今月の1冊
2012年02月14日
グローバル人材のためのリベラルアーツのススメ
今、我が国すべての企業そして人が、望むと望まざるとに関わらずグローバル化の波を受けています。
仕事で外国人と接する機会のない人も輸入商品の消費者という立場で、ドメスティックな取引しかない企業でも原材料や最終消費地が海外であったり、またISOなどの国際基準という形で実質的にグローバル環境で戦っているからです。
だから今、”グローバル人材”が多くの企業、そしてビジネスパーソンのキーワードになっているわけですが、これを掲げるほとんどの企業と人がまず考えるのが、語学力(特に英語)の向上です。
これは決して間違ってはいませんが、たとえばTOEIC800点台の人間が100人増えたとして、それで「グローバル人材を育成できた」と考えたとしたら、それは大きな間違いです。(個人もまた同じ)
確かに私たちの活動全般においてコミュニケーションは必須であり、語学力はそのインフラです。しかしビジネスで多用される技術やマーケティング等の専門用語は元々英語が多く、たとえ英語中心のミーティングであっても、その道の専門家であれば概ね理解できますし、誰か一人(通訳含む)英語が堪能ならさほど問題があるとも思えません。
となると、語学力英語以上に重要なグローバル人材として「身につけておくべき」知識やスキルは何なのでしょうか。
知識という点ではもちろん専門知識は重要です。その道のプロでなければグローバル/ドメスティックに関わらず、相手と対等にビジネスすることなどできはしません。また、政治/経済/社会などの汎用的・時事的な知識も忘れてはならないでしょう。
スキルに関しては、やはり日本的な『阿吽の呼吸』や曖昧さが通用しないグローバルなコミュニケーションに対応するための思考・コミュニケーションスキルが必要です。
「語学力=コミュニケーション力」ではありません。
「相手の話を傾聴する」「適切に問いかける」「自分の主張を正しく理解させる」「短時間で説得力を持って伝える」などのスキルは、ドメスティックな環境以上に重要であり、ファシリテーションやプレゼンテーションのスキルはやはりしっかり習得しておきたいところです。
また、そうしたコミュニケーションスキルのベースとなるのが論理思考力、所謂ロジカルシンキングのスキルです。
論理の飛躍なく説明したり、相手から「この点は?」と突っ込まれないようにヌケモレなく考えるために、このロジカルシンキングを『グローバル人材の基盤スキル』と位置づけている企業も多く存在します。
では、語学力とともに『専門/汎用知識』と『思考・コミュニケーションスキル』が身についていれば、それは”グローバル人材”と呼べるのでしょうか?
実はそれだけでは足りないのです。
上記のような人材は、モデルとしてはMBAホルダーが近いと言えるでしょうが、実際MBAを持っていても、あるいはMBAホルダーと同等の知識・スキルを有していても「グローバルでは通用しない」人も多いのです。
彼らに足りなかったもの、それがリベラルアーツです。
リベラルアーツとは乱暴な言い方をすれば『教養』を意味し、大学における教養学部などは元々はリベラルアーツを学ぶために存在します。(その目的が果たせているかどうかは甚だ疑問ですが)
そう、グローバル人材には広く・深い教養」が知識やスキルとともに必要なのです。
しかし、なぜグローバル人材には広く・深い教養が求められるのでしょうか。また、具体的に必要な広く・深い教養とは何なのでしょうか。そしてどうすれば広く・深い教養が身につくのでしょうか。
今回はこの「Why?:なぜリベラルアーツがグローバル人材に必要なのか」、「What?:グローバル人材としてリベラルアーツの何を押さえておくべきなのか」、そして「How?:どのようにしてグローバル人材に必要なリベラルアーツを学ぶのか」について、私なりの考えを述べてみたいと思います。
1.Why?:なぜリベラルアーツがグローバル人材に必要なのか
リベラルアーツとはローマ時代に定義された、元々は奴隷でない「自由人の学問」を意味し、体を使って働く「奴隷が学ぶ技術」と区別するためにこう呼ばれました。
そのコンテンツとしてはローマ時代に7つの科目からなる「自由七科」として定義され、自由七科はさらに、主に言語系「三学」と主に数学系の「四科」の2つに分けられていました。ちなみに三学は文法・修辞学・論理学、四科が算術・幾何・天文・音楽です。
そして哲学はこの自由七科の上位に位置づけられ、自由七科の拠り所ともなりました。
では、このリベラルアーツがなぜグローバル人材に必要なのか。
その最も大きな理由が、「真のダイバーシティを実現するため」だと私は考えます。
ダイバーシティとは「多様性を認める/活かすこと」と訳され、自分とは異なる性別・人種・言語・文化、そして価値観や考え方などを否定せず、それを受け入れ、活かしていこうとする概念です。
我が国では女性の人材登用の流れとともに広がってきた考え方ですが、これこそグローバルビジネスにおいて必須の概念と言えるでしょう。
だからこそ多くの企業がダイバーシティの研修などを実施しているわけですが、残念ながら「多様性を認めよう」と教えるだけではこの考え方は定着せず、かけ声倒れに終わってしまいます。
なぜならば多様性を(心の底から)認めるには、その多様性が生まれる理由(なぜ人と自分は違うのか)を知る必要があるからです。
たとえばあなたは宗教についてどれだけ知っていますか?
