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ピックアップレポート

2006年08月08日

昨今の「武士道」の流行をどう評価するか

谷中信一 日本女子大学文学部教授、文学博士

1.武士道も日本の伝統的倫理を抜きには語れない。
日本の伝統倫理の基本をなしている概念は、「恥」・「恩」・「世間」の三つに整理できるとされている。これまでも「恥をわきまえているかどうか」(つまり「恥知らず」、「恥さらし」、「恥を知れ」などの語)が自他の行動を判断する主要な基準であった。
「みっともない」「はしたない」「見苦しい」「体裁が悪い」「不調法」「恰好が悪い」などは皆そのバリエーションである。また「恥の上塗り」、「旅の恥はかきすて」、「40過ぎの恥かきっ子」「恥も外聞もない」などという言葉もあった。


同様に、「人に恩義を感じるかどうか」(「恩返しする」「恩知らず」)も自他の行動を倫理的に判断する主要な基準であった。「鶴の恩返し」(鶴が命を救われたことの恩返しをする)「浦島太郎」(亀の恩返し)「かさこ地蔵」(石地蔵の恩返し)「ごんぎつね」(狐の恩返し)などの童話から人は受けた恩を必ず返さなければならないことを幼心に教え込まれてきた。実は「親孝行」というのも、中国のそれとは意味が異なり(中国では、祖先崇拝まで含む)、日本の場合は子供が自分を育ててくれた親に対する恩返しを意味するのであった。
三つめは「世間」である。日本人が倫理規範に従って行動しようとする場合、自他の関係をすべて「世間」内関係として捉えていたために、日本人の倫理規範は「世間」の中でのみ有効であったと言っても言い過ぎではない。「世間様」「世間の目」「世間体が悪い」「世間が許さない」「世間に顔見せできない」「広い世間を狭くする」「世間に申し開きをする」「世間に背を向ける」「世間知らず」「世間の鼻つまみ者」という言葉がこれまで普通に使われていたことからわかるように、人はその与えられた世間の中で、好むと好まざるとに関わらず、生かし生かされているのだから、世間に背いてはいけないと教えられてきたのである。
「悪事をはたらく」とは、神に背くことでも、仏に背くことでもなく、「世間」に背くことなのである。従って、その報いは天罰でも仏罰でもなく、「世間からの追放」である。すなわち「自分の立場」を失うことであり、これは仕事も人間関係もすべて失うことを意味する。そのようなことになったら、人は極めて絶望的な気分にさせられるはずであるから、そこに自制心がはたらく。これこそが強力な規範力の源泉なのである。
ところで、「悪事をはたらく」とはどのような行為をさすのであろうか。刑法犯罪はもちろんだが、総じていえば、「世間が許さない」ことはすべてであろう。世間が許さないこととは、「恥知らず」な行為であり、「恩知らず」な行為なのである。そんなことをすれば、「世間体が悪い」し、あしたから「世間様に顔見せできなくなる」し、結局「広い世間を狭くしてしまう」ことになるし、後から「世間様に申し開き」をしても、聞き入れてもらえるかどうかわからない。そうなるとあとは「世間に背を向けて生きる」か、「世間に隠れて生きる」か、しかない。これは最低の生き方であるし、何よりも世間にとどまって暮らしている親兄弟にまで迷惑をかけることになるではないか…。
これは一義的には倫理規範なのであって、法規範ではない。日本人は誰もが多かれ少なかれ自分の世間を持ちその中で暮らしてきたからである。これはやくざとて例外ではない。日本は治安がよいとされてきた理由はまさにここにある。
2.「世間」とは一体何か?
ところで「世間」とは、簡単に言えば「人間社会」のことだが、いわゆる「大衆社会」ではない。あくまでも血縁や地縁、職縁からなる閉鎖社会(むら)であり、そこに暮らす「運命共同体」のようなもので、人はその中で生まれ育ち生活し仕事している。だから誰もが世間には恩がある。こうして生きていられるのも「世間様」のおかげだ。
世間に育てられた自分がその恩を忘れ世間に背くことは、許されないことであり、従ってそうした行為は省みて深く恥じなければならない。だが子供はまだ経験が少なく、そうしたことへの理解が少ない、つまり「世間知らず」だから大目に見てもらえる。
また大のおとなでも「旅の恥はかきすて」と言って、自分の属する世間から離れてしまえば、恥をかくことなど何でもないという気楽な気分になる。日中戦争において穏和で規律正しい日本兵があちこちで中国人に残虐行為をはたらいたのは、いわばこうした心理が働いたからであろうと中国人研究者は分析している。(尚会鵬著『中国人与日本人』参照)
