2010年11月09日
ピーマンと歌舞伎・・・大人の味わい方について。
「歌舞伎」・・・今や世界無形遺産となった、日本が世界に誇る伝統芸能ですが、皆さまは観劇のご経験はありますでしょうか。
私の周囲では、高校生の時に学校の社会見学で観たのが最初で最後、眠気との激闘しか覚えてない・・・という残念なケースが多いように思えます。考えてみれば、日本語の芝居なのにもかかわらず、「イヤホンガイド」に助けられながら観る、ということが奇妙で、現代人が歌舞伎を「娯楽」だと思わない理由の1つなのかもしれません。
また、個人的意見ですが、子供や学生、または、敷居が高く感じていらっしゃる方に歌舞伎への興味を持ってもらうには、初めて観る演目選びがとても重要で、安易に「歌舞伎十八番」だから等の通的なあるいは常識的な基準で選ぶのは、とても危険です。なぜなら、乱暴な表現をすると、歌舞伎はピーマンと一緒だと思うからです。あの、なんとも言えない苦みの美味しさが分からないうちから、シンプルな味付けで食べてしまうから嫌いになる。まずは万人受けするケチャップ味で一口食べさせてみる。これが大事なのだと思います。
自他ともに歌舞伎好きと自負している私ですが、実は、初めて観劇をしたのは6年ほど前。社会人になってからでした。当代勘三郎さんが、勘九郎時代最後に演じた「今昔桃太郎」で、外連味(奇抜な演出)のある、まさにケチャップ味ピーマン的演目。終始笑いの絶えないお話で、歌舞伎とはこんなに楽しいものなのかと一夜にしてファンになり、それから、しばしば歌舞伎座等に足を運ぶことになりました。ただ、当時の私は、歌舞伎をコスチュームプレイとして、錦絵のように魅せる演出、衣装の美しさ、男性が女形をやる色気等ビジュアルを楽しんでおり、お話の筋書きなど、あまり気にしていなかったように思えます。
そんな私が、”大人の味わい方”を覚えるようになったのは、「平家女護島(へいけにょごがしま)俊寛」という演目を観たことがきっかけでした。これは、平氏を倒そうとした陰謀に加わり、失敗した上、島流しにあった実在の僧、俊寛が主役のお話です。俊寛についての諸説は様々で、そのためか、彼を題材にした文学作品は多数あり、皆さまの中にも菊地寛作の小説をお読みになった方もいらっしゃるかもしれませんが、歌舞伎では、近松門左衛門が書いた作品を今から300年ほど前の1719年に初演しており、菊地寛版とは内容が少々異なります。
あらすじを少しご紹介いたします。
舞台は、島流しの生活に疲れ果てた俊寛の登場から始まります。当時は、今のように刑期がなく、いつまで島暮らしを続けなければいけないかも分からず、希望もないまま日々を過ごす俊寛。ところが、この日は、陰謀仲間で同じ流罪となった若者、丹波少将(たんばのしょうしょう)成経(なりつね)が、この島に住む海女と恋仲になり、所帯を持ちたいと打ち明け、俊寛が成経の父親の代わり、もう1人の流人仲間が兄代わりとなり、清水を酒に見立てて、質素な婚礼を挙げることになります。久々に幸福な時を過ごす流人3人と新妻の千鳥。するとそこへ、京都からの船が現れます。船からは使いが1人下りてきて、平清盛の娘、建礼門院が懐妊したため、恩赦が出たことを告げます。罪が許され、京に戻れるのです。婚礼に続く喜びに、皆、夢かと沸き立ちますが、使者が読み上げる赦免状の中に、なぜか俊寛の名前だけありません。俊寛は清盛から目をかけられていたにも関わらず平家打倒の陰謀に加わったので、その裏切りに対する清盛の怨みは深く、俊寛だけが恩赦を受けられなかったのです。俊寛は赦免状を手に取り何度も内容を確認しますが、やはり自分の名前だけが見当たらず、喜びから一転、地獄の底に叩き落とされ、嘆き悲しみます。
しかし、その時、もう1人の使者が船から降りてきて、俊寛にも赦免状があることを伝えるのです。俊寛にだけ恩赦が与えられないのを見兼ねた平家の別の人間が、俊寛にも赦免状を書いていたとのこと。(俊寛があんなに悲しんでいたのだから、この使者も船から見てないで早く伝えてあげればよかったのに。と、ツッコミを入れたいところですが、細かい点は大目に見るのも、歌舞伎を楽しむコツです。)ところが、安堵した流人3人と妻千鳥が、いざ船に乗ろうとすると、1人目の使者が行く手をはばみます。「島から3人を船に乗せる」ことが、自分達の使命である以上、4人目に当たる千鳥は乗せることはできないというのです。一難去って、また一難。流人3人はどのような決断をするのでしょうか・・・。この後、俊寛、千鳥、成経、使者の色々なやりとりや、心の葛藤、また、有名な台詞などもあり見所も多いのですが、これは観てのお楽しみとして、今回、注目いただきたいのは、ラストシーンです。
