごとだ」とうそぶく人もいる。本当はどちらが正しいのだろうか。
アメリカや日本だけでなく、いろいろな国で幸福感のアンケートをとると、その国の経済発展の度合いと幸福感には、はっきりした直線的な関係はないことがわかる。
また、かなり貧しい国の人々はあまり幸福ではないが、ある程度まで豊かになると、それから先は豊かになっても幸福感は一概には高くならないという説もある。
日本は戦後の高度経済成長期に短期間で飛躍的に豊かになったが、その間の幸福感はあまり変化がなかった。これはミステリーとされている。
「経済的に豊かになれば幸せになれる」と多くの人が思っているが、そんな人にとっての幸せは逃げ水のようなもので、追いかけても追いつけない。幸せはもうちょっと別のところにあるのかもしれない。
チャップリンの映画『ライムライト』に有名な台詞がある。
「人生に必要なのは、勇気と、想像力と、少しのお金だよ」。
しかし、まじめに働いて報われることは必要だ
とはいえ、あまりに貧しくてはやはり幸せになるのは難しい。世界にはとても貧しい国がいくつもある。豊かな国からするとほんのわずかな値段の食料や薬品が買えないために、大勢の子供が健康を損ない、飢えて死んでいく。そんな国は、もっと豊かにならなくてはならない。先進国は積極的に援助をするべきだ。
そこで困るのは、国民が餓死するような国は、たいてい政府が非民主的で腐敗していることだ。国民がまじめに働こうとしても自由に経済活動ができない。役人や政治家にコネがあるかを払わなければ努力しても這い上がれないのだ。政府が国民をせっせと搾取しているような国は、豊かになることはとても困難だ。
ひるがえって日本はどうか。露骨に賄賂を要求するような役人や政治家はめったにいないだろう。しかし、予算や許認可権を使って天下りポストをつくることにいそしむのは、税金を使って私腹をこやすことなので、賄賂を取るのと同じくたちが悪い。
まじめに働く人が報われて、弱い人に優しい社会は、自然のなりゆきや政府に任せておけば実現できるものではない。みんなの取り組みが必要なのだ。
『図解 90分でわかる経済のしくみ』の一部を著者と出版社の許可を得て抜粋・編集しました。無断転載を禁じます。
- 長瀬勝彦(ながせ・かつひこ)
- 首都大学東京 大学院社会科学研究科経営学専攻(ビジネススクール)教授
- 担当プログラム
1984年東京大学経済学部卒業。1991年東京大学大学院経済学研究科経営学専攻博士過程単位取得。東京大学博士(経済学)。駒澤大学経営学部専任講師、助教授、教授、東京都立大学経済学部教授を経て、2005年4月の公立大学法人首都大学東京の設置と同時に現職。専門は意思決定論、実験経営学。著書『意思決定のストラテジー』にて組織学会高宮賞、日本経営協会経営科学文献賞受賞。河合塾により大学のベストティーチャーに選ばれるなど、分かりやすく面白い授業には定評がある。
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