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今月の1冊

2020年06月10日

エド・キャットムル、エイミー・ワラス『Creativity, Inc.: Overcoming the Unseen Forces That Stand in the Way of True Inspiration』

Creativity, Inc.: Overcoming the Unseen Forces That Stand in the Way of True Inspiration
著:エド・キャットムル、エイミー・ワラス ; 出版社:Random House; 発行年月:2014年4月; 本体価格:Kindle版1,000円税込

変化の激しい時代に追いつくべく―もっと言えば時代を創るべく―ビジネスパーソンのほとんどが、クリエイティブでありたいと願っているに違いない。私もまたその一人であり、クリエイティビティを刺激するためのヒントを求め、本書を手に取った。意外なことに、エド・キャットムルは本の中で”クリエイティブ”そのものを定義はしていない。ここに書かれているのは、クリエイティブなアイディアを生むプロセスを守るための実践的な手法と、その根底に流れる哲学である。ピクサーのマネジメントの中でも極めて特徴的な”Braintrust”と”Notes Day”の成功の要因から、その哲学と実践を垣間見ることができる。

Braintrust

Braintrustは、Toy Story 2の制作が行き詰った際に導入した会議(体)だ。Toy Storyのオリジナル版を創ったメンバーを集めたその会議は、フィードバックの”率直さ”によって互いのクリエイティビティを引き出し、見事Toy Story2を正しい軌道に戻してみせた。Braintrustが他のフィードバックの仕組みと違っている点は、大きく二つあると述べられている。即ち、①メンバーがストーリーテリングを深く理解しており、監督が置かれている状況を経験したことがあること、そして②監督を従わせるための権限を持っていないことである。では、同様の会議を設ければ如何なる会社もピクサーのように上手くいくか?答えはノーだ。

ウォルト・ディズニー・アニメーションは、ピクサーとの合併後、Braintrustを参考に社内の会議体(Story Trust)の改善を図っている。長年続いた官僚主義的な体制の中で、従業員の率直さを引き出すことの難しさは、ディズニー監督の告白によって端的に表現されている。

Afterward, one of the Disney directors confided to me that many people in the room had major reservations about the film but didn’t say what they thought because John had kicked things off so positively. Taking their cues from him, they didn’t want to go against what they thought he liked. Not trusting their own instincts, they held back.
会議メンバーの多くは、American Dogに対して大きな心配事を抱えていたが、思ったままを口に出すことは憚られた。ジョン・ラセターがポジティブな意見から始めた以上、彼が賛同してくれたパートに反対意見を述べることなど、とうていできなかったのだ。(p259)

このエピソードから分かるように、クリエイティブなプロセスを生み出すためには、単にフィードバックの機能があるだけでは足りず、社員がその場で自由に振舞える環境があることが肝要だ。エド・キャットムルが間違うことを受容するどころか奨励するのは、そのためであろう。そうした環境を維持することは容易ではなく、ピクサーでさえ壁にぶつかりながらコントロールを保っていることが、Notes Day考案の背景からも読み取れる。

Notes Day

1995年のToy Storyから始まり、2013年のMonsters Universityまで、ピクサーは常に名作を生み出してきた。しかし成功の裏側で、ピクサーで働く人々が完璧でないアイディアを出すことを躊躇するようになっているのを、エド・キャットムルとジョン・ラセターは感じていた。そこにコストカットの要請も重なり、ピクサーは危機に直面していた。そこで考案したのがNotes Dayだった。Notes Dayとは、その日の仕事をストップさせて、全従業員が現状の問題に対する解決策を考えるセッションだ。1日の終わりにはコスト対策のための多くの提案が生まれただけでなく、「クリエイティブなアイディアはどこからでも生まれる」という信念を取り戻した高揚感に包まれたと、綴られている。

Notes Dayのようなセッションは、組織開発を行わんとする多くの企業でも実施されているだろう。しかしながらそれは、ピクサーと同様の効果を保証するものではない。経営層との座談会が株主総会のような雰囲気になってしまったり、従業員同士の対話が特定の部署の欠席裁判と化してしまったりといった、無念な例はよく耳にする。Notes Dayの章の最後には、クリエイティブな環境を維持するために養うべき視点とも捉えられる一節が記されている。こうした考え方がベースにあるからこそ、Notes Dayを成功に導けたのかも知れない。

I already can sense the next crisis coming around the corner. To keep a creative culture vibrant, we must not be afraid of constant uncertainty.(中略)We will always have problems, many of which are hidden from our view; we must work to uncover them and assess our own role in them.
私は、次の重大な危機がもうすぐそこまで来ているとすら感じる。クリエイティブな文化を維持するためには、絶えず続く不確実な状況を恐れないことだ。(中略)私たちはいつでも見えない問題を抱えている。結果的にどんなに居心地の悪い状況に追い込まれたとしても、私たちはその問題を明らかにし、自分の役割を考えないといけない。(p295)

経営者ができること、私たちができること

ピクサーのクリエイティブな文化を守ってきたのは、常に―たとえ成功している時であっても常に―問題を明らかにしようとする意識であり、BraintrustやNotes Dayはあくまでその手段だ。しかし意識というのもまた曖昧で、善良な経営者の多くがそういった意識を持ち合わせているようにも思う。

ピクサーが他の企業と比較して特別だったのは、経営者たちが社長室や役員室の外に積極的に出かけていたことにある。即ちエド・キャットムルがあらゆる段階でエラーを最小限に抑えるための手を打ち、クリエイティブな文化を維持することができたのは、オフィスの中にこもろうとしなかったからだ。彼は折に触れて従業員と語らい、現場で何が起きているのかを常に知ろうとしていた。そのため問題をいち早く察知し、必要な手立てを考えることができたのだ。ピクサーがよって立つ原則を変えるという大きな決断ができたのも、従業員の抱えるプレッシャーに気が付いたのも、彼が常に現場を見ていたからだ。また本書がエド・キャットムル自身というよりはむしろ、ピクサーとそのメンバーを主体に描かれていることからも、その習慣がうかがい知れる。

ピクサーのような経営者たちがいたら、職場は素敵に輝くかも知れない。一方、いち従業員としては、役員室のドアが閉まっているように感じられるときに、何ができるかを考えたい。そしてそれは、経営者に対してオープンな姿勢を見せることではないだろうか。ジョン・F・ケネディはかつて、「国があなたのために何ができるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問うてほしい」と演説で語ったが、それには続きがある:「われわれに対して、われわれがあなたに求めるのと同じ熱意と犠牲の高い基準を求めてほしい。」従業員が経営者のオフィスの扉を叩くことで、経営者が初めて求められるものを知ることもある。経営者と従業員、どちらか一方ではなくお互いがお互いに向かっていくことが、クリエイティブな文化の基盤を強固なものにしていくのだろう。

(内田紫月)

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