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今月の1冊

2015年01月13日

『ガウディの伝言』

ガウディの伝言
著:外尾 悦郎 ; 出版社:光文社新書 ; 発行年月:2006年7月; 本体価格:1,026円

2026年。
1882年に着工されたサグラダ・ファミリアの建設完成をめざしている年とされています。
スペイン バルセロナにあるガウディによる奇想天外なデザインのカトリック教会は、世界有数の観光名所であり、世界一有名な工事現場とも言える建造物。それがあと10年ちょっとで完成かと思うと感慨深いものです。
 
本書の作者 外尾悦郎さんはサグラダ・ファミリアの彫刻師として働く日本人です。
外尾さんはおっしゃいます。
 
ガウディを見よう、ガウディに近づこうとしていた時は、容易に近づけるものではなく辛く苦しかった。しかし、自分がガウディになろうとするのではなく、ガウディの視線の先にあったものを見ようと考えたとき、ガウディの見ていたものを一緒に見、行こうとしていた方向に一緒に行こうとしたとき、気が楽になったと。
 
サグラダ・ファミリア。
それは、二代目主任建築家として就任した当時31才のアントニオ・ガウディの奇想天外とも言えるデザインが大成される、聖家族(イエスと聖母マリア、そして義父ヨゼフ)に捧げたカトリック教会です。
 
訪れたことのある方ならば、その大きさと奇抜なデザインに驚くことご存知のはず。
私も2年前に訪れた際には、目の前に立ちはだかる巨大な石の建物に圧倒されました。
 
さらには、建物壁面に掘られた聖人や天使像の彫刻の優美さと繊細さに感銘を受けます。聖堂のなかに入ると、高い天井から放物線状に広がる柱の数々はあたかも森の中にいるよう。ステンドグラスもあり、窓から入る柔らかな木漏れ日のような自然光。塔を登ると、これまでの荘厳な雰囲気が一変し、黄色やピンクのカラフルな球体の彫刻にビックリします(この球体はかごに盛られたフルーツを模した彫刻群であると後から知るのですが)。
 
ゴシック様式の伝統的な構造やデザインとともに、聖家族に捧げた教会にしては、一見すると似つかわしくないのではないかと思う奇抜なデザインが混在しています。それこそがサグラダ・ファミリアの素晴らしさであり、教会の建物とはかくあるべきものという、私たちの持つ”枠組み”を消し去ってくれる天才ガウディの遺大さであると感じます。
 
建設着工から約130年、ガウディの死から90年弱。
未だ建設が続くこの歴史的建造物。全体の構造とデザインを知るガウディが亡くなっても、どのようにして彼の意志を受け継ぎ、細部に至るまで形に仕上げているのでしょうか。
 
今でこそ、サグラダ・ファミリア建設の代表的な彫刻家の一人となっている外尾さんですが、1978年、25歳の時、何のつても身よりもなく単身スペインに渡り、当時の建設主任による厳しい試験を通り、初めて建設に参加しました。
 
丁寧な仕事ぶりと、石を彫ることを誇りに思う石工としての強い意志、そして何よりも亡きガウディの想いと対話し、形にし続けようとする、真摯な姿が評価されています。その証拠に、建物の象徴とも言うべき「生誕の門」にある「聖家族と天使の彫刻」を彫りあげるという大仕事も任され、現在に至っています。(この彫刻群を彫るのに外尾さんが16年もかけて創り上げたことにも驚きます)
 
そんな外尾さんのおっしゃる「ガウディの視線の先にあったものを見る」とは、どんなことなのでしょうか。ひとつ、図面の話題から感じました。
 
ガウディが残した図面は、スペイン内乱のなかで燃やされ、今日ほとんど残っていないと言います。そもそも、ガウディ自身が図面には重きを置いておらず、役所に提出するために仕方なく描いた程度だったのだそうです。
 
図面もないなかで、どうやって現在の職人たちはガウディの意図を読み、建築物として作っているのか、素人からすると不思議なことばかりです。
 
しかし外尾さんは、むしろ、図面なんて必要ないのではないか、とおっしゃいます。
ガウディは、図面ではなく模型を用いて、当時の職人たちに建物の構想を伝えていたそうです。彼の頭の中で生み出されるイメージは、二次元の図面では表現しようのないものであり、図面に細かく描かなければならないとなると、どうしても発想が二次元の世界に縛られダイナミズムが失われてしまうと言うのです。
 
図面に描きやすい四角ばかりの建物を見慣れている私たちからすると、ガウディの作品が不可思議に見えるのも、この立体で発想したイメージをそのまま形としてつくりだされているからかもしれません。
 
細かな指示が記載されている図面がない代わりに、職人たちは自分たちで想像力を働かせてガウディが創りだそうとしている世界、はどのようなものか対話し、また自らに問いかけ創り続けていると言います。
外尾さんいわく、ものをつくる人間をダメにする方法は、ただ一つ。全体を考えさせず、細かい作業をひたすら義務としてやらせること。
 
もちろん、対話する、自ら問いかけるといっても、それがあさっての方向に行ってしまっては元も子もありません。
職人たちもまた建築や彫刻への知識や理解を深め、それを頭のなかだけではなく、身体知としてものづくりに落とし込む力が求められるのです。
 
スペインの地で生まれたわけでもなく、独り日本人である外尾さんは、職人たちのなかで苦労も多かったこと、本書のなかでも少しだけ漏らしていらっしゃいます。
 
それを補うかのように、外尾さんは、素材である石を知り、キリスト教について学び、ガウディの生涯について入っていこうとしました。サグラダ・ファミリアの建築を依頼された時にガウディが懸命に取り組んだこともまたキリスト教の勉強だったそうです。すべての万物は神の創造によるものであることを得て、サグラダ・ファミリアの至る所に自然、特に植物をモチーフにしたものが彫られています。
 
冒頭で紹介した外尾さんがガウディの視線の先にあるものを見ようとした時、それは自分を無に近づけて、石を彫っていく瞬間。ガウディが「よし、思い切ってやれ」と言ってくれるようにも思え、痺れるような自由をも感じたそうです。
 
私たちは、何かに向き合う時、一生懸命になるがあまりつい真正面から向き合うことばかりを選んでしまいがちです。仕事でも、生き方でも、人間関係においてでも...。
 
正面からのみ見ていては、その姿の”いま”しか見えませんが、立ち位置を変えてみることによって、見える姿は変化します。
時に横に並び、一緒の方向を見て、先にあるものに思いを馳せてみる。
 
外尾さんのガウディを見る眼、サグラダ・ファミリアを思う気持ちは、真摯に何かに取り組むことにおいて大切なことを教えてくれているように思います。
 
完成まであと約10年ちょっとに迫ってきたサグラダ・ファミリア。
完成した時、外尾さんの眼には、ガウディの視線の先に何が見えているのでしょう。
 
行く末を考えるとワクワクするサグラダ・ファミリアの完成です。そして、ぜひ完成した姿をこの目で確かめたい、また訪れたいと、私たちを虜にするサグラダ・ファミリアなのです。

(保谷範子)

ガウディの伝言』 光文社新書

 

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