逆に「渡る世間に鬼はない」と言うのは、お互いに顔を知り名前を知り気心が知れてくればそこに仲間意識が生まれ、善意の交際が始まるから、ひどい仕打ちを受けるはずはないと考えることによる。日本人は人見知りすると言われる。見知らぬ人にはとても警戒心を持つからである。だがいったんうち解けると、嘘のように警戒心を解いて無防備になってしまうのも日本人である。だから、海外旅行先で、「親切な」外国人に出会って嬉しさのあまりすっかり気を許したために、詐欺や盗難に遭うといったことがしばしばあるのは、そうした日本人心理の裏返しの現象であろう。そこに、長年慣れ親しんだ「世間」があると錯覚してしまうのである。「これが日本の常識、世界の非常識」と言われることの真相ではなかろうか。
3.恥の文化はその対極に名誉を持つ
名誉は功績に対して与えられる。恥が世間の否定的な評価に由来するとすれば、名誉はその反対に世間の肯定的な評判を意味する。つまり、名誉は恥の反意語なのである。人が何にもまして望むのは、「世間が注目する」ことであり、「世間から誉められる」ことである。これがすなわち名誉である。もっともこうした名誉を喜ぶ心理は日本人に限らず普遍的な欲求であろうから、特筆する必要もないかも知れない。ここでは、武士道とは恥を最も忌み、名誉を最も求めるところに成り立っている規範意識であるということだけを指摘しておこう。
問題は、名誉をどのようにして得るかその方法であろう。思うに、それは「自己のつとめ」を立派に果たすことによってである。「つとめ」という言葉が名誉と深く結びついているのである。例えば、親のつとめ、師のつとめ、主君のつとめ、家臣のつとめ等々、それぞれの立場(これをという)にあって、その立場にあるものが求められる行為(これを本分という)を立派にやり遂げることを、「つとめを果たす」というのである。
4.恥は世間との関係に中で感じる心理的負い目
漢語の「破廉恥」とか「廉恥心」とかは、もっぱら普遍的な倫理道徳規範に照らしていう言葉である。一方、「はずかしい」というのは感情に過ぎない。だから倫理道徳に背くことをした場合に加えて、人がやらないこと、やりたがらないことをやる、例えば「本来は成功するべきであるのに失敗してしまうとき」、「人から期待されていながらそれに応えられないとき」にも「はずかしい」と感じることがある。例えば、「学生としてはずかしい」「男としてはずかしい」「女として恥ずかしい」「親としてはずかしい」など。これは一言で言えば「役割・使命=本分」に背いてしまったので「はずかしい」ということになる。名誉は、先にも述べたように、これとは全く逆のことになる。
では誰に対して自分がはずかしいと感じるか、その対象は、自分が属している「世間」である。つまり「世間体がわるい」ということ。逆に言えば、世間を離れてしまえば(見知らぬ土地に旅行をすれば)、はずかしいと思う範囲が小さくなるかまたはなくなる。先にも述べたように「旅の恥はかきすて」のことわざはそれを言ったものに他ならない。
「はずかしい」とか「はずかしくない」とかの基準は、自己の内面に確固とした普遍的な規範意識として定着しているわけではなく、「世間で共有されている価値観」のなかにある。従って、そうした感情が発生するためには「世間と一定の価値観・倫理観を共有している」と認識することが前提となる。だからもしそうした認識を欠いていれば、たとえ恥ずべき行為をしても、これを「はずかしい」と感じないわけである。
だから「恥知らず」な行為とは、反倫理的行為のことであるというよりも、世間から受け入れられない行為を一義的には意味することがわかる。
5.今に残る武士道的価値観
1.武士の心得
まず勇敢であることが求められ、そこで「義を見てせざるは勇なきなり」とか「死を覚悟して生きよ」などということが言われた。次いで喜怒哀楽を顔に出さないことが求められ、「人前で涙を見せてはいけない」とか「歯を出して笑うものではない」ということが言われた。第三には謙虚であることが求められ、「わたくしごとを人前であれこれ自慢したり吹聴するものではない」とされた。第四に日常生活でも常に凶器を携行している武士は何よりも自制心が求められ、「ならぬ堪忍するが堪忍」と言われた。第五に寡黙であることが求められ、「本心はむやみに明かすものではない」として、「はら」が大切にされた。第六に事に当たり好き嫌いや損得から判断すべきでないとして、「損得勘定」を最も忌んだ。これが後の「義理」の思想に通じるの。好き嫌いを言うのは女、損得を言うのは商人として蔑んだ。
2.「はら」の思想
・「はらを~(動詞)」
→「はらを決める」「はらを据える」「はらを割る」「はらを見せる」「はらを見抜く」「はらを読む」「はらを探る」「はらを立てる」「はらを切る」
・「はらが~(形容詞)」
→「はらが大きい」「はらが太い(=太っ腹)」「はらが黒い」「はらが無い」
・他に「はら芸」などという言葉もある。
以上のように、「はら」は自分の立場、考え方、態度を意味し、「むね」や「あたま」よりももっと人格に深く根ざしたものとされた。生死をかけた戦場で求められるのは物事に動じない胆力、すなわちはらであった。
3.義理と人情の狭間での葛藤
