今月の1冊
2016年05月10日
ビジネスという名の戦場で戦う人へ
「勝てば官軍」を辞書で引くと、以下のように書いてある。
“勝てば官軍 ほんとうはまちがっていることでも、あらそいに勝てば、それが正しいことになる、ということ。” (注1)
そんな言葉を書名に付けるとはなんて挑発的なのだろう、というのがこの本を目にした時の率直な感想であった。『勝てば官軍』の著者である藤田田(ちなみに著者名には「(デンと発音して下さい)」との但し書きが付いている)は1971年に日本マクドナルド株式会社を立ち上げた人物であり、2003年まで、亡くなる1年前まで日本マクドナルドの事業に携わった人物である。
中学生時代、私はマクドナルド常連客だった。映画『スーパーサイズ・ミー』(注2)を見て以来、その足は遠のいたが、かつては学校と塾の合間に週1回はマクドナルドで夕飯と宿題を済ませていた。理由は低価格によるところが大きかったと思う。その2003年当時、ハンバーガー1個は80円。破格で無茶な値段設定というイメージを持っていたが、その裏には緻密な仕入れ管理や購買心理についての戦略があり、藤田自身の言葉を借りるなら”適正価格”であったということを、本書を通じて今回初めて知った。
低価格戦略と店舗展開により、日本マクドナルドはめざましい成長を遂げ、設立から20年で外食産業として初となる年商2,000億円を達成した。その後も、日本の世間一般が「失われた10年」にあえぐ中、日本マクドナルドは快進撃を続ける。『勝てば官軍』は日本マクドナルドがハンバーガー市場の50%を占め、60%に到達するのではないかと言われていた1996年に書かれた本である。
「勝てば官軍」の考え方は、書名のみならず本文においても表現を変え、たびたび登場する。
“自分が儲けるためには、相手をどん底に陥れる。そうしなければ自分がやられる。おたがいに食うか食われるかの修羅場で戦っているのだ。“ (注3)などはまさにその代表例だ。ビジネスにおいてはWinning is Everything:勝つことが全てだと著者は唱える。そして、ビジネスにおける敗北とは「倒産」に他ならない、とも。
とはいえ、著者の主眼は「自分が強くなることで、圧倒的に勝つ」というところに置かれており、「いかに他人を蹴落して勝つか」というところにはない。企業たちよ、もっと勝ちを取りにいこうではないか、と藤田田はこの本を通して呼びかけているようだ。寡占状態になりつつあるハンバーガー市場の現状を前にして、彼は次のように述べている。
“わたしは、こんな状態をよしとしてはいない。他社ももっと強くなってほしいと願っている。勝てば官軍的増上慢からではない。企業は自由競争あってこそ成長していくのである。わたしは熾烈なビジネス戦争を戦いたいのである。” (注4)
日本マクドナルドにおいて、藤田が志したものは「日本人の食習慣を変えてみせる」ということであり、米と魚中心であった日本の食文化にアメリカからやってきたパンと肉のハンバーガー文化を浸透させるということであった。その実現こそが日本マクドナルド、そして藤田田にとっての「勝ち」だったのだ。
本書にはその「勝ち」に向かって、日本マクドナルドを成功へ導くために彼が行ったことが紹介されている。それらは突き詰めれば、孫子の名言“彼を知り己を知れば百戦殆うからず”に集約されるであろうが、この本の良いところは、どう変革を断行したかとともに、なぜそのような戦略をとったのか、どのような視点でリサーチを行ったのか、藤田自身の考えとその考え方が紹介されている点である。中でも私のお気に入りは、出店場所を決める際に、「売れる」土地柄の判断材料として幕府の天領であったか否かを用いたエピソードだ。歴史や地理がビジネスにクロスする瞬間。知識が単に知識として片付けられず、活かされていく様は、読んでいて実に気分がいい。
2004年頃に発生したBSE問題や、その後追い打ちをかけるかのように発覚した中国工場で生産した鶏肉の偽装問題や異物混入などにより、1990年代の好調とは打って変って逆風にさらされている日本マクドナルド。しかし、見方を変えるならば、近年は不調が続いているということがニュースに取り上げられていること自体、マクドナルドが一時のブームに終わらず、未だ日本の食の世界で存在感を保っていることの証と言える。ハンバーガーを日本の食文化に浸透させるという、創業者の当初の目標は叶えられたのだ。
コンピューター技術の発達により、将来あらゆる面でスピードが加速し、今まで人間が行っていた仕事をコンピューターがこなす「人間、受難の時代」がくるのではないかと藤田は述べる。今年1月のダボス会議で「職の将来」がテーマに取り上げられていたが、そこで発表されたデータ(注5)によれば、2015年から2020年、生み出される職が200万であるのに対し、新技術の活用によって無くなる職は710万に上るそうだ。彼が予想した未来がまさに現実になりつつあるのだ。
「人間、受難の時代」「恐ろしい時代」と言いつつも、藤田はむしろそれをニュービジネス創造のチャンスだと生き生き語る。雑学も積極的に吸収し、経験が豊富であるトップが仕事の最前線で働かなくてはどうする、と自らコンピューターを操っていた、藤田田。10年前と今では、市場の様相も企業の攻勢も時代のあり方も異なる。しかし、彼の「どんな状況下にあっても、視野を狭めることなく学び、時代を読み、先を見据えて変化し、進んで行け。成長しろ。」というメッセージは昨今の厳しいビジネスの世界を生きる人々にも響くのではないかと思う。
「ビジネスの世界で勝つためには、人間を良く観察することだ。そしてそれに併せて変わることをやめてはいけない」と藤田は主張する。経営やビジネスというものは人間が行うものであり、基本的には人間相手に行うものだからである。アタリマエであるがゆえに、ともすれば忘れられてしまうこと、「ビジネスとは人の営みである」という事実が、会社経営においても鍵を握っているのだと、この本を通して強く意識させられた。
己は性悪説に立って物事を考えると明言し、「敗者の美」を受け入れる文学などで飯が食えるかと言い放つ藤田と、どちらかといえばビジネスの戦場からは程遠いところでぬくぬくと文学を学んできた私とでは、価値観がだいぶ異なるだろう。それゆえ、読書中、彼の強気な発言に度肝を抜かれることもあった。しかし、読み進めていくうちに、彼はビジネスについては勝ちか負けるかの戦場だと主張しているが、その経営にあたっては人々にとってよりよい、より心地よい社会の実現に向けて、人間をつぶさに観察する人文科学者のような側面を持ち合わせていたことが伺えた。おそらく彼は、ビジネスを戦いの場と見なし、その戦場をこよなく好んだと同時に、人間好きな人物でもあったのだろう。
藤田はこう語る。
「世の中の景気がいい、悪いというなかれ、あたえられた環境はみな同じなのである。勝って”官軍”となるかならないかは、人それぞれが新しいビジネスを創造しうるかどうかにかかっているのである。」 (注6)
『勝てば官軍』は落ち込む日本経済とそこでもがいている人々への藤田田からの叱咤激励と言えるのかもしれない。
(田口 舞)
(注1)『例解新国語辞典』第5版、株式会社三省堂、1999年、189頁
(注2)モーガン, スパーロック 『スーパーサイズ・ミー』(映画)、2004年
(注3)藤田田『勝てば官軍』、KKベストセラーズ、1996年、98頁
(注4)藤田田『勝てば官軍』、KKベストセラーズ、1996年、34頁
(注5)The Future of Jobs : http://www3.weforum.org/docs/WEF_FOJ_Executive_Summary_Jobs.pdf
(注6)藤田田『勝てば官軍』、KKベストセラーズ、1996年、254頁
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