最後は、俊寛だけが自ら望んで島に残ることになり、遠ざかる船に手を振りながら、ただ「おーい」と叫ぶ。成経らの船から応える声が聞こえなくなり、船が小さくなっても、「おーい」という台詞だけを言い続ける。3分間ほどでしょうか、幕が下ろされるまで、俊寛は「おーい」としか言わないのです。ただ、それだけの芝居なのですが、私が生まれて初めて歌舞伎を観て涙した瞬間でした。
最近の演劇界では優れた小説の副産物として舞台化をされることが多く、小説ありきで、演劇の影は薄く成りつつありますが、このときばかりは、文字は生身の人間にかなわないのではないのかと思ったほどです。観客は、役者が魂を込めて発した「おーい」という言葉を心で受ける。他に説明などいらないのです。その時、観客は俊寛に自分を重ね、自分の経験値内で「おーい」という言葉を理解する。自分が一人で島に残ると言ってしまった後悔、これから続く孤独の日々に対する不安・・・感じることは観客それぞれであり、10年後、私が同じこの「俊寛」を観たとしても、全く違う捉え方をするかもしれません。
これこそが、山あり谷ありの人生を経験した(あるいは、経験途中の)大人が楽しむべき歌舞伎の魅力だと思うのです。歌舞伎は新作物もありますが、多くは何回、何十回も再演されたお話です。それは、どれだけ時間が流れても、どれだけ文化が発展しようとも、歌舞伎で描かれている”人の心根”は色あせないからこそ、演じ続けられるのです。もちろん、私は宙づりや早替えなどのある演目も大好きです。でも、派手な演出で外連味ある舞台は、老若男女が目で楽しめますが、大人こそ、自分の「心」で歌舞伎を楽しむことができるのだと思いますし、年を重ね、自分の「心」が豊かになればなるほど、深みのある捉え方ができるのではないでしょうか。
実は、この「平家女護島 俊寛」。先月、大阪で興行されておりました。
先程、少しご紹介した菊地寛作の「俊寛」ですが、歌舞伎版とは登場人物と流罪になったという状況くらいしか共通点がなく、島での流人達の関係も全く違います。歌舞伎版は、流人3人はそれぞれ、平家への陰謀は志あってのこととし、お互いを仲間として敬意を払っており、だからこそ、島では、それぞれ遠く離れた場所で暮らすことで、心のバランスを保っていました。一方、菊地版では、俊寛は他2人に陰謀の責任一切を負わされ、日々、罵倒されながらも、孤独になるのが怖くて2人の側で生活をしています。一説によると、人間は3人になると仲間はずれをしたくなる性があるそうですので、いわば、菊地寛は性悪説。歌舞伎版は性善説ではないでしょうか。
そんなことを思いながらの観劇だったからでしょうか、チリ鉱山落盤事故で救出された作業員の方の『地下には神と悪魔がいた。私は神の手を握った』というコメントが頭をよぎりました。閉ざされた空間に限られた人、いつ脱出できるか分からない不安・・・流罪と比較しては失礼だとは思いながらも、島流しと似た状況だと感じたからです。そして、チリ鉱山で事故に遭われた方々は、「神も悪魔も、自分の心の中にいた。私は神であることを選んだ。」と言いたかったのではないのかと思いました。性善説は、とかく、お伽噺やお話の世界に限る、と考えられがちですが、今回、チリ鉱山での事故現場のように、「性善説」的なことが現実でも起こったのを考えますと、奇跡というのは、偶然ではなく、人間の良心から産み落とされるのではないのでしょうか。
今回、人間の「良心」について考えさせられた私には、一人島に残った俊寛は、全く悲壮感がなく、「おーい」と叫ぶごとに、人間の余計なもの(これこそが「煩悩」なのでしょうか)がそぎ落とされ、最後は島の崖っぷちの上で、仲間が乗った京への船を見つめ、神のような笑みさえ浮かべていたように見えたのです。
「平家女護島 俊寛」のシンプルなラストシーン・・・今の自分には、どのように映るのか。これが、大人の味わい方だと思います。
(藤野あゆみ)
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