毎日決まった時間に礼拝を欠かさないイスラム教の従業員達に対して「面倒くさいだろうに」などと考えていないでしょうか。また「イスラム教はテロリストの宗教」のような偏見を持っていないでしょうか。
そうした考えの持ち主が「多様性を認める」ことができるわけもありません。
単に「教わったから(言われたから)形だけは(仕方なく)多様性を認める」ことしかできないでしょう。
そう、ダイバーシティを阻害する最大の要因は無知なのです。
そしてグローバル人材はダイバーシティが「自然に」実践できるだけはいけません。もうひとつ重要なのは「日本人代表として日本と日本人を理解させること」、つまり相手にもダイバーシティを実現してもらうことです。
そのために必要なのが、日本の歴史・文化などを「語ることができる」ことです。
たとえば外国人に「なぜ相撲レスラーは裸なんだ?」と聞かれて「さあ?」では、教養あるビジネスリーダーとして認めてもらえないでしょう。
『相互のダイバーシティ』こそ真のダイバーシティであり、これが実現して初めてグローバル環境下での相互理解は成立するのです。
2.What?:グローバル人材としてリベラルアーツの何を押さえておくべきなのか
このようにグローバル人材にとってリベラルアーツは重要なわけですが、では私たちは具体的に何を学ぶ(知っておく)べきなのでしょうか。
まず押さえてほしいのが、ローマ時代でも自由七科の上位に位置づけられ、リベラルアーツ全ての源とも言える『哲学』です。
「小難しいのはイヤだなあ」と思わないでください。何も私は学問としての哲学史や著名な哲学者の著作を「全部読んで勉強しろ」と言いたいわけではありません。
重要なのは「哲学する」姿勢であり、これは「思考停止せずに常に問いを立て、自分の頭で考え続ける」ことです。
ただ、そのためにはやはり大まかな哲学の歴史と代表的な哲学者、そして彼らがどのように哲学したのかを知っておくことが大切です。「こいつとは考え方が似ている」「こいつの考え方には共感できる」という哲学者がひとりでも見つかれば十分です。
ちなみに私の場合は構造主義のメインアクター、であるソシュールやレヴィ=ストロースにバルト、そして「神は死んだ」などで有名なニーチェの考え方に惹かれます。
あなたも食わず嫌いをせずに、ちょっと哲学の森に足を踏み入れてみませんか?
