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2006年05月09日

韓国語学習のための人間工学的アプローチによる考察

井草真喜子 株式会社慶應学術事業会 慶應丸の内シティキャンパス ラーニング・ファシリテータ-

1.はじめに
近年、韓流ブームといわれるように、韓国ドラマや韓国映画をはじめとして、韓国文化への関心が高まっている。それとともに、韓国語を学ぶ日本人の数も年々増加している。韓国語の言語構造は、日本語にきわめて近く、日本人にとって最も学びやすい言語であるといわれているが、その一方で、独特の文字表記や、異なる音韻体系が、韓国語への抵抗感を生み、さらに習得を困難にしているという一面もある。本論文では、人間工学的アプローチから人間の認知特性と韓国語の言語特性を調べた3つの研究と、韓国語学習への応用における考察を紹介する。


2.ハングル文字の視覚的情報受容に関する研究
人間が文字情報を受容する場合、それが既知文字である場合と未知文字である場合とでは、視線の動きや注視する部分やその分布領域などに違いが現れる。読みも意味もまったくわからない外国語の文字を見るときは、文字というよりも図形として知覚されるが、読みも意味も理解できる文字の場合は、言語情報として認識できる。この違いが、人間の視線の動きや注視部分などの違いとして現れるであろうという仮説のもと、日本人、韓国人、韓国語学習者の、それぞれの眼球運動の計測を行い、その比較検討を行った。
(1) ハングル文字について
ハングル文字は、子音と母音の組み合わせから成る、実にシステマティックな文字である。子音と母音は、上下または左右に並び、上下である文字は上側が、左右である文字は左側が常に子音となっている。組み合わせによっては字形が多少変化したり、「子音+母音+子音」という形で子音で終わることもある。母音は、基本母音字が10種、その組み合わせで作られる合成母音字が11種ある。子音は、基本子音字が14種、その組み合わせで作られる濃音が5種ある。そして、ハングル文字は、これらをほとんど機械的に組み合わせて表すことができる。
ここでハングル文字の歴史に簡単に触れておく。文字の歴史は比較的浅く、15世紀中葉1443年に制定、1446年に「訓民正音」という名で公布された。それ以前は、中国から入ってきた漢字をごく限られた上流階級の者のみが使っていたが、一般庶民が簡単に使える文字が存在しなかったため、誰でも読み書きできる文字が作られたのである。
(2) 実験方法と分析方法
19種の子音と10種の基本母音の最も基本的な組み合わせからなる190文字のハングル文字を1文字ずつ順不同で提示し、被験者には、視線を測定する装置であるアイカメラを装着し自由にながめてもらい、その視線の動きを測定した。分析においては、文字を子音と母音に分け、子音における注視時間の割合を算出し、被験者の文字認識度合いとの関係を調べた。検出されたデータをもとに、各被験者、各文字ごとに、注視点(視線が一定時間以上留まっている点)を抽出し、各文字提示時間における注視時間の総和を100%として、そのうちの子音に対する注視時間の割合を算出した。
(3) 結果および考察
上記の実験を行った結果、全被験者に共通にみられた特徴は、やなどの仕切られた空間の内側ややなどの線の交差する部分に注視点が集まること、まず最初に子音の部分に視線が動く場合が多いといことである。
次に個別に特徴を見ていく。ハングル文字を見るときの韓国人の目の動きは特徴的である。視線はあまり動かず、注視点分布領域は狭く、1ヶ所を安定的に見ている。韓国人は、一目でそれを文字として認識できるため、文字の構造や構成を細かく見る必要がないためであろう。
それに対して、ハングル文字をまったく読むことのできない日本人の場合、視線の動きは広い範囲におよび、注視点は文字全体に散らばる。これは、文字としての認知ができないため、単なる図形の組み合わせとしか認知できず、その形の特徴を見つけようとし、視線は大きな範囲でなるべく多くの細かい情報を取り入れているかのような動きを示す。
また、日本語の文字に似たような文字が出てくると、それに引きつけられ、そこに注視点が集まる。しかし、韓国語を学習し、文字を読むことができるようになると注視点の分布は狭まり、また子音に対する注視点の割合も高くなり、韓国人の視線の動きに近づく。
この実験により得られた結果のうち、特徴的な10文字を例にあげ、子音に対する注視時間の割合をグラフにしたのが図1、図2である。このグラフからもわかるように、三者の特徴を比較すると、文字の習得度合いにともなって子音に対する注視時間の割合が高くなるといえるだろう。これは、ハングル文字を見るときの子音に対する注視時間の割合を、韓国語、特にハングル文字の学習の習得度合いを評価する指標が存在することを示唆するものであり、韓国語を学ぶにあたっての学習の目安にもなる。

