ピックアップレポート
2010年03月09日
キャリア選択のための意思決定論
はじめに
私たちは学校を卒業して長い人で40年以上も職業人生を送ることになります。そして、きっと多くの人が、その職業人生を充実したものにしたいと願っていることでしょう。今まで論じられてきたキャリアに関わる理論に基づけば、自分が自覚している能力、欲求、価値観が満たされる時に今を適職と感じ、その仕事に長く就こうと考えるようです。
しかし、私たちはスーパーマンではないために職業人生の選択(以下、キャリア選択)を誤ることもあります。そこで、本稿では「キャリア選択のための意思決定論」と題して、以下の2点について意思決定論の観点から論ずることにしましょう。
1. 人はなぜキャリア選択を誤るのか。
2. 後悔しないためにどうしたらよいのか。
1. 人はなぜキャリア選択を誤るのか
(1)意思決定の適否を判断するためには相当の年数を要する
意思決定とは分析と判断のことです。つまり、正しく意思決定するためには、分析、判断どおりに選択すればよいわけです。しかし、判断に必要な情報を入手できなければ、どうなるでしょうか。
たとえば、先日、バンクーバー・オリンピックのスピードスケートを見ているときのことです。テレビを見ながら、小学生になる私の娘が「オー・マイ・ガーッ」と連呼するのです。何を言っているのかを聞いてみると、テレビ画面の下のほうに選手のゴール・タイムとともにOMEGAと表示されているのを見て、感覚的に「オー・マイ・ガーッ(O・ME・GA!?)」と判断したようです。
私たちは日常生活において感覚的に判断することがよくあります。今日やるべき仕事の優先順位、夏休みの計画、そしてキャリア選択に至るまで。しかし、キャリア選択は職業人生の一大イベントであるため、感覚ではなく慎重に判断したいものです。
そこで多くの人はキャリア選択に際して、A社、B社、C社と複数の選択肢を取り上げ、それぞれのリスクを見積もり、リスクを最小限にする選択肢を選択しようとします。そのため、安定した企業やわかりやすい企業が選択され、小規模の企業やイメージしにくい生産財メーカーは選択肢から外れがちです。しかし、意思決定の難しさはもっと他のところにあります。たとえば、バブルの頃にマンションを購入した人は資産価値が低下し、現在は後悔しているかもしれません。若くして結婚し、早く子供が手離れした老夫婦は夫婦ふたりの時間ができたことに今は満足しているかもしれません。
このように、結果を見なければ意思決定の適否は判断できず、かつ相当の年数を要するところに難しさがあります。キャリア選択に誤ったと感じている人は、そのように感じるまでに相当の年数が経っているために今から修正できなくなっていることがあるのです。
(2)心理的バイアスが正しい意思決定を阻害する
日本には数百万の企業があります。しかし、キャリア選択に際して、すべての企業をテーブルの上で分析するわけにはいきません。そのため、リストからリスク回避できる複数の企業を選択肢として取り上げ、相対的な比較の中から1社を選択します。ここで問題となるのが心理的バイアスであり、正しいキャリア選択を邪魔することがあるのです。
たとえば、人間はなんらかの基準がなければ選択できません。そこで、検討しているA社を基準にして、他社(たとえばB社)がそれを上回るのか否かを分析して一方を選択します。しかし、そもそもA社が基準になる根拠が曖昧だとすれば、B社を選択する妥当性もなくなります。これが「アンカリングの罠」です。
また、A社よりB社が望ましいと思い始めると、B社の選択を正当化すべく、都合の良い情報ばかりを集め始めます。そうした中、B社は過去に倒産しそうになったと友人から指摘を受けても耳に入らなくなります。これが「確証バイアス」です。
更に、B社が過去に倒産しそうになったとしても、その都度、危機を乗り越えてきた事実を捉え、「きっと、この先も大丈夫さ」と過信しはじめます。これが「正常性バイアス」です。
そして、最後はみんなに「辞めた方がよい」と言われても選択をしたのが自分であるためにリスクを更に小さく見積もるようになります。これを「リスクに対する自発性」と言います。一方、自分にメリットのない意思決定についてはリスクを大きく見積もる傾向があります。だから、周囲の人は転職に際して「思いとどまったほうが良い」とよく言います。
しかし、彼(彼女)はもう思いとどまることを考えようとしません。人は将来の利益よりも現在の不利益を大きく見積もる傾向があり、今の会社と仕事が色褪せているからです。
このように、数々の心理的バイアスが正しい意思決定を阻害するのです。では転職後はどうでしょうか。もし、当初想定したほど良い仕事に巡り合うことができなくても、前の会社に留まった場合の不利益と今の不利益を相殺し、今の自分を正当化しようとします。これを「不利益の等価交換」と呼ぶことにしましょう。
しかし、等価交換できないほどにバランスが崩れてリスクが大きくなると、今の仕事が色褪せて見えはじめ、文句を言い始めます。確証バイアスにとらわれ、新しい会社の悪いところばかりが目につくからでしょう。
