今月の1冊
2012年03月13日
『あなたは欠けた月ではない』
― 故 高橋良子 慶應義塾大学環境情報学部教授を偲んで ―
真冬の曇り空の寒い日だった。高橋良子先生の訃報が届いた。突然だった。
早すぎる。2ヶ月後、この春にご退官を控えてのことである。残念だった。悲しかった。
良子先生は慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)設立当初より、英語・語学教育のパイオニアとして貢献され、SFCの礎を築いたお一人だった。
語学の授業があまりに厳しくて学校嫌いになった友人は、良子先生の授業を受けたことで英語嫌いと大学嫌いを克服した。米国資本の企業に就職した別の友人は、転機は先生がSFCに導入された米国大学への短期留学だったと話す。
私も、学生時代に良子先生に出会わなければ、今の自分はなかった。
先生がご退官されたら会いに行こうと、ずっと前から決めていた。
きっとその頃には先生も時間の余裕がおできになるだろうし、何より、自信をもって先生に会える自分になれている気がしていた。対等とまではいかずとも、せめてもう少し当時の先生に近づけて、おしゃべりも楽しいだろうと期待していた。お礼が言いたかった。遅かった。
お通夜からの帰り道、良子先生の生き生きとした姿が鮮明に思い出され、悔やんだ。
良子先生は素敵な方だった。凜としていて、強くもあった。そう、先生は、スタイルをお持ちだった。
スタイルを確立されていたことが先生の魅力そのものだったし、私が一番に先生から受けた影響だったと気づいた。その頃、ちょうど手に取っていた本書の、光野桃さんの言葉が先生の思い出と重なって、私の体に心に染みこんできた。
「「スタイルのある人」とは、結局自分のことをよくわかっている人、それを上手に気持ちよく人に伝える表現力を持っている人ということにほかならない。」
良子先生は、ご自分に似合うものをよくご存知だった。
深いグリーンやボルドーのニットアンサンブルや、アイロンのよくかかったシャツ。ベージュのタイトスカートに、すらりとしたきれな脚にパンプスが映えた。胸元にはメガネホルダーの細いゴールドチェーンがさり気なく垂れていて、パールと調和していた。
スタイルは決まっていて、数は多くなかったが、どれも洗練されていて、先生らしかった。
「自分を知っている知性と、美しいものを愛するパワー。」
光野さんの言う、そういう魅力が良子先生にあったのだと思う。
意見をはっきりとおっしゃる方だった。好き嫌いや興味の有無もはっきりと示し、無駄を嫌うところさえあったが、それでいて情緒的だったり、料理上手な奥様であったり、女性的な面をお持ちだった。そのアンバランスさえも、私にはとても格好よく映った。初めて出会った自律したプロフェッショナルの女性だった。先生の姿を思い出し、光野さんの言葉に共感する。
「「人は見た目によらない」とはよく言われる言葉だが、そういう意味で私はむしろ「人は見た目」だと思っている。ふとした外見に、人はその内面を無防備に覗かせているのではなかろうか。」
卒業と就職を控えたある日、良子先生の研究室を訪ねたことがあった。
あれこれ悩んだ割には、自分が決めたことに、私は、自信がもてずにいた。
自分の希望リストの上位にあったはずの、あるファッションブランドで、友人からも羨ましがられた就職先だった。しかし、景気低迷も乗じて就職活動のプロセスで味わった人生最大の挫折感が、いつまでも自分にまとわりついていた。
もっと他に自分に合う仕事があったのではないか。もっと計画的に、戦略的に就職活動すれば違った結果があったのではないか。大学院進学のこともなぜもっと真剣も考えてみなかったのか。就職は結婚するまでの数年のことと割り切っていていいのだろうか。迷いは尽きず、自分の中途半端さに、嫌気がさしていた。就職のご報告とお礼のご挨拶に立ち寄ったはずが、私は先生に思いを吐き出していた。良子先生は黙ってさいごまで聞いてくださって、そしてこうおっしゃった。
「学びたいことがはっきり見つかったら、学校に戻ればいいじゃない。
やりたいことがわかったら、自分で、やれば始めればいいじゃない。」
ぴしゃり。まさに頬を叩かれたようだった。はっと目が覚めて、前に進めたのだった。
そのとき先生は、言葉だけではなく、先生の存在で、生き方で、そのスタイルで、私に、教えてくださったに違いない。当時はわからなかったが今思い出しわかる。
こうして、社会人としてスタートを切った私であったが、すぐに次々と、躓いた。
はじめはファッションだった。店舗での接客、販売、棚卸し、清掃、仕事はすべて楽しくて、すこぶる順調だったのだが、問題はダサい自分だった。
「人にどう見られるか、という問題がファッションと直結した。そして自分がどうありたいのか、どの方向を目指して生きていけばよいのかがわからなく、混乱してくると、その混乱がそのままファッションにも反映されていった。」
学生時代、運動と勉強のみで、ジーンズとスニーカーで事足りていたのだから仕方がない。しかし自分の存在が商品の一部となる接客業には、通じない言い訳だ。私の甘さを西村さんという先輩はすぐに見抜いた。
