KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

今月の1冊

2013年02月12日

『日本のうた』

千住真理子、丸山滋 ほか; レーベル:EMIミュージックジャパン; 価格:2,800円
CD詳細

「夕焼け小焼け」や「赤とんぼ」を聴いて育った、遠い記憶がぼんやり浮かんでくる。
音楽は、その記憶を一気にたぐりよせ、目の当たりに懐かしさを蘇らせる。」
(千住真理子 本譜ジャケットより)

冬休みに、出雲・松江へ旅をしました。
『日本の面影』を読み、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の凜として美しい文章と、彼の描く日本の情景に惹かれて、”古代の神々のふるさとの地”を訪ねたくなりました。

「紫色の連峰が幻影を重ね合わせるように霞んでいき、しまいには大気の中に溶け込んでいる。」


連なる山々、雲と霧がまじりあいなす空気、静けさに響く音。ハーンが書いた通りでした。
「類いまれなる魅力」とハーンが愛でた日本人の昔ながらの慣習や人々の生活は、120年でずいぶん変わりました。けれど一方で、「どうしてこんなにも美しいのか」とハーンが感嘆した日本の情景を成すもの、空気を成すものはたしかに在りました。
はじめて訪れたのに、懐かしい気持ちがしました。
すると私の中でふわっと、ヴァイオリニスト千住真理子さんが奏でる 『日本のうた』 の旋律がわきあがりってきました。ああ、この音の心そのものだ、と思いました。
千住真理子さんと彼女のヴァイオリン ストラディバリウスが奏でる日本の心の調べ。多くの皆さんにぜひ一度聴いていただきたいと思い、今月はCDアルバム 『日本のうた』 をご紹介します。どなたにもきっと”美しく懐かしい”日本の情景を楽しんでいただけると思います。

「日本の歌にあるのは「かけがえのない日本そのもの」であり、失ってしまったものも、失っていない心も、歌には残されている。だから私は日本の歌を弾きたい、と思った。」

『日本のうた』には、こんな千住さんの思いが込められています。
「赤とんぼ」「故郷」「浜辺の歌」など12曲。千住さんのために、いまの日本のために、ヴァイオリンとピアノのためのクラシック音楽の小品として新たに編曲されて生まれた12曲です。
「浜辺の歌」。一曲ご紹介しましょう。
浜にやさしく打ち寄せる小さな波の音と心地よいリズムが、まさに聞こえてくるような冒頭の旋律。曲名を聞けば多くの皆さんが、この曲ねと思い出されることでしょう。私も大好きな一曲です。
はじめにヴァイオリン「浜辺の歌」をまずは通しで独奏します。波の様子は弓の返しや息づかいで上手に表現されていて、弦独特のぬくもりある音は、海特有のにおいや湿り気までも伝えそうです。
次にその旋律をピアノが受け取ります。きらきらとした粒揃いの音が、なめらかに連なり、同じ旋律ながらもまた違った表情を見せてくれます。そのピアノに揺られながら、ヴァイオリンはもうひとつ別の旋律、波でいえばすこし高さと距離と勢いのあるような旋律を重ねていきます。
さいごに、2つの楽器が美しい高音で1つに束ねられると、曲は転調して、ひとつ明るく、ひとつ力強く歌い、浜辺を印象づけます。
これまでにも日本の歌(唱歌)を楽器ソロや合奏曲にアレンジしたものありましたが、歌の存在感が強いために、主旋律とその伴奏という形が主でした。
この曲のみならず12曲すべてでこのように、ヴァイオリンとピアノが、はっきりとした意思をもって、モチーフとして取り入れた旋律をやりとりしています。ときに伸びやかに歌い、ときに相手を飾り際立たせ、またときにその役割を変えながら、実に、表情豊かに、個性的に、展開します。そのことが、全体として、ひとつの手応えある芸術を生み出しているのだと思います。
旅から戻り、ある千住さんのインタビューを読みました。その中の言葉に、そうか、出雲の情景と千住さんの音が私の中で重なったのはこういうことなのか、とはっとしました。

「『日本のうた』に内在する風景や色彩、空気の匂いは、いつも「そこに」ある。
「音」が奏でられれば永遠にそこに姿を現す。
歌詞が染みこんでいるそのメロディーが「音」になった瞬間、命が宿る。
その「命」に、多くの人の想いが幾重にも重なり、私も想いを重ねて演奏する。」

私はそれぞれの曲に情景を描きます。「浜辺の歌」では、じんわりと湿った影色の浜辺、その向こう遠くに青緑色のなだらかな山並み、小さな白い鳥が風をとらえふわり飛び立つ軽やかな躍動、そんな、音から姿を現してくる、記憶から紡いだ”私の浜辺”です。
日本の歌が、忘れられつつある、子どもたちに歌われることがなくなり継承されなくなってきている、と言われています。
歌詞に描かれているのは、古くからある日本の情景、人々の生活です。しかし時代の流れの中で、慣習や人々の営みが変容し、失われたものも少なくありません。教科書で紹介される歌が、いまの子どもたちにとって理解されやすい歌へと差し替えられるのは、残念ながら仕方のないことかもしれません。
だからこそ、このヴァイオリンとピアノのみで演奏される12曲が、古くからある音楽ながらも、私たちにいま新鮮な感動を与えてくれるのではないでしょうか。
歌詞・言葉から放たれることによって、旋律のもつ本質が際立ち、その本質をベースに”いま”の感性をもって、新たな命をもったことで、私たちにどこまでも懐かしく、それでいて新しく、響くのだと思います。
2011年3月11日、大震災の後、私たちの多くがそうであったように、千住さんも、自身が日本人であることを強く意識させられた、といいます。日本のために、被災地の方々のために、自分には何ができるだろうか。心を痛め、立ち止まり、悩まれました。そして行動されたことのひとつがこのCDでした。

「今いちど、日本を見つめ直し、誇りを持って、すばらしい日本を皆と共に思い出し、取り戻したい。日本のみならず世界中の人に、このすばらしい日本のメロディーを知って欲しい。そして大切な、愛する日本を、美しい日本を取り戻すために、様々な努力をしてきたい。今私は愛器ストラディバリウスで、日本の歌の魂をかなでたい。」

震災から2年がたとうとしているいまも、千住さんは、クラシック音楽のリサイタルにときおり日本の歌を加え全国各地で演奏し、そして仕事の合間をぬって東北の各地を回り、ボランティアでの演奏活動を続けられています。
『日本のうた』と千住さんの生き方そのものが重なり、改めて、日本の繊細であり力強くもある美しい情景は、日本の心のすばらしさを想います。
(湯川真理)

日本のうた』 千住真理子、丸山滋 ほか(EMIミュージックジャパン)

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