辻村 深月著『東京會舘とわたし』 | 慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC) TOP

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今月の1冊

2024年12月10日

辻村 深月著『東京會舘とわたし』


東京會舘とわたし

 
東京會舘とわたし 上 旧館
東京會舘とわたし 下 新館
著:辻村深月; 出版社:文藝春秋(文春文庫); 発行年月:2019年9月; 価格:各803円税込

ここ丸の内に勤務して、早18年が過ぎてしまいました。18年といえば、新生児が成人となる月日です。そのように考えると、つい、しみじみと振り返ってしまいます。

今だから言えますが、入社して1、2年目までは、週の半分くらいは仕事を辞めたいと思っていました。嫌なことがある度、壁にぶつかる度にそう思っていたからです。

自分から望んだ仕事に就いているのに、と、他人からは「しょうもないヤツ」「根性がないヤツ」と見えるでしょうし、我ながら情けなかった暗黒時代でもあるのですが、でも、大きな成功体験もなく、仕事を通してたいした手応えを感じられない中、日々ネガティブなことばかりであれば、逃げ出したくもなるでのはと、未熟だった自分の心情も理解できます。

そんな当時の私にとって、心の拠り所の1つが「東京會舘」でした。
東京會舘は、近隣にある帝国ホテルのような宿泊機能はなく、宴会場とレストランのみの施設です。結婚披露宴はもちろん、パーティーや記念式典、記者会見、スターによるディナーショー、そして身近な人と過ごす記念日や行きつけ等で美味しいものを楽しむ場として多くの方が訪れる場所ながら、(特に当時)平日の昼間は人の往来が比較的少なく、歴史を感じさせる佇まいもあいまって、丸の内のオフィス街の中では別世界という雰囲気を醸し出していました。

東京會舘には、「マロンシャンテリー」という、名物メニューがあります。
東京會舘の初代製菓長を務めた勝目清鷹氏が、1950年頃、モンブランケーキをヒントに日本人向けにアレンジして発案したと言われている、眼福舌福のスイーツです。生クリームを見事にデコレートされた、その真っ白な貴婦人のドレスを身にまとったようなフォルムにすっとナイフを入れると、丁寧に裏ごしされた栗がぎっしり詰まっている絶品の一品です。

心砕かれ、どうにも仕事を頑張る気力が沸かない時、私は、一人、昼休みに東京會舘に行き、このマロンシャンテリーをいただきました。                                       
自分に自信がなく、向けられている目はすべて冷たい視線に感じてしまう中、東京會舘に1歩踏み入れると、仕事場から自分を隔ててくれるその非日常な空間で、温かく迎えてくださるその雰囲気に気持ちがとても癒されました。

窓が大きく見晴らしのよいカフェテラスのテーブルにて深く息をつき、日比谷通りに行きかう車を何も考えずに見ていると、不思議と心が落ち着き、ふんわりと湯気の立つ紅茶とともに運ばれてきたマロンシャンテリーを口にしたときの幸福感といったら…。温かい羽毛布団に包まれるような、優しい甘さがズタボロの心に染み入りました。

1時間の休憩時間はあっという間に過ぎ、仕事場に戻ると、昼間から栄養も取らずにこんなに高いものを食べてしまったという現実に引き戻されるのですが(当時、マロンシャンテリーに紅茶を付けるとランチ2、3回分くらいの価格だったと思います)、その背徳感すら、私の背中を押してくれ、「よし、また仕事を頑張らないと!」と、何度もどん底から立ち上がらせてもらったものです。

東京會舘は100年以上もの歴史がありますので、私のように思い入れ、思い出がある方はたくさんいらっしゃるでしょう。
今回紹介する書籍『東京會舘とわたし』は、東京會舘が大正からずっと見続けてきた、私のような来訪者と従業員が紡ぐ物語です。

フィクションですが、その背景は東京會舘の歴史に忠実にのっとっています。上巻は、創業した翌年に関東大震災を被災、なんとか復興し社交の殿堂と呼ばれた華々しい時期を迎えたものの、戦争で事態は急変し、戦中、戦後には建物を政府に提供せざるを得なかったという激動の時代を描き、下巻は経済発展や国際社会への復帰を遂げた頃の昭和46年に新館を再開業してから、2度目の被災となる東日本大震災を経ての令和の建て替えまでの間を描いています。
大正11年の開業から時間の経過とともに、各章で、その時その時の東京會舘のお客様や従業員が主人公となり、ストーリーが展開されていきますが、登場人物が章を超えて、少しずつ重なっていくのも、東京會舘が重ねてきた月日や人との繋がりを体現しているようで見事な構成です。

私のお気に入りの章は、下巻第6章『金環のお祝い』。最初の建て替えを経た東京會舘へ、旧館に亡き夫との思い出がある未亡人が一人で訪れるというエピソードです。
6章の主人公、芽衣子は元丸の内で勤務をしていた、いわゆる受付嬢でしたが、勤務先と1本通りが違うだけの東京會舘に1度も行ったことがありませんでした。そんな彼女を、同じ丸の内に勤務していた建築家の夫は、「外側から見るだけなのと、実際に行ってみるのとではまったく違うよ。わかったような気になってはいけない」と言って、新婚当時に東京會舘のクリスマスパーティーに連れていってくれます。(なんて素敵なご主人でしょうか!) 以来、何度もレストランを訪れるようになった夫婦にとっての大事な思い出の場所となるのでした。

その夫が定年退職し、癌で病床に伏すようになった頃、東京會舘が建て替えになることが発表されます。闘病生活の間に新館が完成したので、仮退院した際に何度か東京會舘に誘ってみるものの、全く行きたがらなかった夫。そして、その夫が旅立ってしまった後は一人では行く気にもならなかった彼女が、ひょんなきっかけで、新館の東京會舘を訪れることになった、そこでの出来事を綴った章です。

思い出の場所が変わってしまう、ということへの拒否感、不安感、寂寞感はとても分かります。物語の芽衣子とは、丸の内勤務だけが共通点で、あとは年齢も置かれている環境もまったく違いますが、私も、令和元年に2度目の建て替えを経た新生・東京會舘にはなかなか足が向きませんでした。
同じ場所、同じ名前なだけで、もはや自分の知らない場所になっているのではないか。そのような場所に行ってしまったら、思い出も消えてしまわないか。美しい記憶は、美しいままそっと大事にしまっておいた方がいいのではないかと。

私が新生・東京會舘を訪れたのは、2024年の夏。新型コロナウィルス感染拡大の影響もありましたが、再開業から4年以上経過してしまいました。実は、この書籍「東京會舘とわたし」を手にし、読んだことがきっかけです。

ドキドキしながら足を踏み入れた新生・東京會舘は、確かに、外装も内装も大きく変わりました。建て替え前に通っていた1階のお店はメニューも多少違っていました。でも、そこにある空気の温かさはあの頃と同じで、思い出が汚されるようなことは全くなく、月日を経て、東京會舘も私も進化して再会できたことで、なぜかより一層の親しみすら感じました。

今では、現在の東京會舘も大好きで、遣り甲斐のある仕事を楽しみながらも、マロンシャンテリーをいただき、明日への活力としています。
ちょうど、栗の美味しい季節、この書籍を読んだ後、東京會舘へマロンシャンテリーを楽しみに行くのも一興ですが、シチュエーションは違えども、誰にでも、力や勇気をもらった場所があるのではないでしょうか。

皆さんもあの頃の自分とあの場所に思いをはせて、久々に訪れてみてはいかがでしょうか。 

(藤野 あゆみ)

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