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今月の1冊

2004年02月10日

小須田 健『日本一わかりやすい哲学の教科書』

日本一わかりやすい哲学の教科書
著:小須田 健 ; 出版社:明日香出版社 ; 発行年月:2003年4月; 本体価格:1,400円

加齢とともに自分の好奇心や興味の範疇が固定化してきているという危機感に襲われた私は、最近、これまで避けてきたことに無理やり目を向けるよう自らをけしかけています。

今回のテーマである「哲学」もその一つで、倫理社会の授業中、惰眠を貪っていた私にとって、それはそれは深遠かつ縁遠いキーワードでした。
しかし、当書読了後2日たつ現時点では、「哲学」に対する距離が一気に縮まった実感があります。電車の中でも気楽に読める、お薦めの一冊をご紹介しましょう。

当書は、2部構成となっており、1部が政治・恋愛・時間といった10以上のテーマを哲学の観点から考証してみる「実践編」、2部が30名近い西洋哲学家(野坂昭如氏が1976年当時、サントリーのCMで連呼していたソクラテスやプラトン、サルトル等が主役です)の時系列的事績紹介となっています。
私見で恐縮ですが、こういった解説本・テキストの類は初めの数頁で読者をキャッチできるかが鍵だと思っています。

その点、この本はなかなか秀逸な引きこみ方で哲学の世界への扉を開いてくれるので、今回は、ここを重点的にご披露したいと思います。

第1部の最初のテーマは「なぜ人は哲学をするようになったのか?」というタイトルです。ここで筆者は、「哲学のはじまりは問いかけである」→「子供の頃に、答えの与えられない疑問を問いかけたり、思春期に自分の存在について自問した経験があろう」→「つまり、哲学は誰もが一度は経験し、実践したことのあるものだ」という三段論法を展開し、哲学を身近なものとして位置付けます。

ところが、次のテーマである「哲学に何ができるのか?」の冒頭で、筆者は一転して次々と哲学を断罪していくのです。曰く、「実生活で何の役にも立たない。」「もっともらしい議論を展開して、人を煙に巻くくらいはできるかもしれない。」「眼に見える成果はもたらせない。」「物事の真理を知っても何のメリットもない。」云々。

そのあまりの痛烈爽快さにニヤニヤしていると、おもむろに「哲学はあらゆる物事をクールに見る目を養ってくれる。」というこの本を読む有意味性が語られます。
一度否定されたものがフォローされることで、却って余計な期待が軽減され、以降の本文がすんなりと入ってくる。そんな読者心理を熟知した構成に敬服しました。

ところで、「パラダイム転換」「ディコンストラクション」といった今でも現役のビジネスキーワードが、それぞれクーン、デリダという哲学家由来のものであるということはご存知だったでしょうか。不勉強者の私は、この本を読んで初めて知りました。
特に後者の言葉は1980年代後半の流行が再循環してきたようで、最近またポツポツと語られるようになってきています。(因みに、NTTコムウェア社が 2003年9月の時点で、他社とのリレーションシップや連鎖を視野に入れたビジネスプロセスの分解と再構築=ディコンストラクションの必要性を述べています。)

哲学家が語ってきた普遍的な理論が、これからも形を変えてビジネス・経営の世界で語られていくことでしょう。その際の基礎知識を獲得するという点でも、この本は大いに参考になります。
「何をするのか」「何が本質なのか」といった本質を問い掛ける際の観点として、哲学的思考は有効な筈です。
皆様方が、この本を通じて、「哲学」との対話を楽しむ冷静な視点を醸成していかれることを祈念して、私の拙い書評を終えたいと思います。

(黒田 恭一)

【追記】著者とメールのやりとりを行い、皆様へのメッセージをいただきました。ご紹介します。

「MCCてらこやをお読みの皆様。著者の小須田健と申します。私の先輩のある哲学の先生がこう言っておられます。『一口に問題といっても、WHATあるいはWHYに関わる問題とHOWに関わる問題とを区別する必要がある。ディベートや会議といった場面で要求されるのは、如何に自分の主張をスマートに相手に伝え、全員の賛同をえるかということに関する技術である。それこそが、まさしくHOWの問いの領分である。ところが、それとは別に、この仕事になんの意味があるだろうとか、なぜ彼は私の言っていることがわからないのだろうか、といった類の疑問は誰でも生きていれば不断にいだくことがあるだろう。そんな悩みに足をすくわれてしまった、ある意味では人生の落伍者(候補生)が哲学に流れてくる』(んだそうです)。だから、難しそうな顔して、しちめんどうくさい理屈をひねくり回している輩のことなど、憐れみつつほっといてあげてください。でも、世の中には役にたつ知識だけでなく、トリビアの泉というTV番組が流行っていることからも分かるように、無駄な知識、何の役にもたたない知識も無数にあるわけで、それはそれで人生のスパイス程度の喜びにはなるのでしょう。哲学もそんな程度のものだと軽くあしらってやってください。」

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