ピックアップレポート
2024年05月14日
石山 恒貴『定年前と定年後の働き方~サードエイジを生きる思考』
働き方と幸福の関係
定年前と定年後の働き方は、個人の思考ひとつで大きく変わる。本書では、50代以降の個人をシニアと呼び、その働き方の思考法について考えていきたい。そのシニアの働き方の思考法の鍵を握るものは幸福感だ。
幸福感と年齢の関係には謎が多い。この謎はU字型カーブやエイジング・パラドックスなどと呼ばれる。どういうことかといえば、個人の幸福感は20代・30代では高いが、その後低下し40代の後半で底をうつ。そして、その後は年齢が上昇するにつれ、幸福感も上昇し続けるのだ。
この年齢と幸福感の関係を示すカーブは、U字型カーブと呼ばれる。なぜ50代以降は、年齢の上昇に伴って幸福感も上昇し続けるのだろうか。高齢期に加齢することは、身体の衰えなど様々な喪失を伴うものと思われる。そのため、むしろ幸福感は低下していくことが想像されるだろう。それなのに幸福感が上昇するという謎が、エイジング・パラドックスと呼ばれるのだ。
実はこのU字型カーブとエイジング・パラドックスこそ、シニアの働き方の充実度を左右するヒントなのである。近年、シニアの働き方と幸福感の関係については研究が進んでいる。それらの研究では、働き方の思考法を変えることで、幸福の追求ができることが明らかになっている。つまり、U字型カーブとエイジング・パラドックスという謎こそが、シニアが幸福に働く鍵だったのだ。
ところがシニア個人の働き方と幸福の関係を考えた書籍は、実はあまりないように思える。というのも、シニアの働き方については、定年再雇用や役職定年など組織側の施策に焦点があたることが多い。あるいは、働き方ではない定年後の生活(健康や余暇など)のあり方と幸福の関係を説く本が多いのではないだろうか。
もちろんシニアの働き方自体をテーマにしている書籍もかなり見受けられる。しかし気になることは、それらの書籍では、悲観的な捉え方が基調になっていることだ。たとえば定年前であれば、シニアは新しいことを学ぶ気がない、上から目線で過去の経験を語り続ける、役職定年や定年再雇用などをきっかけにモチベーションが低下する、など。定年後であれば、シニアは「自分ができる仕事は部長だ」と言い張って再就職ができない、希望にみあう処遇と役割の仕事はない、仕事がなく社会的孤立に陥ってしまう、など。
筆者は企業の人材育成や個人のキャリア形成の研究をしている。その際、企業の人事部門の方々からも、シニアについての意見を聞く。それらには、次のような意見が多い。「日本的雇用では個人のキャリア開発が重視されてこなかった。そのため、シニアは自身のキャリア開発について積極的ではない」「役職定年や定年再雇用後の処遇の低さに伴い、シニアの動機づけをどうすればいいか悩んでいる」「年上部下になったシニアは、年齢を気にする人が多く、マネジメントが難しい」。
こうしたシニアの働き方への悲観的な捉え方を無視することはできない。しかしこれらの捉え方は一面的なものにすぎない。シニア個人は多様であり、悲観的な捉え方があてはまる人もいれば、まったくそうでない人もいる。それなのに一面的な見方が支配的になってしまうのは、日本社会では、ある類型の人々を集団的にくくって捉えてしまうことが多いからだろう。たとえば「今どきの若者論」、あるいは「シニア男性の働き方を揶揄する呼び方」などがその典型だ。ある類型の年齢や性別の集団を、一括りでこういうものだと決めつけてしまうと、それはわかりやすい。WEB上なら、あっという間にPV(ページビュー)を稼いで話題になりやすい。
しかしそういった集団的な決めつけは、大事なものを見過ごしてしまうだろう。むしろ研究で明らかになっているシニアの働き方を幸福感と結びつける思考法は、個人それぞれ異なった特徴を発揮することにある。シニアを一括りの集団とみなさず、個人の違いにこそ注目する。そうした思考法の違いによってこそ、シニアの幸福な働き方は実現していく。
では、個人の違いを尊重した働き方の思考法とはどのようなものなのか。なぜその思考法は、U字型カーブとエイジング・パラドックスと関係があるのか。そして働き方の思考法を獲得すれば、悲観的な捉え方をされているシニアの働き方が幸福なものへと本当に変わっていくのか。
本書ではこれらの疑問を掘り下げ、それに正面から答えていくことに挑戦していきたい。筆者は、むしろ定年前と定年後の働き方にこそ、人生でもっとも充実した幸福な時期を実現する可能性があると考えている。そしてその可能性を示すものこそ、U字型カーブとエイジング・パラドックスなのである。ぜひ読者とともに、個人の違いを尊重し幸福な働き方を実現する思考法のあり方を探求する旅を、本書で進めていきたい。
定年前と定年後の働き方思考とは
定年前と定年後の働き方思考を簡潔にまとめると、次のようになるだろう。
シニアの働き方思考とは、マッチョイムズに囚われず、役職にこだわらず、第一線の現場のひとりのプレーヤーとして、専門性を向上させながら仕事を進める姿勢である。くわえて、自分にとって意義ある目的と親密な人との交流を重視していく。その際には、自分がサードエイジにあることを意識しながら、自分の情熱・動機・強みを「自己の成長と専門性の追求」と「全体性」に結びつける。また越境学習によって、多世代かつ多様な人々と対話をし、年齢・地位・役職の上下にこだわらないコミュニケーションの習得に心がける。