「義理」とは、本来は正義と道理を意味し、武士として当然なさねばならぬこと、すなわち道義的義務である。これは“善”なる行為に他ならない。
従って、武士は、たとえそれが自分の本心から出たことではないにせよ、“善きこと”であれば「意地」でもやらねばならず、それが武士の“本分”とされた。それができない者は「意気地なし」と蔑まれた。
こうした「義理」の観念はやがて、本心から出た行為ではないことが多いために、「たてまえ」と言い換えられてその価値が貶められていった。つまり、「たてまえ」ですることは偽善的行為に他ならないというわけである。そうして、近代社会の個人主義の風潮と共に、自分の考えを殺してたてまえで生きることが、すなわち「偽善」だとして、嫌われ退けられることとなった。
一方、「人情」に従うことは、人としての生まれつきの性情に従って感じたり、そのまま行動したりすることで、修養のない者がする卑しい行為とされ、そのために「人情に流される」ことはあってはならず、当然克服されるべきものとして排除された。こうした観念はやがて「ほんね」という言葉で言い換えられることとなった。そうして近代社会の個人主義は、「ほんね」で生きることに価値を置き、そうした生き方こそが素直で「自由」な生き方であるとしてむしろ肯定されることとなった。
こうしてみると、“義理”を「たてまえ」、“人情”を「ほんね」と言換えると、過去と現在とでは、“義理”と“人情”の価値観の逆転現象が起きていることがわかる。
過去には、「たてまえ」捨てて「ほんね」で生きることは、「見苦しい」・「あさましい」として排斥され、「ほんね」を殺して「たてまえ」を掲げて生きることこそ、その本分を全うする生き方とされたのであるから。
「義理がすたれば、この世は闇だ」(「人生劇場」の歌詞の一部)という反省がありはしたものの、結局現代では、“義理”を尊重すること、つまり「たてまえ」で生きることの方が、むしろ「息苦しい」、「堅苦しい」生き方として嫌われるようになった。
ここに武士道的倫理規範が疎んじられている現実があると言える。
4.武士道と儒教思想の関係
「江戸時代には、「武士の儒者嫌い」ということが言われた。これは武士が、儒者が理論を重んじることからこれを単に理屈を並べて理想を言い立てる輩として嫌い、命を賭けてことを戦うことを何よりも重んじたからである。ところが、やがて長く太平の世が続き、武士たちは日本の政治指導者としての社会的責任を自覚するようになると、長らく身に帯びていた武器を傍らに置いて静かに学問をするようになった。こうして、武士が儒者を嫌うとも言えなくなり、むしろその優れた思想を進んで取り入れるようにもなっていった。
そうして、政治と道徳の教えを説く儒学を尊重するのに比例して、武士は、為政者としての品位品格を磨くようになったのである。例えば、明の遺臣朱舜水を招き藩を挙げて儒学を尊重した水戸徳川の光圀公は、庭園に「後楽園」(為政者たる者、「民に先んじて憂い、民に後れて楽しむ」べきことを言う)・「偕楽園」(為政者はいつも民とともに楽しむべきあり、楽しみを独占してはならないことを言う。「偕」とはともにの意味。)と名付けて、自己の政治信条をそこに託した。
5.武士の組織論
武士とはそもそも、戦場で勝利するための軍隊組織を形成している。武士道とはその中から生まれた、ある特定集団の中で求められた特殊な規範(津田左右吉によれば一種の「変態道徳」)である。つまり、家臣は主人の命令には絶対に服従しなければならない。たとえ死を前にしても一所懸命に戦わねばならず、決して敵から逃げてはいけない。こうしたときこそ命がけで戦うことが、家臣の「つとめ」なのである。主君は、家臣のそうした命がけのはたらきによって得られた手柄には、多くの恩賞で報いなければならない。このとき恩賞をケチってはいけない。なぜなら、それが主君の「つとめ」だからである。
恩賞を与えられた家臣は、その望外の恩賞に報いるためには、更なる報恩の志を持たねばならない。
ここにおいて、主従の関係は、恩と報恩の関係であることがわかる。契約関係ではないということはそういう意味のことである。

全文は別途ダウンロード(PDF)してご覧ください。

谷中信一やなか しんいち
日本女子大学文学部教授、文学博士
1972年早稲田大学法学部卒業。74年同第一文学部哲学科東洋哲学専修卒業、79年同大学院博士課程後期退学。 79~90年早稲田大学高等学院教諭、90年~日本女子大学文学部講師・助教授を経て、現在、教授。96~97年北京大学哲学系客員副教授(学術振興会特定国派遣研究員として)、 2000年8月~2005年8月中国山東省・斉文化研究院兼任研究員。専門は、中国哲学、中国思想史。主要著書に『『晏子春秋』上・下(明治書院)、『大隈重信「東西文明之調和」を読む』(共著、北樹出版)など。

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