さらに、人間の視覚特性も見ることができた。線の交差する部分や、より構造の複雑な子音に視点が集まることから、何らかの意味で、画面の中の情報量の多いところに注視点が集まるということである。さらに、図形としてしか認知できない日本人の場合は、より複雑な構造をもつ部分にまず注視するが、その図形の特徴を捉えるためにさらにもっと多くの情報を取り入れようと広い範囲に視線を動かすのである。
また、子音母音が、左右に並んでいる縦長母音文字(母音の最も長い線が上下に引かれている文字)であっても、上下に並んでいる横長母音文字(母音の最も長い線が左右に引かれている文字)であっても、母音の最長の線に接続する短い線が内側に向いている文字ほど母音に集まる注視点の数が多くなるが、それが外側に向いている文字は日本人であっても子音に集まる注視点の割合が高くなっている。そして、母音が最も長い線だけの文字やは、母音自体の構造が単純なため、母音にはあまり引きつけられず、子音に視点が集まると思われる。
3.韓国語文章の「読み」に関する研究
上記2.の実験では1文字の提示での視線の動きの違いを分析したが、通常の生活で接するのは文字単体ではなく文章であることから、本研究では韓国語の文章を読むときの眼球運動を測定し、その分析を通して韓国語文章の読みにおける特徴を検討した。韓国語の文章構造は日本語にきわめて近く、語順や語の配列はほとんど同じである。そして、表記は句点を使わずに文節ごとにスペースをいれる「分かち書き」という方法を用いる。こういった特徴をもつ韓国語の文章を読むとき、はたしてどのような特徴があるのだろうか。
(1) 実験方法と分析方法
1行25文字4~10行程度の比較的短い韓国語の文章(韓国の小学校、中学校、高等学校で使用されている教科書から抜粋)12種類と、そのうち2種類を漢字混じり文にしたもの、そして、ハングルのランダム羅列1種類の合計15種類の文章を用いた。被験者には視線を測定する装置であるアイカメラを装着し自由にながめてもらい、提示される文章を、意味を理解する程度の速さで読んでもらい、被験者のペースに従って実験をすすめた。被験者は韓国人および韓国語学習履歴2~3年の日本人である。
分析においては各被験者、各文章ごとに一読に要する時間、注視回数、注視点における平均停留時間、視線の平均移動速度、1注視あたりの文字数を算出し、これらの点に関して比較検討を行った。それをもとに韓国語の特徴である分かち書きと情報受容との関係、さらに漢字の影響を検討した。
(2) 結果および考察
すでに行われている研究より、文章を読むときの目の動きは、滑らかに連続的に移動をするのではなく、数文字ごとに注視をする不連続な注視点の分布の軌跡を示すことがわかっているが、今回の実験、分析を行った結果、図3、図4のように、韓国語の文章を読む際にもその特徴がみられた。

また、韓国人と日本人学習者間の相違は明らかに現れた。まず、一読するまでの所要時間、注視回数、1注視における平均注視時間は、日本人よりも韓国人の方が少ないことがわかった。そして、その差は比較的内容の易しいものほど小さく、難しくなるほど大きくなり、さらに漢字混じり文の方が差が小さかった。また、平均移動速度は日本人よりも韓国人の方が速い。日本人は、いずれも韓国人よりも遅いが、その中でも内容が易しいものや漢字混じり文は速かった。韓国人の場合、分かち書きされていない文章、ランダム文字列は遅かった。そして、1秒あたりに読む文字数は、両者間には3~4倍程度の差がある。韓国人は 1秒あたり8~15文字であるのに対し、日本人は1秒あたり2~6文字程度である。
さらに、分かち書きの1文節あたりの注視回数を算出したが、韓国人の場合、1文節あたり0.8~1.3回、日本人は3~5回の注視であった。これを 1注視点あたりの文字数で見てみると、韓国人は3~5文字、日本人は1文字程度である。このことから韓国人は1文節を1かたまりとして受容しているのに対し、日本人は1文字ずつ受容しているといえる。また情報量でみると、韓国人は1注視あたり平均30~50bitの情報量を受容しているのに対して、日本人は7~20bit程度である。また意味のないランダム文字列の場合、韓国人の情報受容量は圧倒的に減少するが、日本人はそれほど減少はしなかった。これは日本人は意味のある文章を読むときであっても1文字ずつ受容しているからと思われる。
また、漢字の影響を調べてみると、韓国は日本と同様漢字圏に属するものの、日本人にとって漢字は文章を読みやすくするものであるのに対して、韓国人は漢字に対して抵抗があることがわかった。これは、韓国人の場合、ハングルのみの文章よりも漢字混じり文を読むときの方が所要時間、注視回数、平均注視時間が多く、また1注視点あたりの情報受容量は少なく(図5)、平均移動速度も遅いことからわかった。この原因を考察すると、韓国の漢字廃止運動、ハングル専用運用により漢字に触れる機会が減ったことが原因と思われる。

