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今月の1冊

2006年07月11日

文楽へのいざない

皆さんは、「文楽」を観たことはあるだろうか。
文楽というと、日本の古典芸能として古くさく堅苦しいと思われ、実際に観たことがある方は非常に少ないように感じる。同じ古典芸能である歌舞伎や狂言が最近は若手役者の活躍もあり、様々な形で取り上げられるのに比べ、文楽は露出度も少なく地味なイメージを持たれているのではないだろうか。何を隠そう私も、文楽については“人形を遣った舞台”としての知識くらいしか持ち合わせず、物静かなものとして、機会があればかなり歳をとってから観ることがあってもいいだろう・・・くらいにしか思っていなかった。


しかし、今年の5月、生まれて初めて文楽の舞台を観る機会に恵まれた。
(平成18年5月 東京国立劇場 第155回文楽公演)
文楽は人形浄瑠璃とも呼ばれ、大きく分類すると人形と音楽(浄瑠璃)が長い過程を経て合わせられ、江戸中期に花開いた日本古典芸能である。太夫(だゆう)の語る語り物としての物語にあわせて、三味線が表情豊かに曲を奏で、登場人物の人形たちが舞台中央にて生き生きと動く。
「文楽は三業一体」と呼ばれるそのゆえんは、語り手である“太夫”と、文楽の中で唯一の楽器である“三味線”、そして“人形遣い”の三業がそれぞれの技術を結集し、ぴったりと息を合わせることによって成り立つ三位一体の舞台だからである。
そこには指揮者や演出家と呼ばれる役割は存在しない。同じ舞台芸術でも、例えばオペラでは前方のオーケストラピッドのなかで、指揮者と楽団が観客から姿を隠して演奏し、役者たちはその後方の舞台で演じ歌う。それに比べ、文楽では、声を出すのは唯一、太夫のみであり、三味線とともに舞台上手にある床(ゆか)に登場し、演目の間中、太夫と三味線は常に観客の目の前で語り、演奏をしている。文楽の中心となるのは人形と思われがちだが、その役目は太夫にあり、太夫は舞台のリーダーとして、自ら演じながら物語全体を引っ張り、観客を引き込んでいく。登場人物の全てを一人で語り分け、光景や情景までをも明らかにする太夫の声は、時に髪を取り乱して刀を振るう力強い武士の声に、そして時には妖艶な遊女の声にと、声色を変え、観客の耳に響く。
清元の中棹、長唄の細棹に比べ、太棹(ふとざお)三味線が特色である文楽の三味線は、その音は低く、お腹にずしりと響く。単に、太夫の声に併せる伴奏としてではなく、文楽唯一の楽器として、微妙な描写や間合いを要求される。その力強い音と描写もさることながら、演目中も決して譜面を見ることはなく(舞台では暗譜が原則)、正面一点を直視しながら引き続ける三味線奏者の心意気に圧倒されることは言うまでもない。
役者として演技をするのは人形であるが、人形だけではもちろん何の動きもなく、そこに人間らしい動作、息づかいを入れていくのが人形遣いの役目である。ちなみに、人形は首(かしら)と右手を動かす担当、左手の担当、足の担当に分かれ、三人一組で息を合わせ一体の人形を遣うという、世界でも類をみない高度な技術が要求されている。人形を人間らしく見せるためには、人間の動きそのままに真似ることも大切であるが、写実に留まらず、人間には決してできない人形独特の動きがときに人間よりも人間らしく生々しい動きとなり、観客もハッとさせられることがある。例えば、女形の人形が反り返って斜め後ろをみる姿、女心の切なさを表現する「うしろ振り」などは、人間では通常考えられない動きであり、女人形の美の極致と言われているそうだ。
物語は、このように太夫の語り、三味線の音、人形遣いが操る人形の演技で進められていく。観客の正面では人形が動き、舞台上手の床では、太夫と三味線が声を発し音を奏でる。三業がそれぞれの役割を別々に演じながらも一体となり、観客そして会場の場の雰囲気をも巻き込んでひとつの世界を舞台につくっていく。もちろんこれらは、三業それぞれがお互いの息づかい、気配を感じ取りながら行う「あ、うん」の呼吸が成せる業であり、それを築くまでの、太夫・三味線・人形遣い一人一人による日々の鍛錬であることには違いない。
文楽はイマジネーションの舞台である。観客は、耳に聞こえる太夫の声、三味線の音と、目に映る人形の動きを頭の中でドッキングさせて、舞台の状況を自ら織り成していく。初めて観た文楽の舞台を、いま改めて目を瞑り頭の中で思い返すと、太夫、三味線、人形の三者は不思議と一体となっており、まるで、それぞれの人形から声が発せられ、命が宿り、私たち観客に語りかけている錯覚に陥る。声は同じ太夫からのみ発せられているにも関わらず・・・。
初めての文楽鑑賞は、私に想像力の豊かさが大切であることを改めて教えてくれるとともに、その広がりは無限であることを示してくれた。
初舞台九歳の時より、五十年以上も舞台に立っている太夫の豊竹咲大夫さんはこう言う。「何の世界でもそうでしょうが、嬉しいこと、悲しいこと、悔しいこと、いろんな人生経験をふまえることによって、お客様に感じていただけるものが生まれるのだと思います。」
観客にとっても同じことが言えるに違いない。日常におけるさまざまな経験は、一つ一つがやがては人生の大きな糧となるのだろう。そして、それら経験一つ一つに目を背けずに大切に歩んでいくことが、他者への共感力を高め、あらゆるものへの想像力を広げる力を養う事ができるような気がする。
次回の文楽鑑賞の際には、私自身も今よりは多少なりとも経験の数は増えているだろう。
次の鑑賞では舞台からどのようなことを感じることができるのか今から楽しみである。是非ともまた近いうちに鑑賞の機会をつくりたい。
(保谷範子)

劇場に行こう 文楽にアクセス』 松平盟子著; 淡交社; 2003年10月; 1,600円(税込1,680円)
文楽 ハンドブック 改訂版』 藤田洋編; 三省堂; 2003年3月; 1,600円(税込1,680円)
http://www.ntj.jac.go.jp>独立行政法人 日本芸術文化振興会

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