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今月の1冊

2024年10月08日

小林 泰三著『はじめから国宝、なんてないのだ』



 
はじめから国宝、なんてないのだ
著:小林泰三; イラスト:新月ゆき; 出版社:光文社; 発行年月:2023年12月; 本体価格:1,600円

まず、以下の写真をご覧下さい。

ご存じの通り、これは奈良は興福寺の国宝、阿修羅像の写真です。
しかし上と下とではまったく見た目が違います。
さて、あなたは上の写真と下の写真、どちらの阿修羅像が「好み」でしょうか。

…やはり多くの方が、見慣れた上の阿修羅像を選ぶのではないでしょうか。
では、逆になぜ下の阿修羅像は(見慣れていない、という理由以外で)好みではないのでしょう。

「なんかケバケバしい」
「わび・さびを感じない」

といった答えが考えられますが、そもそも「わび・さび」とは何でしょう。

「わび:侘び」とは「不十分だからこその美しさ」を意味します。
そして「さび:寂び」は時間の経過によって寂れたからこその美しさ」の意です。

その意味で上の写真を見直してみると、確かに「色彩が不十分だからこその美しさ」と、1200年以上前の彫刻が「経年劣化したからこその美しさ」、つまり「わび・さび」を感じます。

しかし本当にその「わび・さびを愛でる」が、国宝の「正しい鑑賞方法」なのでしょうか。

「国宝」とは日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値が高いと国(文部科学大臣)判断した「国の宝」を意味します。
そして現在、国宝として1,132件の建造物、美術工芸品が登録されています。

先の写真の阿修羅像もそのひとつですが、国宝としては『八部衆立像(はちぶしゅうりゅうぞう)』という8体の脱活乾漆造(麻布を漆で貼り重ねて造形する)の作品群の一部です。

奈良時代の天平6年(734年)の作で、度重なる火災の中で奇跡的に当時の姿をほぼそのまま遺しています(ちなみに八部衆立像はその造りから中は空洞で、一体が最大でも15kgと軽いため、いざというときに持ち出しやすかったことも現存の要因のようです)。

では、ここで今一度上の写真を見てみましょう。

この異なる二体の阿修羅像、上はもちろん現存する阿修羅像そのものの写真ですが、下はデジタル技術も活用して当日の姿形を再現した復元模型の写真です。

「なんだレプリカか」

と考えるのも理解できますが、そうやって復元された「造られた時代のままの阿修羅像の姿」を価値のないもの、と批判するのはもったいないと思うのです。
そもそも「国宝」は、それが造られたときから国宝だったわけではありません。
そう、「はじめから国宝」なんて「無い」のです。

本書のタイトル「はじめから国宝、なんてないのだ」の通りです。
著者である小林泰三氏の肩書きは『デジタル復元師』。氏の作品のひとつが冒頭の阿修羅像です。
本書では他にも「風神雷神図屏風」「平治物語絵巻」「高松塚古墳壁画」など、様々時代の国宝のデジタル復元が紹介されています。

では、「デジタル復元」とは?

本書では、Photoshopや様々な3Dのツールを駆使し、画像の取り込み、ゴミ取り、色調整など全てをパソコン上で行うこと、と説明されています。そうして国宝が造られたり描かれたりした時代と同じ作品を私たちは目にすることができるわけです。

しかしここだけ聞くと「パソコンでちゃっちゃとやるんでしょ」と思えるかもしれません。

ただデジタルと言っても、その作業はとても地道で、丁寧かつ根気よく行う必要があります。
スタンプツールで絵のゴミやしわをひとつひとつ取り除いたり、また模様を細かくペンツールでトレースしたり…かなり時間と集中力を要する作業です。

また、実際の作業の前も大変です。

経年劣化した顔料の成分を分析し、1000年前の色を何パターンも想定する。さらに当時の文献でその色をなんと表現しているのかを調べ、美術の専門家と議論を重ねてひとつひとつ決めていく。

