今月の1冊
2005年07月12日
指揮者のいないオーケストラ、アルクスとオルフェウス
“指揮者のいないオーケストラ”が日本にも生まれました。
「アルクス(ARCUS)」、ラテン語で虹を意味する室内オーケストラです。「演奏者・聴衆・作曲家を、音楽の架け橋で結びたい」との若手音楽家4名の思いに賛同した仲間たちが集まり、構想から3年、「アルクス」がこの春誕生しました。
“指揮者のいないオーケストラ”といえばオルフェウス室内管弦楽団。その名前をご存じの方も多いのではないでしょうか。1972年の創立から30年以上、ニューヨークのカーネギーホールを拠点に活動し国際的に評価されている室内オーケストラです。さらに、「オルフェウス・プロセス」と呼ばれるその組織運営は、企業・組織の運営、リーダーシップ、コミュニティの問題解決といった、音楽を越えたさまざまな分野で注目され、そのタイトルの1冊の本にもまとめられています。
オルフェウスには「指揮者はいない、しかしリーダーシップがある」と言います。野田稔・多摩大学助教授はこれを“共有されたリーダーシップ”とし、「リーダーシップは組織的機能である。個人に閉じた能力・役割と考えるのは過去、組織全体でリーダーシップを発揮する」可能性を示す事例として挙げられました。
また、金子郁容・慶應義塾大学大学院教授は、自由に創造性を発揮することには責任が伴うが、それが「自発性と相互性に基づき」実現されている「コミュニティ・ソリューション」の例だと表現しています。これらのわかりやすい説明に、考えとして理解はできても、どのような演奏となるのか、指揮者とリーダーの存在の違いがどう表れるのか、想像ができなかった私に届いた贈物がアルクス第1回目のコンサートでした。
舞台の上にやわらかなリボンがほどけ広がりました。コンサートマスター(演奏曲によって交代します)のリーダーシップで始まった演奏も、流れとともにリード楽器やパートが入れ替わり、踊りのようです。呼吸や視線による合図はありますが、それは決して指揮者による指示の代わりではなく、お互いを“感じあっている”、まさに「リーダーシップが共有」されている姿なのでした。そして演奏は客席をも包み、私はこれまでの演奏会では味わったことのない感動が湧き上がってきました。
アルクスとオルフェウスとの共通点に関心をもったこと以上に、アルクスのことをもっと知りたい衝動にかられ、代表者で創立メンバーの1人、NHK交響楽団第1ヴァイオリン・フォアシュピーラー、松田拓之さんにお話をお聞きしました。
「アルクスの特徴は、指揮者がいないこと、そして、メンバー全員で考え、演奏を作り上げていくところにあります」と松田さんは言います。アルクスメンバーひとりひとりが演奏会のことを考え、既存の形や編成にとらわれずにやりたいことをやる、指揮者は置かず、曲ごとにコンサートマスターが交替する。こうしたコンセプトを基盤に「メンバーひとりひとりが音楽を愛する純粋な気持ちに帰ること」を目標に始まりました。つまり、通常のオーケストラでは絶対的な権力をもつ指揮者から与えられた表現を演奏するのに対し、アルクスではひとりひとりの演奏者である自分たちが主体性をもち、考えを反映して表現することを尊重し、演奏を作り上げるのです。
それでは、どのように演奏が作り上げられるのでしょうか。今回は初めてのコンサートということで、コンセプト作りと各演奏曲のコンサートマスターの決定は、松田さんが担当されました。1つのオーケストラではコンサートマスターの役割は固定または限定されるのが一般的ですが、アルクスやオルフェウスでは演奏曲によってコンサートマスターがさまざまに交代します。指揮者が異なると同じオーケストラによる同じ楽曲も違う演奏になるのは周知のことですが、コンサートマスターも同様で、「コンサートマスターのキャラクターが演奏に表れるんですよね。誰もが十分素質をもつメンバーですから、これからはより多くのメンバーに経験してもらいたいと思っています。」松田さんは楽しそうに話されました。
「コンサートのコンセプトをベースに選曲し、コンサートマスターを中心にしてメンバー皆で曲の解釈や演奏の仕方を話し合いながら作っていきました。ひとりが途中で演奏するのをやめて客観的な意見を言ったり、パート間ではもちろんパートを越えた議論も重ねました。」
全員がプロフェッショナルの中のプロフェッショナルであるからこそ成立しうる、演奏でありリーダーシップであることは、松田さんのお話を伺い、また実際のアルクスの演奏を聴き、実感することができました。
しかし、プロフェッショナル同士だからこそ、お互いに意見を真剣にぶつけ合い、深く議論をするからこそ、合意することに困難を伴うこともあるのではないでしょうか。さらには、トップ不在、リーダーは交代していくという階層のない組織の中ではとても時間と手間を要する過程なのではないでしょうか。
「これからの課題は効率化ですね。」これに対する松田さんの回答は明確でした。
「皆で意見を出し合うことには、素晴らしい部分がある一方で、どうしても無駄な部分も多くなります。また、全体で話し合うべきことなのか、パートの中の問題なのか、その線引きが難しいこともあります。」
このヒントがオルフェウス・プロセスにあるのではないかと思います。オルフェウスには、明確な8つの原則があります。
- 仕事をしている人に権限をもたせること
- 個人として最も質の高い演奏をする、自己責任を負うこと
- 役割を明確にすること
- リーダーシップを固定させないこと
- 平等なチームワークを育てること
- 話の聞き方を学び、話し方を学ぶこと
- コンセンサスを形成すること
- 職務へのひたむきな献身があること
メンバーの自律的・主体的に参画しようとする情熱、個々人のプロフェッショナルとして自己責任と意思決定に関るという意識、明確な役割と固定しないリーダー、アルクスにも多くが共通しています。
しかし一方でオルフェウスには注目したいルールがあります。6つ目の「話の聞き方・話し方を学ぶ」です。ルールですから、いくら技術の優れた名演奏家や名誉ある先生でも、コミュニケーションが上手にできなければメンバーにはなれないし外されてしまう、それほどに徹底されているといいます。一見、芸術とは対極にあるようにみえるコミュニケーションの方法やスキルをここまで重要視し、かつ、“学ぶもの、教育するもの”ととらえているところが重要ではないでしょうか。そしてこれは、私たちが属するどのような組織にとっても、高い目標を効率的に達成し、生産活動を継続するカギとなりうるのではないかと思うのです。
オルフェウス・プロセスは、30年におよぶオルフェウスの創造的活動の中で重ねられた工夫や試行錯誤から生まれたものであり、オルフェウスがオルフェウス・プロセスから始まったのではありません。ルールや規制によって体系化された組織運営だけが唯一ではありませんし、アルクスがオルフェウスをトレースすべきだとは決して思いません。これから新しい「アルクス・プロセス」が生まれ、アルクスの継続的な活動と発展に貢献していくのではないかと期待するのです。
(湯川真理)
アルクス(ARCUS)
http://www.geocities.jp/arcusjapan/
次回は、子供に音楽の楽しさを伝えるためのコンサートを企画中とのことです。選曲と演奏だけではなく、音楽を理解してもらう工夫を考えているそうですので、ご関心のある方はぜひお出かけください。
オルフェウス室内管弦楽団(Orpheus Chamber Orchestra)
http://www.orpheusnyc.com/
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