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今月の1冊

2018年07月10日

吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)

君たちはどう生きるか
著:吉野源三郎 ; 出版社:岩波書店 ; 発行年月:1982年11月; 本体価格:1,048円

久しぶりだね、コペル君。
小学3年生頃のことだっただろうか、「今のうちに読んでおいた方がいいよ」と母親から手渡されたのは。
以来、吉野源三郎全集1 ジュニア版『君たちはどう生きるか―波涛を越えて』(ポプラ社、1985年)は今日に至るまで自室の本棚に収まっている。
灰谷健次郎『天の瞳』やアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』、ジョージ・マクドナルド『リリス』等々、同じ頃に同じ理由で私の元にやってきた本はいくつかある。そんな中で、問いかけのワンフレーズがそのままタイトルになっているこの本は、それだけで幼い私の心を捉えた。

作夏の『漫画 君たちはどう生きるか』の出版を皮切りに、いま再び脚光を浴びている『君たちはどう生きるか』。今年放送されたあるラジオ番組でジャーナリストの池上彰氏が語っていたことに、ほほうと思ったことがある。この本は、大人が子どもに買い与えるケースが多いのではないかという。(池上氏との出会いも、父親のプレゼントがきっかけだそうだ。)というのも、大人が我が子に面と向かっては言いにくい「どう生きたらいいか」を伝えてくれる作品であるから。なるほど、この物語は、コペル君と周りの人とのやり取り、そしてコペル君への示唆に富んだコメントが綴られた叔父さんのノートを通して、コペル君の学校生活での出来事や、それに対するコペル君の悩みや葛藤を含めた様々な思いが描かれる。そこには、あえて人には言わないような、小さな出来事に対する心のひだから、語り合うには小恥ずかしい、直接は言いにくい、しかし生きるうえで大切なことが詰まっている。

「もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれがりっぱなこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きていこうとするならば、―コペル君、いいか、それじゃあ、君はいつまでたっても、一人まえの人間にはなれないんだ。」(岩波文庫)

気づいたら、旧制中学2年生のコペル君の年齢を追い越し、大学を卒業して間もないという叔父さんの年齢も追い越し、ひょっとしたらコペル君のお母さんの年齢も追い越してしまった。行動範囲も広がり、できることも経験も増えた。しかし、いま改めて読み返してみて、自分は果たして「大人」たりえるのか。少なくとも年齢の上では大人になった今、上記をはじめ叔父さんの言葉に度々どきっとした。

コペル君の物語を思うとき、いつも心に浮かぶエピソードがある。あることで深い後悔の念にさいなまれ、床に伏せっているコペル君へ、お母さんが語る「石段の思い出」だ。

自分の前を、おばあさんが重そうな荷物を手に、階段を危なげな足取りでのぼっている。持ってあげようと思いつつも声をかけられず、そうこうしているうちにおばあさんは階段をのぼりきってしまう。

「おばあさんの大義そうなようすを見かねて、かわりに荷物をもってあげようと思いながら、おなかの中でそう思っただけで、とうとうはたさないでしまった。(中略)ほんのささいなことでしたけれど、おかあさんは、後悔したんです。あとになって、なんと思ってみたところで、もう追っつかない。この追っつかないということでは、こんなささいなことだって、やっぱり、おかあさんにはつらいことだったわ。」(ポプラ社ジュニア版)

このシーンが現在に至るまで心に残っているのは、当時、自分も同じようなことを経験し、そして同じような気持を味わったためだ。実に単純で、物語を表層でしか読んでないと言われてしまうかもしれないが、自分では言い表しようがなかった何とも居心地の悪い自分への腹立たしさと後悔の混じった感情を、この話が代弁してくれたのだ。それはつまり、今になって分かることだが、コペル君のお母さんの語りが、コペル君の心を軽くしたように、小学生だった私にも寄り添い、なぐさめてくれたからであろう。

歳をとり、経験を重ねてくると「自分もそんな経験をしたことがあるよ」「だけれども、何とかなるものだからさ」と言えるようになる。同じような経験をしたことがあるからこその“共感”であるし、嘘ではないのだが、コペル君のお母さんの対応をみて改めて、真の意味で共感とは、他人を慮るとはと考えずにはいられない。

「大人というものは、どうしてこうも、けろりと、自分の子どものころを忘れて、子どもだって、時には随分悲しく、不幸なことだってあるのだということを、まるでわからなくなってしまうのでしょう。」(講談社青い鳥文庫)

『君たちはどう生きるか』と同じ頃、ナチス支配下のドイツで書かれた児童文学作品、『飛ぶ教室』においてエーリッヒ・ケストナーが述べていることだが、コペル君の叔父さんが言うように「人間がとにかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、おとなのあいだにもまだまだ根深く残っている」というのは本当なのかもしれない。

約20年の年を経て読み返してみて、なんだか反省することばかりだ。
しかし、しかしだよ。
久々に会えて良かったよ、コペル君。

今回はじめて、『君たちはどう生きるか』が世に出たのが1937年だと知った。そして戦争の中で、刊行ができなくなってしまったことも。1930年代といえば、1931年の満州事変に始まり、翌年の五・一五事件、1936年の二・二六事件、そして1937年 盧溝橋事件から日中戦争・太平洋戦争へと日本が突き進んでいく時期である。この時期を思うと、今の日本はなんと一人一人が考える余地が存分に与えられていることだろう。

君の物語が、君と叔父さんや、君とお母さん、君と友だちとの物語が、一人でも多くの人に読まれることを願っている。そして願わくは、この一冊がこの先も親から子の世代へ、子の世代から孫の世代へと、絶えることなく読み継がれていく平和な世の中であるように。

(田口 舞)

君たちはどう生きるか』(岩波文庫)

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