ピックアップレポート
2011年05月10日
「カウンセリングの核心」とは
諸富 祥彦
明治大学文学部教授
私は、直球勝負の人間です。
仕事も、恋も、人生も、とことん自分に正直に、ストレートに生きているつもりです。
そこで本書でも、概念的な「定義」などは先送りにして、まず、私自身がつかんでいる「カウンセリングというものの核心」をストレートにお伝えするところから、始めたいと思います。
「カウンセリング」には大きく二つの意味があります。
「狭義のカウンセリング」と、より広いさまざまな活動を含んだ「広義のカウンセリング」との二通りがあるのです。
そして、この「広義のカウンセリング」には、次のような活動が含まれます。
- 上司が部下の成長をいかにしてサポートするか。
- 教師や保育者が子どもの成長をいかにしてサポートするか。
- お互いが人間として成長できる夫婦関係、恋人関係はどのようにして可能か。
- 子どもがのびのびと成長できる親子関係をどのようにつくっていくか。
- 信者さんの人間的成長を宗教家はどのようにサポートできるか。
こういった幅広い領域での人間的成長にいまやカウンセリングはかかわっています。
この「広い意味でのカウンセリング」について言えば「人間的成長をサポートする人間関係をどうつくるか。その理論と技術の総体がカウンセリングである」と言っていいように思います。
では、視点をもう少し狭く絞り込んで、悩みや問題を抱えてカウンセリング・ルームに相談に来る人を援助する、という「狭義のカウンセリング=いわゆる心理カウンセリング」の本質について考えてみるとどうなるでしょうか。
私は、次のように言うことができるのではないか、と思います。
カウンセリングの核心とは、何か
それは、一言で言えば、相談に来た方(クライアント)が、人生のさまざまな問題に直面し、悩み苦しみ、どうすればいいか考えあぐねてみずからの内なる声に問いかけていく。みずからのこころの内側に潜っていき、そこで答えを模索し、あたかも暗い森の中をさまようようにして、少しずつ、少しずつ、出口を探っていく。そして、そのことを通して、さまざまな気づきと学びを得て、人間としての成長(自己成長)をとげていく。
この「人生という深く、暗い森の中をさまよい歩く道の、いわば同行者」として寄り添っていく。そのプロセスに、カウンセリングの核心、醍醐味が存在するのです。
この意味で、カウンセリングとは、単に症状を除去したり、問題を解決したりするにとどまるものではありません。
カウンセリングとは、一言で言えば、「悩み苦しみを通しての自己成長学」「人間成長学」であると言うことができるでしょう。
そう、人は悩み苦しみを通して、はじめてほんとうに成長していくことができるのです。
私はこの本で、「悩み苦しみを通しての自己成長学としてのカウンセリング」を提唱したいのです。
カウンセラー教育にあたっての、私の立場についても一言、お話ししておいたほうがいいでしょう。
私は、「これであなたもカウンセラー」といった軽薄なノリで、カウンセラー志望者をそそのかしてはいません。また、そんなことはしてはいけないと思っています。
実際、プロのカウンセラーになる道は、非常に険しい道です。また、現在のところ残念ながら、多くのカウンセラーは、経済的に恵まれていません。
「薄給でもいいから、どうしてもカウンセラーになりたい」
「私は、カウンセラー以外の道では生きていけない」
それぐらいの思い入れがないと、なかなかしんどい道のりです。
カウンセリングを学んでいるうちに深みにはまってしまい、何かにとりつかれたようになってしまって、「私はもう、この道以外に生きる道はない」と思う-それくらいの思いがある方にしか、プロのカウンセラーになることはお勧めできるものではありません(私はこのような人を「たましいの道を歩む人」と呼んでいます)。
ただ単に薄給で、経済的な見返りが少ないだけではありません。
要求される精神的なエネルギーはかなりのものですし、カウンセラーになるまでに、かなり険しい修行の道を歩んでいかなくてはなりません。
そう、カウンセラーになる道は、ある意味で「修行」の道です。
なぜならば
カウンセリングとは、相談に来た方(クライアント)が人生のさまざまな問題に直面し、苦しみさまよい続けるプロセスを通して、みずからの心の声に耳を傾け、多くの気づきと学びを得て自己成長をとげていくプロセス
