今月の1冊
2013年07月09日
『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』
森 博嗣; 出版社:新潮新書; 発行年月:2013年3月 ; ISBN:978-4106105104; 本体価格:735円
書籍詳細
なんて壮大で、おおざっぱなタイトルなんだろう。
タイトルが目にとまり手に取りました。目次を眺めると、各章のタイトルのほぼ全部に「抽象」の文字が入っています。「抽象的に考える」「人間関係を抽象的に捉える」「抽象的に生きる」・・・
論理的思考ならぬ抽象的思考法といったところでしょうか。抽象というと、もやもやして、はっきりしないというイメージを持っているので、「はっきりしないで考えるってなんだろう」そう興味を持って読み始めました。
抽象とは、個別具体的な情報を捨て去った(捨象)、物事の本質や汎用性の部分を言います。具体的な情報を捨てるので、限定しない、あいまいな表現になります。
ビジネスの現場では、「具体的に説明してください」と言われることはあっても、「抽象的に説明してください」と言われることは、まずないと思います。しかし、抽象的に考えようとすることで、ものごとのが見方が変わり、ひいてはビジネスにも役立つ可能性が十分にあるのではないでしょうか。
抽象思考の方法として、いくつかのとても面白い、わかりやすい例が紹介されています。
たとえば「~のような」という表現。「バールで金庫を壊した」と伝えられた捜査員と、「バールのようなもので金庫を壊した」と伝えられた捜査員では、捜査の仕方が全く異なります。「バール」と具体的な情報を与えられると、「バール」を一生懸命探してそれ以外は排除してしまいますが、「バールのようなもの」であれば「バールを含めそれと同じような使い方や機能を持つもの」が捜査対象になります。あれもアリなのではないか、過去にこんな体験があったぞと、捜査員一人ひとりの経験や価値観がフル回転するのです。
また、別の例として、接客マニュアルに基づく接客は、完成度が高ければ高いほど、現場をコントロールする人のリスクは少なくなります。店員も、考えなくてもいいのである意味ラクです。ただし、お客は最初こそ感心しても、まもなく慣れてしまい、どの店員も印象に残らなくなります。
一方、もし「お客様を大事にしなさい」と指示したら、どうでしょうか。店員は「大事にする(される)」とはどういうことかを考えなければなりません。個人のバラバラの価値観を共有し、すりあわせ、「大事にする」ということを具現化しなくてはなりません。成長には時間がかかり、行動レベルにはばらつきがでるでしょう。トライアンドエラーを繰り返し、現場は混乱するかもしれません。けれどもそのリスクを乗り越えたとき、まったく新しい素晴らしい接客サービスが実現できるかもしれません。人と人との関係を育むこと、人が育つ、育てるということを考えたとき、「教育とは待つことである」という言葉を私は思い出しました。
じゃあ、”具体的に”どうすれば抽象的な考え方ができるのか?
と聞きたくなる私に、著者はその手法はない、と断言します。「抽象思考のノウハウ」とは、そもそも矛盾しており、具体的に説明すればするほど、具体例に目を奪われて本質が見えなくなってしまうからです。
とはいえ、それでは無情・・・と思ったか思わなかったか。
著者は「手法のようなもの」をわかりやすく提示してくれています。
- なにげない普通のことを疑う。
- なにげない普通のことを少し変えてみる。
- なるほどな、となにかで感じたら、似たような状況がほかにもないか想像する。
- いつも、似ているもの、喩えられるものを連想する。
- ジャンルや目的に拘らず、なるべく創造的なものに触れる機会を持つ。
- できれば、自分でも創作してみる。
たとえば喩えでは、「蝶のような花びら」ではなく、「苦虫をかみつぶしたような」くらいの、なかなか思いつかない比喩をめざします。見出しだけではそれほど特殊なことを言っているとは思えなかったのですが、こうして具体例にすると、より遠く高いところをめざしていていることがわかります。
加えて著者は、「もうちょっと考えよう」と訴えかけます。あまりにも「調べる」「人に聞く」人が増えて、自分で考える人が減り、さらにネットですばやく情報にアクセスできるので、考えるより先に検索窓に打ち込んで結果をクリックし、抽象的に考える時間が減っているというのです。
普段から何でも「グーグル先生」に聞く私は、恥ずかしながらこのことに初めて気づきました。たいていのことは何でも調べればわかる現在、「調べればわかることは憶えなくてもいい」という風潮に同意し、実際にそうしていましたが、憶える時間と一緒に考える時間も減らしてしまっていないか、そこから見直さなければと思いました。
最後に、著者は頭の中に「思考の庭」をつくることをすすめます。
庭とは考えを自由にめぐらせる場のようなものであり、作家でもある著者ならではの美しい比喩ですが、「庭」であることの理由は、ご自身の趣味であるガーデニングに由来します。秋の手入れが翌夏に現れたり、2年、3年前に植えた種や球根が、あるものは芽を出したり、あるものは全滅したり、そんなどうにもならない自然を相手に、毎日コツコツと手入れし続ける。するとある日、「なかなかいい庭だな」と思う景色が現れることがあるのだそうです。
ぼんやり考え、決めつけず、固執せず、悩むことをよしとする、そんな庭を自分の頭の中につくり、毎日庭いじりをして、発想の種を育てよう。そうすることで、感情や主観とともにバランスの取れた人間が増え、社会の品格が向上し、最終的に人類の平和につながると、著者はけっこう信じているのだそうです。
「人間というものは、基本的に自分自身を良い方向へ導く力を持っている」と信じている著者のあたたかい励ましが、これからも続く「いろいろな問題」をぼんやりと照らす明かりのように感じられました。
(今井 朋子)
『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』 森 博嗣(新潮新書)
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