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今月の1冊

2007年08月14日

茨木のり子『詩のこころを読む』

著者:茨木のり子
出版社:岩波書店; 発行年月:1979年10月; ISBN:9784005000098; 本体価格:780円(税込価格819円)
書籍詳細

先日、黒田三郎の作による詩集『ひとりの女に』をみつけた。
ふらっと立ち寄った百貨店で偶然、神保町あたりの古書店が出店をしていたのだ。
1966年発行第4版のその詩集は、11篇の詩からなる50ページあまりの小さな本だった。
初版は1954年とある。出版社の名とともに「500円」とそっけなく書かれていて、ふと、消費税はなかったのだな、などとあたりまえのことを思った。
開くと、黒いペンで作者のサインが入っている。古書店に来る前の持ち主は男性だったようだ。大事な本だったろうに、手放さなければならない事情があったのだろうか。


『ひとりの女に』は、戦後出版されたもっともすぐれた恋愛詩集のひとつとして今もなお高く評価されている。戦争の只中を生きた作者が、復員後ひとつの恋と出会い、また再び明日へと生きる力を得ていく、その過程が短い散文詩に描かれている。シンプルでみずみずしい筆致には、出版から半世紀以上たつ今も、新鮮で心地よい共鳴と感動を覚える。
この詩集を、私におしえてくれた本がある。
それが、やはり詩人である茨木のり子さんが著した、『詩のこころを読む』である。
『詩のこころを読む』は、初版が1979年の、岩波ジュニア新書9番目の本。ジュニアというだけあって、若者向けに書かれている。「はじめに」で茨木さんはこう言う。

「あらためて私の好きな詩を、ためつすがめつ眺めてみよう、なぜ好きか、なぜよいか、なぜ私のたからものなのか、それをできる限り検証してみよう、大事なコレクションのよってきたるところを、情熱をこめてるる語ろう、そしてそれが若い人たちにとって詩の魅力にふれるきっかけにもなってくれれば、という願いで書かれています」

本編は五章から成っていて、「生まれて」「恋唄」「生きるじたばた」「峠」「別れ」それぞれのテーマに沿って本当にたくさんの詩が紹介される。時に一部抜粋で、時に大作をすべてというように。自然に湧き出てきた詩を並べたら、偶然、誕生から死になったのだと言う。
第一章は、谷川俊太郎の「かなしみ」に始まる。誕生でありながら悲しみに始まるとはどうしたことだろう。筆者は、読者が青春の戸口に立つ若者であることを意識し、「どうしていまここにいるのだろう」「なんのために生まれてきたのだろう」そう問いかけることが大人への一歩だということを示唆する。吉野 弘の「I was born」、ジャック・プレヴェールの「祭」、そして会田綱雄の「伝説」では、誕生の裏には必ず死が、それも自分に生をもたらしたものの死が潜むことを、詩人がいつも見つめてきたことを伝えようとしている。
黒田三郎が登場するのは、第二章「恋唄」である。立て続けに3篇紹介されていて、筆者の作品への愛情を感じる。「それは」「賭け」のいずれもよいが、なんと言っても「僕はまるで違って」が最高にいいのだ。きっと誰もが、恋をするとこんな思いをするのだろう。誰の心にも、白い蝶が明日へと飛ぶだろう。阪田寛夫の詩も3篇続く。童謡「サッちゃん」の作詞家でもあるこの人の詩は、なんとも言えないおかしさが漂い、口もとが思わず緩む。「葉月」は関西弁で書かれていて、「練習問題」は中学生の少年が詠んだような、素朴な素朴な詩。
第三章「生きるじたばた」では、濱口國雄の「便所掃除」がひときわ光を放つ。読み終えるとともに心にも朝日が差してくるような、そんな一篇だ。その前には、工藤直子の「ちびへび」「てつがくのライオン」。子供に読みきかせる絵本のような。物語を少しだけ切り取ってきたような、暖かな詩である。
第四章は「峠」。石垣りんが登場する。「その夜」に詠まれる「ああ疲れた/ほんとうに疲れた」というつぶやきあるいは叫び、「くらし」では読み進もうとする手が止まるような凄み。まさに峠を越えるような重苦しさを感じる詩が並ぶ。そしてそれを受けるように、河上肇が続く。峠を少し越えたような、あきらめと身軽さと、明るい静けさが漂う詩篇。
終章は「別れ」。岸田衿子の「アランブラ宮の壁の」が本書に取り上げられる最後の詩である。この詩が最後を飾っているのがとても素敵なのは、こんな詩だからだ。「(前略)私は迷うことが好きだ/出口から入って入り口をさがすことも」
こうして読者はまた本の頭に戻る。あるいは、好きな章の好きな詩へと。私もそうして、この本を両親からもらった小学生の頃から、何度も何度も読んできた。大学時代から数えて5回引越ししたが、ダンボール箱に埋もれることなく、いつでも枕元の特等席にい続けた。
本書の最大の魅力は何か。それはもちろんたくさんの素晴らしい詩と出会えることもあるだろう。旧漢字は読みやすい文字に直されて、時として読み仮名もふられて、戦前の詩も抵抗なく読めるようになっているところもあるかも知れない。しかし、何よりも本書を輝かせているのは、茨木のり子さんの解説者としての立ちかたではないかと思うのだ。
茨木さんは、詩人茨木のり子ではなく、飽くまでも一読者として、詩を紹介する。「大好きなんです」という声が今にも聞こえてきそうな、そんなストレートな愛情があふれる紹介の仕方だ。難しいことは言わない。詩の歴史的な背景や詩人の紹介も決して多くない。ただただ、茨木さんがどこに感動して、なぜいまも愛する詩であるのかを「るる語る」のみなのだ。まさに「はじめに」において書かれてある通りなのだ。だから、とりあげられた詩編は、茨木さんの導きによって心にすっと入ってくる。また、読むものが必ずしも、本書に出てくる作品すべてに感動する必要もない。ピンと来なくたって構わない。そんな押し付けがましくない気軽さ、潔さがこの本を手に取りやすくしている。
小学生や中学生の頃は、教科書に詩が載っていた。最近では、詩にふれる機会など、「歌詞」としてくらいだろうか。でもやはり、詩は素敵なものだ。たまには手にとってみたい。母国語を存分に味わって、豊かな心持ちになってみたい。そんな時に困るのは、「詩集」が意外と手に取りにくいものだということ。誰のものを読んだらいいのか?誰の、が決まっても、その詩人のどの詩集を読んだらいいのか?
困ったら、まずは本書を読んでみてはいかがでしょう。きっと心に留まる一篇の詩との出会いがあると思うのです。あるいはお嬢さんに息子さんに、買ってあげてみてはいかがでしょう。そしてそのついでに、ご自身も手にとってみては。
(松江妙子)

詩のこころを読む』茨木のり子著
ひとりの女に』黒田三郎著

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