いかがでしょう。デジタル復元がいかに大変かはご理解いただけたことと思います。

とは言え、作業の大変さで「デジタル復元すごい」とはなりません。
デジタル復元の真の価値は、「タイムトラベルできる」ことにあるのです。

小林氏は「国宝をべたべたさわろう」と言います。

博物館や美術館、そして寺院では国宝に触れることなどできません。
しかしデジタル復元されたレプリカであれば(時間とお金はそれなりにかかりますが)べたべた触って汚したり壊したりしても、データさえ残っていれば何度でも復元できます。
ましてやデータとしてタブレットや大画面LEDで見るのであれば、どんなに触っても何の問題もありません。

そうすると、こんなことが可能です。
本書でも紹介されている「平治物語絵巻」。デジタル復元したデータをタブレットで鑑賞する場面を想像してください。

元々絵巻とはくるくると巻かれた長ーい一枚の絵です。それを広げながら横に見ていきます。

あれ、この「横へ」を「上から下へ」と読みかえてみると…
ここで「あっ」と思った方もいらっしゃると思います。
そう、スマホで読むことを前提にコマ割りが計算されたマンガ配信サイトでよくある「SMATOON」と同じです。
私たちの配信マンガの読み方は、実は絵巻物の読み方に非常に近い、つまり現代人にとっても「慣れた読み方」なのです。

昔とほぼ同じようにタブレットのなかに復元された絵巻物をスクロールしながら見ていく。タブレットですから気になったところを拡大して読むこともできます。

先に例として挙げた「平治物語絵巻」であれば、まず合戦の流し旗がたなびいている絵に、これから始まるバトルシーンへの期待が高まります。

そこからスクロールすると…
目に飛び込んでくるのは敵の首を刈り取る武将! バトル系のマンガでもしばしば目にするようなちょっとグロい光景です。
しかしその後ろにはさらにその武将の首を討とうとする敵の武将が。
小林氏は、このシーンを当時の死生観である「諸行無常」の表現だと言います。

ところで絵巻物は単に絵が描かれているだけでなく、そのシーンを説明する「詞書(ことばがき)」と絵で構成されています。
当時はその詞書を和歌を詠むのが上手な貴族が行うこともあったそうで、それって現代のアニメと声優さんの元祖とも言えます。さすがJapan! 日本のアニメ文化はこんなところから始まっていたのかもしれませんね。

いかがでしょうか。私も当時の貴族や武将になったつもりで、こうして絵巻物を鑑賞してみたいと強く思います。

もちろんタブレットでなくても、絵巻物をプリントアウトして繋げ、それをくるくると巻いて簡易絵巻物を作れば、より当時と近い「タイムトラベル」が体験できます。

この楽しみ方、美術館や博物館でガラスケースに入った絵巻物では絶対に実現できません。ああ、なんともったいない。

本書ではこうした「タイムトラベル鑑賞法」が「風神雷神図屏風」や「高松塚古墳壁画」などを例にとっていくつも紹介されています。

冒頭で私は

“本当にその「わび・さびを愛でる」が、国宝の「正しい鑑賞方法」なのでしょうか。”

と問いかけました。
確かに「わび・さびを愛でる」のは国宝の鑑賞方法のひとつです。
しかしこうしたデジタルで復元された「当時の姿」を「当時の鑑賞スタイル」で「当時の人々になり切って」楽しんだり、また祈ったりするのも、間違いなくひとつの鑑賞法です。

私も是非タイムトラベルして国宝を鑑賞してみたいものです。

さて、実は来月、私は妻と二人で奈良への旅行を計画しています。(ちなみに昨年は紅葉の京都を堪能しました)

そこで様々な国宝に出会えることが今から楽しみで仕方ありません。

冒頭ご覧いただいた「復元された阿修羅像のレプリカ」が収められている奈良国立博物館も、この本を読んで予定に組み込みました。
私たちの行く日程では「正倉院展」も開催されており、普段目にすることのない国宝も多数展示されるようです。(既にチケットも確保しました(笑))

もちろん興福寺にも伺う予定ですので、そこで阿修羅像の実物を「わび・さび鑑賞」し、国立奈良博物館のレプリカを「タイムトラベル鑑賞」するつもりです。

ああ、今から楽しみで仕方ありません!

(桑畑 幸博)

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