この働き方思考が幸福感とどのように関係しているのか、あらためて整理してみたい。心理学者のソリア・リュボミアスキーとポジティブ心理学や健康心理学・行動医学を専門とする島井居哲志は、それぞれポジティブ心理学に基づき、幸福感を高める行動と習慣を紹介している。それによると、感謝の気持ちを表す、楽観的になる、他人と比較しない、人間関係を育てる、熱中できる活動を増やす、目標達成に全力を尽くす、幸福を追い求めない、人生の意味を感じる、親しい人を大切にする、などの行動や習慣が該当する。
これらの行動や習慣は、働き方思考と共通している。マッチョイムズに囚われず、役職にこだわらず、第一線の現場のひとりのプレーヤーとして仕事を進めることは、楽観的になる、他人と比較しない、幸福を追い求めないことに通ずるだろう。自分にとって意義ある目的と親密な人との交流を重視していくことは、人間関係を育てる、熱中できる活動を増やす、目標達成に全力を尽くす、人生の意味を感じる、親しい人を大切にすることに通ずるだろう。自分の情熱・動機・強みを「自己の成長と専門性の追求」と「全体性」に結びつけることは、熱中できる活動を増やす、目標達成に全力を尽くす、人生の意味を感じることに通ずるだろう。多世代かつ多様な人々と対話をし、年齢・地位・役職の上下にこだわらないコミュニケーションの習得に心がけることは、感謝の気持ちを表す、人間関係を育てる、新しい人を大切にすることに通ずるだろう。
働き方思考の基盤である、社会情動的選択性理論(SST)、選択最適化補償理論(SOC理論)、ジョブ・クラフティングの組み合わせは、幸福感の研究とかなり合致することをあらためて確認できたと考える。
「個人事業主マインド」を獲得するための具体的な手段
ミドル・シニアのキャリア相談の専門家である木村勝は、シニアの働き方にとっては「個人事業主マインド」が重要だという。個人事業主マインドとは、雇用されているか否かに拘わらず、個人事業主のような気持ちで働いていくことだ。そのためには収入は細く長く考える、働き方は組み合わせる、蓄積してきたスキル(専門性)を重視することが大事だという。個人事業主マインドは、本書の働き方思考と類似点の多い考え方だろう。
特に自分の専門性(個人事業主マインドでは得意技ともいう)を武器と考えるところは重要である。シニアは誰でも培ってきた専門性が武器になると考えることが、個人事業主マインドの特徴だ。そのためには、まず専門性を棚卸することが望ましい。
定年前と定年後で連続的に働き方思考を培い、自身の専門性・スキルを棚卸できれば、シニアの選択肢が広がるだろう。そのような働き方思考の醸成や専門性・スキルを棚卸するために、シニアがキャリアコンサルタントや教育機関を活用することも望ましいだろう。
慶應丸の内シティキャンパスでは手がかりを学び、実際にワークをじっくり体験することができる。『ジョブ・クラフティング』プログラムでは講義とワークを通じてジョブ・クラフティングの考え方を見につけ、現場で活用している卒業生からリアルな事例を聞いてヒントを得ることができる。
サードエイジを生きる
ここまで、働き方と幸福の関係を考えてきた。しかしどのように幸福でありたいか、ということは、あくまで個人の選択の問題であろう。どう生きたいのか、それは個人の自由な意思に委ねられている。誰もが幸福を目指すべきということでもないし、幸福を追い求めることは強制されるべきものではない。また、実は幸福を追い求めすぎるという態度は、その個人の幸福感を損なってしまう。
むしろシニアにとっては、サードエイジをどう生きたいのか、それを心置きなく選択できることにこそ意義があるのではないだろうか。そこで納得のいく選択ができれば、おのずと幸福感が高まっていくということかもしれない。そして、その選択をするにあたっては、できるだけ多くの参考となる考え方やデータがあったほうがいいだろう。サードエイジを生きるシニア、あるいは将来のサードエイジの選択を思い描く方々にとって、本書が示した考え方やデータが少しでも参考になればと願うばかりである。
『定年前と定年後の働き方~サードエイジを生きる思考』(2023)のはじめにと第8章の一部を著者と出版社の許可を得て改編。無断転載を禁じます。
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石山 恒貴(いしやま・のぶたか)
法政大学大学院政策創造研究科教授
慶應MCC担当プログラム
ジョブ・クラフティング
一橋大学社会学部卒業、産業能率大学大学院経営情報学研究科修士課程修了、法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程修了、博士(政策学)。NEC、GE、米系ライフサイエンス会社を経て、現職。越境的学習、キャリア形成、人的資源管理、タレントマネジメント等が研究領域。経営行動科学学会優秀研究賞(JAASアワード)(2020)、人材育成学会論文賞(2018)、日本の人事部「HRアワード2022、2023」書籍部門最優秀賞受賞。
日本キャリアデザイン学会副会長、人材育成学会常任理事、Asia Pacific Business Review (Taylor & Francis) Regional Editor、日本女性学習財団理事、フリーランス協会アドバイザリーボード、専門社会調査士等。
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