もちろんこの実験で得られた数字には、個人差や学習歴、習得レベルにより変わってくることを考慮しなければならないが、こうした数値を測定することは、韓国語の習得レベルを測定する指標の一つとなるのではないだろうか。
4.発音の視覚化による韓国語発話学習教材開発のための考察
韓国語は、言語構造自体は日本語にきわめて近いが、音韻体系は日本語とはまったく異なり、音に関しては日本人にとって習得が非常に難しい。そこで本研究では、習得の難しい韓国語の発音練習に有効な、画像や映像を用いる学習方法を実験した。
(1) 韓国語の音声
ハングル文字はの子音には、平音、激音、濃音の3種類の音がある。平音は力まず、ソフトに発音する音、激音は強く呼気をともなう音、濃音は喉を緊張させる呼気のまったくともなわない音である。また、母音は、2.で解説したように、基本母音10種類、合成母音が11種類存在する。母音の中には、たとえばと  のように似た音もある。両者とも日本語表記をすれば「ウ」という発音であるが、前者は唇を突き出して発音する「ウ」であり、後者は唇を左右に引くように平らにして発音する「ウ」である。日本人にとって、こうした韓国語の音韻体系を習得するのは、困難である。
(2) 子音発音教材の開発
子音の平音、激音、濃音の違いは、発音時の息の出し方の違いと喉の緊張の強弱とによって決まる。その点に着目し、それぞれの音の特徴を音声波形を用いて分析した。図6は、t系列の平音、激音、濃音のそれぞれの波形である。

平音の発音は、柔らかくはじまり柔らかく終わることが波形の特徴から読み取れる。そして発声の持続時間内では音の変化があまり見られない。
激音は強い呼気を伴うため、波形は平音のように平らではなく、呼気の強く出されるところが山型に膨らんでいる。平音とは違い、発声の持続時間内での音の変化、特に音の強さの変化が現れる。
そして、特に特徴的な波形を示しているのが濃音の波形である。濃音は、喉を緊張させて息をともなわずに発せられる音であるため、急激に強く音がはじまる。発声の持続時間内に音の強さの変化がある。
これらの波形の音声学的特徴から、子音を次の3つのタイプに分けることができる。
平音:声帯の振動の開始が破裂後少し遅延する
激音:声帯の振動の開始が破裂後かなり遅延する
濃音:声帯の振動の開始が破裂とほとんど同時である
音声波形を分析することによって、子音の音声的特徴は波形の形状の違いに端的に現れることがわかった。これはまたいままで韓国語教育の現場において行われていた子音の発音指導を映し出すものであった。いままでの発音指導では、平音は日本語とほぼ同様に、激音は息を激しく吐きながら、濃音は喉を緊張させて息を出さずに発音すると指導されてきたが、この指導方法が波形の特徴にも現れていることが確認できた。子音波形を発音教材に応用することは非常に有効な手段であることが考えられる。
今回実験した子音発音教材の試作は、発音特徴を示す波形を、学習者に提示し、同時に学習者が発音した音声の波形をフィードバックすることによって、学習者に自己の発音を視覚的に自己確認できるものである。
(3) 母音発音教材の開発
母音の音の違いは、図7に示すように口の開け方は舌の使い方によって決まる。

母音は、口の使い方が非常に重要であり、発音時には、特に口の開け方に注意することによって、かなり韓国語音と近い音を発音できる。そのため、ネイティブ・スピーカーが母音を発声する際の口の動きを提示することが母音発音練習において、有効な手段である。
図8と図9は、2種類の「ウ」である、とを発音するときの、口の開け方を示したものである。

今回開発した教材は、ネイティブ・スピーカーの発音時の口の動きの映像を提示し、学習者がそれにしたがって発音したときの学習者自身の口の動きの映像をフィードバックするというものである。
(4) 評価
子音練習に音声波形を用いると、学習者は何度も発音を試みる傾向があった。これは、学習者が視覚と聴覚両方から自己の発音をチェックできるため、自分の発音の甘さを認識できるからである。
また、母音練習に口の動きの映像を用いると学習者はやはり発音を何度も試みていた。母音を発声するときには、学習者自身かなり大げさに口を動かしいているつもりでいても、実際にフィードバックされた自分の口の動きを客観的に観察すると、モデルに比べて動き方が非常に小さいことが確認され、はじめて自分の発音がまだ不十分であったことに気づいた学習者もいた。
発音の視覚化は学習者自身が自己の発音を客観的に観察することが可能であるため、発音の不十分さを認識でき、自己矯正に役立ち、より効果的な発音習得ができると期待される。
5.考察
韓国語は、日本語に近い言語であり、日本人にとって最も学びやすい外国語である、と言われるが、やはり外国語であることには違いなく、日本語との相違点も多く見られる。学びやすいからこそ、その相違点で戸惑う学習者も多い。特に、見慣れない文字や、発音の習得は日本人にとっては、韓国語学習の中で困難な点であると思われる。本論文では、こういう困難な場面での学習支援、また、習得レベルの測定、評価に有効な方法の考察として、人間工学的なアプローチからの実験結果を報告した。

井草真喜子(いぐさ まきこ)
株式会社慶應学術事業会 慶應丸の内シティキャンパス ラーニング・ファシリテータ-
慶應義塾大学環境情報学部卒業、同政策・メディア研究科修士課程修了。大手情報通信メーカーを経て、2001年より慶應MCCにてラーニング・ファシリテータ-として、プログラム企画、開発、運営を行う。

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