であるからです。
だとすれば当然、
カウンセリング学習の中心も、クライアントが自己探求をおこない自己成長をとげていく、その体験の「器」としての、「カウンセラー自身のこころ」を深く掘り下げていくことにある
ということになります。
クライアントとして面接室を訪れる方の多くは、人生のがけっぷちに立たされ、自分と真剣に向きあって生きている方です。そのなかで、自分のなかの醜さや、むなしさや、嫉妬深さなどを見つめざるをえなくなり、それらとどうかかわって生きていくのか、人生の岐路に立たされている方です。
カウンセラーは、そのプロセスに同行することができる人でなくてはなりません。
半端な覚悟では、その暗さ、深さ、揺れにとことんつきあうことはできなくなります。クライアントさんが今そこで立ち往生している、暗さ、深さ、揺れの次元に共にとどまり続けることがつらくなって、カウンセラーのほうがすぐに逃げ出してしまいたくなります。そしてつい、「あなたは大丈夫ですよ」などと、根拠のない保証を与えたり、「あなたにはいくつも素晴らしいところがあります。もっと自分を肯定的に受け入れて、前を向いて生きていきましょう」などと、説教めいたアドバイスをしたくなったりします。
これらの多くは、カウンセラー本人がどのようなつもりで言っていたとしても、実は、クライアントのため、というよりは、カウンセラー自身のために発せられた言葉です。こうした「前向きなアドバイス」を与えると、クライアントが悩み、苦しみ、もがいている深さと暗さの次元から抜け出して、カウンセラー自身気持が楽になるからです。けっして、クライアントのためのものではありません。
そのため、こうした言葉を言われたクライアントは、多くの場合、「ひとり取り残されたような気持ち」になって、次の回をキャンセルしたり、その方とのカウンセリングそのものをやめたりすることが少なくありません。
また、こうしたカウンセラーのこころの動きは、多くの場合、すぐに相手に伝わってしまいます。
毎週一時間も、心の深いところから話をしているうちに、カウンセラー自身がどこまで自分と向きあってきたか、自分のなかの醜さや嫉妬深さなどの「闇の部分」をどれだけ見つめ、それをどう生きてきたかが、クライアントには伝わってしまうのです。
そこで「この人は、自分のこころに適当にごまかし、流して生きてきた人だな」とバレてしまうと、もう次の週からクライアントは来てくれなくなるでしょう。
カウンセリングにおける唯一の商売道具は、カウンセラー自身の「こころ」です。
どれだけ自分のこころを深く生きてきたか、とりわけ、嫉妬深さや相手を許せない気持ち、自分や人を非難する気持ちなどの否定的なこころの働きを、どれほど深く、自覚的に生きてきたかがそこでは問われます。
したがって、カウンセリング学習では、「自己と向きあう」こと、自分のこころの声を深く聴いていくことが、学習の基盤となります。
カウンセリング学習の基礎は、自己についての気づきと学びであり、みずからたましいの成長にほかなりません。
これは、一種の「修行」と言えるでしょう。
こんな道に、おいそれと他人を誘えるものではありません。
(実際、私は、学部の学生たちには、決してカウンセラーになることをやすやすと勧めたりはしていません)。
私はこの本で、あえてハッキリと「~せよ」と断定的に書きたいと思います。
それに必然的にともなう一面性もあえて引き受けたいと思っています。そうなると当然、それに賛成したくなる人も、反論したくなる人もいるでしょうが、そんなふうにして、読者の思考が活性化されればそれでいい、と思うのです。人間のこころという複雑な事象を活字で完全に表現するのは、しょせん、不可能なことです。
著書とはしたがって、真理を言い当てるためのものではなく、読者の思考を活性化する道具にすぎない-これが、本書執筆のスタンスです。
この本と出会われた方に、少しでも「カウンセリングって面白そうだな」「少し、勉強を続けてみるか」と思っていただけることを祈っています。
※2010年7月に出版された諸富祥彦著『はじめてのカウンセリング入門(上巻)-カウンセリングとは何か』の「はじめに」「パートⅠ カウンセリングとは何か」より著者の許可を得て改編のうえ転載。無断転載を禁ずる。
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