「自分に何が似合うか、考えたこと一度もないでしょう?」
「あなたは真面目だけど、ファッションには不真面目よね。」
毎日叱られ、呆れられさえした。悔しいので自分なりに工夫するのだがそういう日ほど「ダサい」「おかしい」とストレートに言われた。口調はきついが、気持ちよいほど豪快で、派手なファッションとメイクが実に似合っていたから、説得力がある。
かといって、どうしてよいか全くわからないし、金銭的な余裕もないから、叱られ続けたが、西村さんの指摘を一言ひとこと、必死に吸収しようとした。
努力が認められてか、成長が遅いからか、どちらかはわからないが、あるときとうとう西村さんが私の買い物につきあってくださることになった。
西村さんが選んでくれたのは、白い、半そでの襟付きニットだった。
柔らかな細い糸で編まれ、袖はふんわり膨らんでいた。自分では思いもつかない選択で、好みではなかったし、「半そでなのにカーデガンなんて変なの」と思った。
しかし、着てみると驚くほど、よく似合った。
翌日、西村さんの指定通り、そのニットにベージュのスカートとフラットのシューズを合わせていくと誰もが褒めてくれた。お客さんにも褒められた。うれしかったし、鏡に映る姿は明らかにそれまで知らなかった自分だった。新しい自分が「好き」だと思え、自信がもてた。すると、先輩方のおしゃれのポイントも、お客さんの気持ちも、商品のこともそのときから不思議なほど、ぐっとわかるようになった。おしゃれに感情が入るようになった。
「センスとは、つまりは見ること、考えることなのだ。」
「スタイルを持とうとすることで、いつしか自分が見えてくる。
すると人のことも、またよく見えるようになる。人と自分が服を通して言葉を交わす。」
私にとっての白い半そでのニットは、自分を見つめ始めた、はじめの一歩だった。
好きなものと似合うものが違うこともある。センスは生まれ持ったものではなく意識をもって育むことである。仕事でも、生き方でも、同じことが言えるのではないだろうか。光野さんの言葉に、良子先生に、西村さんに、スタイルは生き方であることを教わった。
それから私は、縁あって転職し、慶應MCCの立ち上げから携わることになった。
20代の頃はすべてがチャレンジングで、いつも全力で夢中だった。がんばっている自分が気に入っていたし、自分の成長にも、仕事の達成感にも、手応えを感じ、おしゃれもただただ楽しかった。
おしゃれが苦痛な時期もやってきた。責任のある仕事、自分だけでは完結しない仕事が増えていった。新しいメンバーが増え、自分も物事がわかってきた分、他者との関係に対する苦手意識が大きくなった。人に自分がどう思われるかばかりが気になり、おしゃれも同じだった。
洋服はたくさん持っているのに、着る服がなかった。
そして、時間と経験を経て、いまがある。いま私は、まだ私のスタイルを探している。
おしゃれでも、仕事でも、生き方でも依然、迷い、悩んでばかりである。が、その迷い、悩みごと、前向きに受け入れよう、とは思えるようになった。
これだけは大切にしたい、自分らしさは何か、はわかってきた。
大切にしたい自分らしさと他者の期待は時に違うが、その折り合いも少しずつ上達する。
年齢とともに似合うものも変わるし、それ自体も楽しい。
おしゃれでも、仕事でも、人生でも、そんなふうに思えるようになってきた。
もう少し時間をかけて、じっくり、自分のスタイルを探してあげたいと思う。
「人は見た目」である。
自身の意識・無意識に関わらず、無防備に、自分の内面は外見に表れる。
皆さんも、たかがファッション、上面と言わずに、このことを自覚し、今までとは違った視線でご自身の外見にも意識を向けてみてほしいと思う。きっと新しい気づきがあるだろうから。
スタイルを探すことで自分も見えてくる。
自己との対話という意味では、皆さんには実は身近なテーマだとも思う。おしゃれとは
「人格が露呈される、というよりむしろ人格が服を着ている」
ものだと光野さんは言う。ミラノで、
「マダム、ネクタイはご主人がご自身でお選びにならなければいけません。」
と叱られ、教養としてのおしゃれを知った経験をされたそうだ。
こうした思いから本書をご紹介したのだが、同時に、私の原点とも言える大切なことだからでもある。
学びたいことが見つかったらいつでも学びに帰ればいい。偶然にも近い形で、良子先生の言葉が、自分のプロフェッショナルとなった。
皆さんに、いつでも学びに帰っていただける場・存在でありたいと願う。皆さんのスタイル探しのお手伝いになれたらと願う。それが良子先生への感謝の気持ちを表す方法にもなると信じている。
(湯川真理)
※引用部分は光野桃さんの2冊の図書より引用させていただきました。一冊目は光野桃さんの新著です。二冊目は私がはじめて読んだ光野桃さんの本、ちょうど西村さんに叱られていた頃でした。
『あなたは欠けた月ではない』文化出版局、2011年11月
『私のスタイルを探して』新潮文庫、1998年
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