今月の1冊
2025年01月14日
青田 麻未著『「ふつうの暮らし」を美学する』
昨年、我が家に新しいダイニングチェアが仲間入りしました。
ダイニングチェア=家の食卓の椅子。その名の通り、食事のときはもちろん、仕事をするときにも、テレビを観るときにも、うたた寝をするときにも・・・と、家での多くの時間をこの椅子とともに過ごしているのではないかと思うほど用途多様に活躍してくれます。さらには、吟味して選んだ一脚だけあってデザインもお気に入り。窓からの陽の光に照らされた椅子を眺めているだけでもニッコリしてしまうほど、ご機嫌な気持ちにもしてくれる我が家の逸品です。
本書『「ふつうの暮らし」を美学する』の副題は「家から考える「日常美学」入門」とあります。
「日常美学」なる言葉を聞くのは初めて。著者 青田麻未さんによると21世紀に入りさかんに議論されるようになり、2005年に日常美学として初の論文集が出版された、新しい学問分野だそうです。日常美学とは、日常のなかの感性のはたらきを知り、私たちの感じ方の転換(美的パラダイムシフト)を目指すというもの。創意工夫に満ちている日常生活のなかの「美的経験」を抽象的に捉えなおし、言語化してみるプロセスのようです。
世のなかはその人の感じ方次第。人の数だけ多様な事物や経験があるなかで、日常生活における感じ方を「美学」として捉え直すことはできるのでしょうか。でも、“我が家のダイニングチェア“のように、芸術作品と言われるものとは違うけれど、ふだんの暮らしのなかで心動くモノやコトは存在します。それは「美」としてどのような意味を持つものなのか、タイトルをみて興味がわき本書を手にしました。
原義に立ち返ると、美学とは「感性の学」を意味し、なにかの事物や出来事に出会うとき、私たちの感性はどのようにはたらいているのかを明らかにすることが目的です。美学は哲学の一種にて、実験やアンケート調査を行うという手法ではなく、抽象的に思考することを通じてこの目的を達成しようとします。
さらに、感性とは、ある対象や出来事を、感覚を用いて知覚しながら、想像力や知識などさまざまな要素を関わらせて、幾重にも楽しんでいく力と記されています。
「あ、ふだんのこんな経験も美学的な問題だったのか」と気づく楽しさを味わってほしいとして、本書の各章では、具体的な事物や経験をとりあげながら考察をしています。そのトップバッターとなっているのが、まさに“椅子”なのです。
椅子は、一般的な芸術作品とは異なり、純粋にその形や色の美しさを愛でるというだけはなく、いかに使えるか、という観点を抜きにして捉えることは難しいものです。
もし私たちが感性による判断を一切排して、実用的な観点のみで椅子を見ているとすると、それは違うと言えます。座り心地といった実用的な観点とともに、家にある他の家具と調和するか、インテリアに合っているか、そもそも自分はこの椅子を好きなのか、といった美的な観点の両方が絡み合った複雑な視線を、椅子をはじめとする家のなかにある家具や日用品に向けているのです。
こういったモノの美的な良さは「機能美」とされますが、本書の興味深いところは、その機能と感性の関係について考えているところでしょう。
家のなかにおいておよそあらゆるモノは、単体で存在しているのではなく、人やそのほかのモノと関わるなかで機能しています。モノの機能は生活をしている私たちの身体と関わっているとともに、そのほかのモノと組み合わせによってできるネットワークのなかで機能している、というのです。この椅子を用いて、私たちが家をつくり上げていく経験のなかで、「この家のなかでこそ発揮される機能美」を感受することがまさに日常美学なのです。
さらに本書では、日常美学の根源として日常生活の基本にある「ルーティーン」についても着目しています。
ルーティーンを理解する一例として紹介されている映画『PERFECT DAYS』(2023年)は、役所広司さんが演じる公衆トイレ清掃員の主人公 平山の日常(ルーティーン)を丁寧に描いた物語です。毎朝暗いうちに起き、出勤。無駄のない、しかしていねいな所作で行う掃除の仕事。仕事が終わると、銭湯、居酒屋を回り帰宅。読書をしながら就寝・・・と。毎日折り目正しく繰り返される様子に目が奪われるものの、天気や取り巻く人々の行動など外的な条件によって、同じようにみえるルーティーンも日によってリズムが異なり、少しずつ揺り動かされることによって“物語”が生まれるのです。
完璧な生活などありえないなか、他者との関わりや自らの力ではどうしようもできない外的な条件をさまざまに織り込んだうえで、私たちのルーティーン=日常ができあがっていること。日常美学はネットワークのなかで創造される美であることがよくわかります。
本書では、経験学習論で広く知られているアメリカの哲学者ジョン・デューイ(1859-1952)が著書『経験としての芸術』のなかで論じている美的経験論についても紹介しています。デューイの主張は、芸術とは本来、生活のなかで生まれてきたものであり、芸術と日常のあいだにある確固たる境界線を引くことに反対しています。このデューイの考え方は、現代の日常美学にも大きな影響を与えているそうです。
道徳的判断ではなく、自分なりの“きれいのスタイル”を確立することは、生涯通じてのテーマと言えるかもしれません。一見難しく思えますが、私たち誰もが日常生活のささやかな選択や行動のなかで、日々自分のスタイルを創り上げているのです。そしてそれは、年齢とともに、自分の身体の変化、周りとの関係性の変化とともに、“きれいのスタイル”も変わっていくものなのかもしれません。
日常にある親しみと新奇さ。
これらを適切なバランスで散りばめながら、日常のなかの感性のはたらきに目を向け、美的なものの多様性を受け入れることのできる「美的パラダイムシフト」が起きることによって、日々の生活はさらに潤い、豊かな気持ちになるのです。昨年の“我が家のダイニングチェア“は、ささやかな選択ながらも、私にとっては大きな美的パラダイムシフトだったのでしょう。
今年の美的パラダイムシフトも楽しみに、自分にとっての心地よい生活を創っていきたいと「日常美学」より考えることができました。
(保谷 範子)
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