そして哲学の次に押さえてほしいのが『宗教』です。
特に日本人は(私も含めて)宗教に鈍感(良い言い方をすれば柔軟)です。神社でもお寺でも、そしてキリスト教の教会でも躊躇無く足を運び、様々な神様(時には路傍のお地蔵様にも)に手を合わせて祈ることができるのは世界中見渡しても現代の日本人くらいのもの。
また「多神教は未開人の宗教。(イスラム教やキリスト教のような)一神教こそ文明人の宗教」という認識が世界的には幅を利かしている、という事実を知らない日本人の方が大多数でしょう。
私自身は「ひとつの宗教にこだわらない」ことが悪いとは全く思いませんが、時には政治にも介入しながら世界に秩序や道徳をもたらし、民の価値観を定め、そして様々な文化を形成してきたのが宗教であることは少なくとも認識すべきと考えます。
ある意味、人類最大の発明とも言えるのが『宗教』なのです。
これも専門家になる必要はありません。大まかな歴史と時代背景、各宗教の共通点と相違点をざっくりと知っておけば十分です。
そうすれば必然的に政治や産業、そして文化など、リベラルアーツの他分野の基礎知識も学ぶことになります。美術や音楽が宗教と非常に縁が深いのはご存じの通りです。
さて、もうひとつ押さえてほしいのが我が国、そう、『日本』についてです。
先に述べたように、グローバル人材には「日本人代表として日本と日本人を理解させること」が求められます。自社の製品・サービスだけでなく、「いかに日本と日本人が素晴らしいか」が語れなければ、代表として対等な立場に立てないのです。
「日本なんてたいした国じゃないよ」という謙遜はグローバル・コミュニケーションでは逆効果にしかなりません。(もちろん過度に語りすぎたり、偉そうにするのは論外ですが)
日本の宗教史や産業史、そして政治(権力の流れ)くらいはざっと復習しておくと良いでしょう。
できれば自分が尊敬する日本の偉人2~3人について語れるようにしたいものです。
あと、話のネタとして使いやすい日本文化として、文学(紫式部から村上春樹まで)、美術(縄文土器からポップアート、アニメまで)、音楽(雅楽からAKBまで)、スポーツ(相撲からサッカーまで)と何かひとつ自分の好きなものが「1時間は英語で語れる」くらいを目指してみませんか。
3.How?:どのようにしてグローバル人材に必要なリベラルアーツを学ぶのか
では、これらリベラルアーツに触れ、学び、あなたの血肉にするにはどうするのが近道なのでしょうか。
最も手軽なのはやはり本を読むことです。
哲学であればまずはヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』はいかがでしょう。小説仕立てですが元々は青少年のための哲学入門として書かれた本です。
「自分は何者なのか?」「この世界はなぜ存在し、何でできているのか?」・・・こうした哲学の根源的問いを、主人公ソフィーと哲学史を概観しながら学ぶことができます。
『ソフィーの世界』で哲学に対して抵抗がなくなったら、竹田青嗣さんの『自分を知るための哲学入門』をお勧めします。あなたが共感できる哲学者がきっと見つかります。
宗教については、橋爪大三郎さんの『世界がわかる宗教社会学入門』一冊で十分でしょう。これを読めば、宗教が世界秩序の成り立ちにいかに影響力があったかが理解できますし、宗教に対する偏見やアレルギーも払拭できるはずです。
日本について再認識するのであれば、私は網野善彦さんの『日本の歴史を読みなおす』をまずは推します。教科書に書かれているような表面的史実を追ったものではなく、膨大な資料から筆者が読み解いた日本の歴史がわかりやすい語り口で視点を絞って解説されています。『目から鱗』とはこういうことか、という部分がいくつも見つかるでしょう。
また、先月の当コーナーでも紹介した内村鑑三の『代表的日本人』は私もお薦めします。原書でなくても、解説書や現代語に翻訳したもので構いません。
大げさでなく、日本人としての誇りを取り戻すきっかけにもなるはずです。
そしてこれらの本をきっかけに、インターネットのリンクを辿るように様々な本に出会ってみてください。
さて、ひとりで本を読むのも良いですが、専門家の話を聞き、語らうのもまた広く・深い教養のためには欠かせません。
手前味噌ですが、実は慶應MCCの定例講演会『夕学五十講』はリベラルアーツの宝庫です。もちろん夕学五十講だけでなく、世の中には教養を広げ、深めるための様々な講演会や市民講座が存在します。
そうした場で話を聞き、そして他の参加者、時には講演者と語り合う。この体験は1冊の本を読破する以上のものをあなたに与えてくれるでしょう。
再び手前味噌ですが、慶應MCCの夕学プレミアム『agora』(アゴラ)はまさにそうした場です。
ちなみに前述の橋爪大三郎さんの『宗教を通して世界を知る』というagoraのプログラムが5月にスタートしますので、こちらも是非ご検討ください。
私も自分のプログラムや研修と重ならなければ参加してみたいと思っています。
「今月の一冊」のコーナーで一度に5冊の本を紹介してしまいました。
それも本の紹介に至るまでの前置きがほとんどですね。
しかし、拙文をきっかけにして一人でも多くの方がリベラルアーツの重要性と、それ以上に面白さに目覚めていただければこんな嬉しいことはありません。
私とてその重要性と面白さに目覚めたのはわずか3年前。まだまだ勉強を始めたばかりと言っても過言ではありません。
ただ、だからこそ伝えられることもあるとの思いで、私なりの「リベラルアーツのススメ」を書かせていただきました。
さあ、一緒に広くて深いリベラルアーツの海に漕ぎ出しませんか?
(桑畑 幸博)
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