夕学レポート
2016年08月09日
楠木 建「長期利益の源泉を考える:オポチュニティとクオリティ」
楠木建教授に聴く、日陰に輝くクオリティ企業のすすめ
「好き」
と言われたら(誰に言われるのかにもよるが)、そりゃあんまり悪い気はしない。自分も相手を少なからず好ましく思っている場合なら尚更だ。こんな時は「あ、実は私も…」と答えておけばよい。それだけで二人の関係は、あたたかなオーラを放ちながら、次のステップへと進む。
ところが
「好きにしてください」
と言われたら(誰に言われるのかにもよるが)、ちょっと冷たいんじゃない、と思ってしまう。事と次第によっては両者の間に不穏な雰囲気さえ漂いかねない。さて、どう返したものだろう。
一橋大学大学院国際企業戦略研究科で企業の競争戦略について教えておられる楠木建教授の、最新刊のタイトルはズバリ、『好きなようにしてください』。一種の人生相談本なのだが、あらゆる人のあらゆる悩みに対し教授は(多少の説明を付けながら)「好きなようにしてください」と答えるだけ。
この突き放した言い方は、もちろん「そんなことはどうでもいい」という意味ではない。
他人に相談して何がしかの答えを得たところで、それは他人の答えに過ぎない。それよりも、自身が胸の内に秘めている「好き(嫌い)」という感情に素直に行動すべきだ、それが最良の選択になる、というのが教授のメッセージである。誘因(incentive)ではなく動因(driver)に従え。答えはあなたの中にある。
そしてそれが、同書の副題の通り、『たった一つの「仕事」の原則』でもある。
「長期利益の源泉を考える:オポチュニティとクオリティ」という演題を掲げ、通算五回目の登壇を果たした教授は、壇上から次のような問いを会場に投げ掛けた。
「戦略のゴールは次のうちどれか?」
1.利益
2.シェア
3.成長
4.顧客満足
5.従業員満足
6.企業価値
7.社会貢献
「もちろんどれも大事だが」と断った上で教授は「1」こそが「極大化すべき目標」であるとした。松下幸之助氏の昔から柳井正氏の今に至るまで、企業の理念は「儲ける」に尽きる、という。ちなみに4は「追求すべき目的」である。そして7については「バンバン稼いでバンバン納税、これぞ企業の社会貢献のど真ん中」。トヨタみたいな一兆円納税企業があといくつかあれば、それだけで国家財政がどれだけ潤うことか、と嘆じる。
次いで教授は、「会社≠事業であり、『会社』はフィクションである」と断じた。「稼ぐ力のリアリティは『事業』にある。『事業』が主、『会社』は従」。マスコミみたいにそこを取り違えないように、と。
「というわけで、日本企業の経営課題は至ってシンプル。ゴールは『長期利益の増大』であり、事業の『稼ぐ力』を取り戻すこと。そしてそのためのスタイルは次の二通り」
そういって、スクリーンいっぱいに、白地に赤丸の図柄を映し出す。日の丸だ。
と思いきや、やがて白地に大小さまざまの「オポチュニティ」の文字が出現。そして真ん中の赤丸の中には「クオリティ」の文字が浮かび上がる。
「白地は環境、赤丸は会社。会社は、大小さまざまの機会(オポチュニティ)に囲まれている。これらを周囲の白地から掴みとるのがオポチュニティ企業。それに対し、赤丸である自社の中に利益の源泉を求めるのがクオリティ企業」。
オポチュニティ企業に求められるのは、とにかく早く速く強い握力でデカいオポチュニティを掴むことである。カギとなるのは「本社レベルの戦略的選択」、つまり「事業立地の選択」と「ポートフォリオの組み替え」。効いてくるのは「先行者利益」と「規模の経済」だ。一義的目標は「成長」であり、「利益」は後からついてくると考える。経済の成長期、次から次へと新たな収益機会が生まれる環境では、特に有効なスタイルだ。
一方のクオリティ企業は、もはや稼ぐ力の源泉を外部環境に求めにくい成熟経済下の主役である。カギとなるのは企業が内部で創るクオリティ。それには「事業内部の腰が据わった価値創造」、さらには「独自の立ち位置」と「戦略ストーリーの一貫性」が重要だ。ここでは「成長」も「グローバル化」も、結果として立ち現れる。