(3)パーソナリティによって意思決定が左右される
たとえば、投資案件を討議している会議の席で、人によってリスクやリターンの捉え方が異なることがあります。これは同席している人たちのパーソナリティが異なるために起こることです。リスキーな人はリスクが大きくてもリターンがそこそこ見込めるのであれば投資しようとします。一方、コーシャス(慎重)な人はリスク回避できなければゴーサインを出そうとしません。つまり、パーソナリティの違いが本人の望ましさ度に影響を与え、意思決定が分かれるのです。
夫婦で転職について話し合っても異なる選択に至るのは、一番理解し合っている夫婦でも2人のパーソナリティが異なるからです。
2. 後悔しないためにはどうしたらよいのか
(1)心理的バイアスにとらわれやすい人
意思決定するのが人間である以上、すべての心理的バイアスを排除することはできません。よって、正しく意思決定するためには、こうした心理的バイアスの存在に気づき、自分を統制することで正しいキャリア選択に近づけることを考えるのが現実です。
(2)慎重にキャリア選択したい人
ある経営者が言いました。「腑に落ちないことは決めないことだ」と。腑に落とすためには自分なりの判断基準が必要となります。前述した能力、欲求、価値観が満たされたときに適職と感じるのであれば、この3つが判断基準となります。慎重にキャリア選択したい人は、自分の能力(自分は何の専門家なのか)、欲求(本当のところ、自分は何をしたいのか)、価値観(自分にとって仕事とは何か)を内省してみることです。しかし、こうした根源的な問いに答えることができる人は少なく、また、次第に変化するものであることを理解すべきです。
(3)冒険してみたい人
ある転職経験者が言いました。「迷ったらやる、それだけですよ」と。私たちはドラえもんのように魔法のポケットを持っていないため、過去のキャリアをやり直すことはできません。しかし、未来を創りかえることはできます。そのためには今までの自分を折りたたみ、新しい扉を開かなければなりません。キャリアは未来に向けて末広がりで広がっているものです。将来は線ではなく、面で捉えることができます。この将来の可能性の幅を広げるためには、幅広く自分の将来を捉えるとともに意思決定を間違ったと思った時点でキャリアチェンジすることを考えればよいわけです。キャリアチェンジとは転職ばかりではありません。自己申告、社内公募、FA制などの社内制度を利用して社内転職することも含みます。
(4)オプション理論を応用してリスクを分散
冒険したい人であっても、よくわからない中でキャリアを選択する際、リスクを分散することは必要です。そこで、金融工学などで使われているオプション理論を「キャリア選択のための意思決定論」に応用してみてはどうでしょうか。
たとえば、A社とB社の2社からオファーをもらって一番望ましいA社を選択したとします。しかし、将来、B社に再転職する可能性を残しておきたいのであれば、A社に入社後もB社と良好な関係を維持しておくことです。これを「延期オプション」と言います。
一方、一番望ましいA社を選択したくても高度な専門性と経験がなければつぶされてしまうとわかっていたらどうでしょうか。このような場合、「段階オプション」を応用し、まずはB社で働き、実績を上げた後にA社に再転職することも考えられます。
更に、「転用オプション」も応用できます。将来、A社でも使える専門性をB社にいる間に磨き、転職と同時に転用すればアドバンテージがとれます。
ちなみに、オプションを用いてリスクを分散すべきか否かはリスクが発生する確率次第です。この確率的推論を用いたアプローチは、いつかまた、ご紹介する機会もあるでしょうから、そのときに委ねることにいたしましょう。
おわりに
さて、ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。もし、ここまで読んで「なるほどね。この週末、自分のキャリアについてちょっと考えてみようかなぁ」と思っているなら知性を働かせて考えてみてください。なぜなら、人間は権威ある者(たとえば、専門家や政治家)に対して無批判に同調しやすい心理的バイアスを持っているからです。人間、考えないほうが幸せということもありますので・・・。
- 安藤浩之(あんどう・ひろゆき)
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- 慶應MCCシニアコンサルタント
- 明治大学法学部卒、英国ウェールズ大学大学院卒(M.Sc取得)。HOYA株式会社人事部を経て、1992年に産業能率大学総合研究所に入職。2004年同大学経営情報学部兼任教員、2006年主幹研究員、2008年同大学院総合研究所教授。2009年11月より現職。組織・人材マネジメント、戦略的意思決定論を中心に企業内教育で活躍中。
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