KEIO MCC

慶應丸の内シティキャンパス慶應MCCは慶應義塾の社会人教育機関です

今月の1冊

2007年04月10日

ありのままを感じる―フォーカシングが教えてくれること―

4月、桜の開花とともに、入学・入社・異動・転勤など、新しい環境で新たなスタートをきっていらっしゃる方も多いことと思う。ここ丸の内でも、真新しいスーツに身を包んだ新入社員らしき一群を見かけるとともに、プログラム修了生の方々からも異動や転勤、転職のご連絡を頂き、皆さんの新しい門出を感じている。


新しい環境に入る方も、また受け入れる方にとっても、春は、心新たに頑張ろうと、期待や希望に胸を弾ませる季節だろう。
しかし、その反面、慣れない環境、場所、人間関係のなかで、以前と同じようにスムーズにいかないことに戸惑い、悩み、疲れを感じ、自分らしさを見失いそうな方も多いのではないだろうか。
そんな皆さんの参考になれば幸いだが、私は、自分らしさを見失いそうな時、そこまで大げさでなくとも、ちょっとホッとしたい時には、空を見上げ、雲を観察するようにしている。
東京は高層ビルが建ち並び、空が狭いと言われているものの、オフィスの窓から、通勤途中の電車から、ふと見上げる空は高く広がり、刻々と変化していく雲の姿はいつまで見ていても飽きることがない。時間にしてみれば、それほど長い時間ではないかと思うが、日々の忙しさに流され、自分の目の前にあることばかりに圧倒されそうな時には、貴重なひとときである。
空を見上げ、雲を観察しながら、私はふと想う。
「いま、私は何を感じているのだろう・・・」と。
生活をしていくうえで、仕事をしていくうえで、悩みや問題、葛藤はつきものである。しかし、私達の多くが、より大きな成果をあげるため、成功をめざすため、自分の夢に邁進するためには、いつもポジティブに前向きな思考を心がけ、自分のこころの中にある悩みや問題、葛藤からくるネガティブな側面は、嫌なもの、考えてはいけないものとして奥底にしまいこみ、蓋をしているように思う。あるいは、逆にそれら悩みや問題ばかりが大きく膨らみ、他のことを考える余裕がなく、悩みや問題からくる強い気持ちや感情に押しつぶされそうになっている場合もある。
心理学のなかに、「フォーカシング」という療法がある。
1960年代初めに、シカゴ大学のユージン・ジェンドリン(1926-)という哲学者・心理学者が見いだした療法と言われているが、成功した心理療法の多くが、カウンセラーの行為よりも、相談者自身に大きな特長があるという。その特長とは、相談者が自分のなかにある何か違和感に気づき、最初は言葉にできないものであっても、その“なんとなく感じるもの”に目を背けることなく、蓋をすることなく、見つめ、引き出し、そこにあることを感じ、“なんとなく感じるもの”と対話をしてみるという力である。ジェンドリンは、成功した心理療法の相談者の多くがもつこの力を、カウンセリングの技法として「フォーカシング」と名付け、カウンセリングの場のみならず、自分自身でこころを癒すセルフヘルプ(自己援助)の技法として、また大きな決断をする際の正しいと思う選択をするための手がかりとして、創造的な仕事を生み出す際のきっかけとして活用され、広められている。
おそらく、多くの方にとってこのフォーカシングとはどのようなことなのかイメージしにくいことと思う。
例えば、時折、もやもやとした何か漠然とした不安を感じることはないだろうか。スポーツなどでストレス発散をしても、旅に出て日常の風景と違うものを見ても、それらは対処療法にしかすぎず、その“もやもやとした感じ”はいつまでも自分の中に残り続ける。フォーカシングでは、その“もやもやとした感じ”を否定したり、見て見ぬふりをするのではなく、思いきってその感じとつきあい「どのようなものなのか」味わってみようというものである。
しばらく静かに、その“もやもやとした感じ”と向き合ってみると、その感じは何かを伝えはじめる。最初は言葉にできない、単に漠然としたものが、次第に、形がみえ何かを訴えかける。
それは、もちろん人それぞれであり、一様に説明をすることは難しいのだが、私の場合、「最近、忙しくて嫌だ。何かに追われているような感じでイライラするなぁ。」といった時、肩から背中にかけて何か重いものを背負っている感じがある。それを嫌なものとして無視するのではなく、また仕事の進め方やタイムマネジメントが悪いからといったように自分を責めるのではなく、ただ単に“何か重い感じ”をじっと感じるのである。そうすると、その“何か重い感じ”は少しずつ形を変えて、姿をみせる。
自分の心のなかにはさまざまな部分があって、「頑張ろうという前向きな自分」「イライラしている自分」「仕事に忙殺されそうでビクビクしている自分」「ダラダラとのんびりしたい自分」・・・いろいろな面がある。これらすべてが“私”そのものなのである。
ここまで説明すると、フォーカシングとは特別なことではなく、人間誰もがもちうる力なのではないかと思われる方も多いはずだ。その通り、フォーカシングとは、誰もが自然に身につけている技能であり、新たに発見するものでも、発明されたものでもなく、ましてや特別な道具が必要なわけではない。
現在のように激しい環境の変化、数多くの情報のなかで、時代の流れに遅れまいと必死に適用し対応しようとするがあまり、私たちが従来は自然におこなっていた「ありのままを感じる」という力が弱くなっていると言われている。特に、ビジネスという具体的な成果や結果が求められるなかにおいては、ポジティブな自分ばかりを尊重し、ネガティブに考えていく自分を卑下し押しやる傾向が強い。もちろん、このポジティブな面は自分のもつ大切な一面であり、さらに伸ばしていくに越したことはないかもしれない。ところが、それを長期にわたって続けていくうちに、一方の気持ちばかり重んじるがあまり、自分が本当はいったい何をしたいのか、何を求めているのかがわからなくなり、自分の気持ちについても、ひいては他者に対しても鈍感になり感じる力の弱い人間へとなっていく。
フォーカシングという技法は、「ありのままを感じる」ことを意識的に行うことによって、日常しまい込んでいる自分の新たな一面に気づいてみようというものである。悩みや問題、葛藤のなかにある強い気持ちや感情に押しつぶされるのでも、否定するのでもなく、それを認め、ほどよい距離を置き、そこからどんな感じがするのかじっと耳を傾けることが大切なのである。問題や悩みは、それにあまりにも近く寄りすぎると全体が見えないものであるが、距離を置いて少し離れたところから見ることにより、その問題の新しい側面や、その問題に対して強い感情や意識をもっている自分に新しい発見があるかもしれない。
4月、新しい環境のなかで、何か漠然とした曖昧な気持ちを抱えているのであれば、ふと空を見上げ自分に問いかけてほしい。「いま、何を感じているのかな・・・」と。自分自身に向き合い、対話をすることによって、きっと新しい自分を見つけ出すことができ、今まで気付かなかった自分の持つ力にめぐり会えることができるはずだから。
(保谷範子)

空や雲を眺めるときのハンドブックとして
雲の名前の手帖 改訂版』 高橋健司著、ブティック社、2001年、ISBN:9784834753486
フォーカシングを始める際の入門書として
やさしいフォーカシング 自分でできるこころの処方』 アン・ワイザーコーネル著、大澤美枝子・日笠摩子訳、諸富祥彦解説、コスモス・ライブラリー、1999年、ISBN:9784795223745
マンガで学ぶフォーカシング入門 からだをとおして自分の気持ちに気づく方法』 村山正治監修、福盛英明・森川友子編者、誠信書房、2005年、ISBN:9784414400205

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