「新常態(ニューノーマル)意識は日本にこそ必要」という言い回しで、教授は、成熟経済下にある日本企業はクオリティ企業を目指すべきである、と説く。
オポチュニティ企業のやっていることはつまるところ「投資」だ。複数の事業を、個々の良し悪しを見ながら適宜入れ替えていくことで成り立つ、ポートフォリオとしての空間的な広がりを持つ経営。
それに対しクオリティ企業は、一意専心の「事業」を利益の源泉とする。好きで得意な事業を、時間的な広がりの中で、戦略的ストーリーとして展開しながら長期にわたって稼いでいく経営。
ここで教授は、得手/不得手の話をした。
「そもそも日本企業は外国企業と比べて、ポートフォリオ経営=投資のセンスに乏しい。それは近年の総合電機メーカーの迷走ぶりにも現れている。一方、自動車メーカーのように、特定の事業立地で粘り強く事業展開するような経営は得意である(逆に外国企業はそれが不得手)」。
だからオポチュニティ企業ではなくクオリティ企業を目指せ、というのだが、単に「良質の製品を作る」ことができればクオリティ企業になれる、というものでもない。
哺乳瓶のトップブランド、ピジョンの話。
この商品、エンドユーザーは赤ちゃん。決して良し悪しを語ってはくれない。だから口コミが効かない。どうするか。
ピジョンが選んだのは、産婦人科医と商品を共同開発することだった。長い時間をかけ、ピジョンとともに創り出したその哺乳瓶の良さを、セールスマン以上の情熱で産婦人科医は母親たちに語りかける。その熱意が、母親たちのネットワークを通じて拡がる。やがて、日本のみならず中国をはじめとする世界中で、高価格に見合ったその品質が買われる商品となった。
そしてまたピジョンは、そのブランドバリューにも関わらず、生後24か月以上の幼児を対象とする商売には決して手を出さない。言葉がなく、従って文化による差異もない生後24か月までの乳幼児だけがピジョンの良さを無条件で(かつ無言で)評価してくれる顧客である。その顧客にフォーカスするのが自らの強みを保持する最良の方法であることを、ピジョン自身が深く自覚しているからである。
ここに、個々には特別でも何でもない要素をストーリーとしてつなぐことで、継続的に(そしてグローバルに)稼ぐ力を得ているクオリティ企業の典型的な姿がある。
オポチュニティという日向に群がる企業群を横目に、逆オポチュニティとでも言うべき日陰に居場所を見つけるクオリティ企業。
陽射しが強ければ強いほど、日陰もくっきりと浮かび上がる。
「良い(悪い)」というincentiveに導かれて日向になびく限り、良くなる程度もたかが知れている。
だが「好き(嫌い)」という内なるdriverに突き動かされて選んだなら、他の者が訪れようともしない日陰で、あらゆる努力は愉しみに転じていく。
会社はフィクション、という教授の表現を敷衍して言えば、日本という国もある意味フィクションに過ぎない。「政府にできるのはせいぜい規制緩和。アベノミクスは『そよ風』に過ぎない」。そんなものに依存せず、自らの道を自ら切り拓こうとする「意思を持つ主体」にしか『ストーリーとしての競争戦略』は生みだせない。そして「成長の主体は企業」なのだ。
「好き」、という強い衝動のもとで個人が動く。その個人が組織となって事業が動く。その事業がストーリーとなって企業が動く。その企業が適切に儲けることで国家が動く。
日陰に佇むクオリティ企業。だがそれは、太陽に照らされなくとも自ら輝くことのできる企業の姿である。日の丸を国旗として掲げるこの国に、これほど相応しい会社のあり方はない。
冒頭の問いには、今日から自信をもってこう答えよう。
「はい、思う存分『好き』にさせていただきます」。
(白澤 健志)
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