ピックアップレポート
2022年07月12日
前野隆司・前野マドカ『ウェルビーイング』
はじめに
私たち夫婦が大学でウェルビーイング(幸せ、健康、福祉)の研究を本格的に始めてから一〇年以上になります。始めた当初は、まだSDGs(持続可能な開発目標)も始まる前でした。当時は、あやしい研究を始めたと訝いぶかしがられたものでした。あれから十数年。二〇二二年一月の日本経済新聞の記事に「2022年をウェルビーイング元年に!」という文字が躍る時代になりました。隔世の感があります。
かつて福沢諭吉は、著書『文明論之概略』のなかで、明治維新前と明治維新後の変化について、「恰あたかも一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」と述べました。福沢は生涯の前半三三年を封建制の江戸時代に、後半三三年を明治に生きた人です。まさに一人の身ながら二つのまったく異なる世界を生きた人だったのです。
ウェルビーイング元年前とウェルビーイング元年後を明治維新前後と比較するのは大袈裟ではないか、と思われるかもしれません。しかし、現代は、明治維新前とよく似た状況だと私は思います。
世界の歴史を俯瞰(ふかん)すると、人類はある面で同じことを繰り返してきたといえるのではないでしょうか。ある時代が続くと、制度が疲労し、既得権益が広がり、格差が拡大し、不満が広がります。社会の歪みが蓄積するのです。そんなとき、革命が起きたり、戦争が起きたり、恐慌が起きたりします。そして、蓄積された歪みが解放され、オールクリアされます。
面白い数字があります。明治維新(一八六八年)から七七年後が、第二次世界大戦の終戦(一九四五年)です。そして、終戦から七七年後は、二〇二二年なのです。
もうおわかりでしょうか。江戸時代末期は黒船をきっかけに幕府派と討幕派が争う時代でした。そんな歪みが一掃されたのが、明治維新でした。また、世界のパワーバランスの変化による歪みが爆発したのが第二次世界大戦でした。
つまり、社会は七七年くらい経つと、さまざまな歪みが蓄積して混乱するということなのではないでしょうか。社会秩序が老朽化し、格差が拡大するからです。また、七七年は人間の寿命に近い数値です。七七年前のことを知っている人が少なくなると、過去の過ちに学びにくくなることも、次の革命や争いが勃発することに影響するのではないでしょうか。
だからといって、二〇二二年に革命や戦争や恐慌が起きると予言するつもりはありません。しかし、人間の社会は八〇年くらい経つとあらゆる歪みが蓄積し混乱に至った歴史があるということは、教訓にすべきでしょう。
第1章で述べますが、私たちは、明治維新に匹敵する激動の時代のキーワードはウェルビーイングだと思っています。いや、明治維新以上の、人類二〇万年の歴史の転換点というべきだとも思っています。
では、私たちは時代の転換点をどのように生きるべきなのでしょうか。その問いへの答えを、研究、経営、地域、家庭、計測などの分野に分けて、「ウェルビーイング」の現状という形で、私たちの視点から解説しました。なるべく一般的な解説書になるように努めましたが、あくまで私たちの視点からの書であることはご理解いただければ幸いです。
なにしろ、現在は時代の転換点ですから、いろいろな考え方が出てきています。このため、異なる立場の論者・読者もいらっしゃるでしょう。そのような方は、こういう見方もあるのだと学ぶ機会にしていただければ幸いです。
もちろん、私たちは、人類史二〇万年という長期的視点から、現実を直視した短期的視点までを、私たちなりに総合的に俯瞰したうえで、ウェルビーイングについて公平かつ真摯に解説したつもりです。ウェルビーイングに関連したさまざまなことについて述べましたので、多くの方にとってヒントに満ちた書になったのではないかと思っています。
心より願っています。本書が、皆様の未来のために何かヒントになっていますように。皆様のライフ&ワークがウェルビーイングに満ち溢れたものでありますように。世界の生きとし生けるものが幸せでありますように。
本書は特に執筆を分担するというよりも、二人で対話しながら書き上げた共同作業です。本文のなかでは「私」または「私たち」という表現を使っています。「私たち」はもちろん二人ですが、「私」は夫婦のどちらかです。細かいことは気にせず読み進めていただければ幸いです。社会の最小単位はパートナーシップであり、私なのか私ではないのかという区別を超えるところからウェルビーイングは始まるのですから。
それでは、「ウェルビーイング」の世界への旅をお楽しみ下さい。
二〇二二年二月 前野隆司 前野マドカ
日経BOOKPLUS連載「まいにち「はじめに」」より4月19日掲載記事を著者と日経BPの許可を得て転載。無断転載を禁じます。
前野 隆司(まえの・たかし)
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授
慶應MCC担当プログラム
デザイン×システム思考-幸せなイノベーションを実現する
慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長、一般社団法人ウェルビーイングデザイン代表理事、ウェルビーイング学会会長/東京工業大学卒業、東京工業大学修士課程修了。キヤノン、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授などを経て現職。博士(工学)。幸福学、幸福経営学、イノベーションなどの研究に従事。『脳はなぜ「心」を作ったのか』『幸せな職場の経営学』『幸せのメカニズム』など著書多数。
前野 マドカ(まえの・まどか)
EVOL代表取締役CEO
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科附属システムデザイン・マネジメント研究所研究員。国際ポジティブ心理学協会会員/サンフランシスコ大学、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)などを経て現職。幸せを広めるワークショップ、コンサルティング、研修活動およびフレームワーク研究・事業展開を行っている。『月曜日が楽しくなる幸せスイッチ』『家族の幸福度を上げる7つのピース』『そのままの私で幸せになれる習慣』(いずれも共著)などの著書がある。
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