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夕学レポート

2018年04月10日

土井 善晴「和食を知らない日本人はいけないでしょう!」

土井 善晴
料理研究家
講演日時:2018年1月25日(木)

土井さんの眼

土井善晴

生命誌学者の中村桂子さんには数学者のご友人がいて、彼には十次元の世界が見えるそうだ。中村さん自身は「私には十次元の世界は見えないけれど、DNAの世界なら見える」という。専門家ならではの言葉だと深く感じ入るものがあった。考古学者に昔の世界が見え、優れた医者にはちょっとした兆候から病気が見えるように、何にでもプロの眼というものは存在する。今回の講師の土井善晴さん(私は土井さんにはよそよそしさを感じさせる「土井氏」との言葉を使えない。料理番組などを通して親しみのある存在なので。)には一体どのような世界が見えるのだろう。すると土井さんは料理研究家ならではの発言をされた。

「日本料理は五感を使って料理をする。『どうかな?』と心を働かせること。今は数値化された知識でしか作れなくなっていますが、すべて強火で煮たら水ですら傷つくのです。」

驚いた。「水ですら傷つく。」水の様子をここまで観察する人はそうはいない。このような観察眼をもつ人で真っ先に思いつくのは科学者である。料理に不可欠な水を観察し抜くと、この表現に至るのか。意味するところは、例えば同じ煮るのでも水と調味料の入ったものならそれぞれ異なり、調味料の入ったものなら強火で煮ると焦げて臭いがしてしまう、生き物が相手なので気をつけて扱う必要があるという、基本といえば基本的なことだが、「水が傷つく」なんと繊細で美しい表現だろう。土井さんの五感を使ったその先の感性の鋭さがここに凝縮されているようだ。さあ講演が楽しみだ。

先に述べたように日本料理は五感を使う。例えば茶事で3回出されるというご飯は堅い「生まれたて」のもの、お代わりとしては「盛り」のもの、そして焦げたところにお茶を挿す「死に行く」ご飯の3種があるそうだ。一生のあり様をご飯で表現するということなのだろうか。「春をどれだけ感じさせたいか」によってご飯の中に入れる芽キャベツの大きさが変わるなど、壮大かつ繊細で詩的な世界だ。このように深く考えていくの(深化)が日本料理の特徴である。

世界無形文化遺産に日本料理が登録された理由は、(1)素材の持ち味を尊重する、(2)栄養バランスに優れた健康的な食生活、(3)暮らしの仕事とともにある、(4)自然を表現する美しいプレゼンテーションと、このように向かっている先は家庭料理である。それにも関らず登録された時にテレビのレポーターがマイクを向けた先はプロの料理人であって普通の家庭の人ではないと土井さんは残念がる。むしろ家庭のおばあちゃん、お母さんに「良かったね」「おめでとう」をいうべきでないかと。謙虚さも手伝ってなのだろうか、一般の人も自ら「それは私、私達の料理」と手を挙げることはしない。

一方で、それと相反するようだがSNSにはホームパーティーの料理写真が溢れている。しかしその料理は土井さんがいうところの、「プロの真似をした料理」であって家庭料理ではないものが多いように私には思える。(それはそれで悪いことではないとは思うが、ホームパーティーの標準がむやみやたらに上がるという弊害が生じているように感じるのは私だけだろうか?)ハレの料理は元来神に捧げるため手が掛かることに価値がある。神様に近づけるから白くする、それにより栄養がない等の特徴がある。

一方、ケの料理は家庭料理だ。プロの料理を真似することはハレの料理にすることであって日常からは離れていく。日本では他所に出すものは体裁を整えることと考えているため、そして最近では次々に投稿されるSNS記事の影響によりホームパーティーでは料理も大変手間がかかったハレにしてしまうのだろうが何だか考えものだ。子供の頃、伯母の家に遊びに行くとお茶とお手製の漬物が二種、ドスンと出される。それで十分もてなされていたし、特別な時でない限り、そうした飾り気のない「歓迎」「おもてなし」がそこにはあった。伯母の家にはいつも客が絶えなかった。

土井さんも出汁をとることにこだわり過ぎず、煮物をしたり、味噌にお湯を注いだだけの味噌汁を紹介している。「日常」「普段」(ケ)にもっと自信を持っていいのだ。日常を大切にすることこそが、日本料理を支える裾野が広がる。そう言いたかったのではないか。
「日常生活に雅とか美とかをわきまえ、それを取り入れて楽しめるものは、たとえ貧乏暮らしであっても金持ち性であるといえよう」
冒頭に紹介された魯山人の言葉は、五感をフル活用して生活を楽しむという意味であると同時に日常(ケ)をもっと楽しむべし、という意味もあるのではないか。

講演では日本料理や、清潔の起源、素材を生かす、箸を横に置く理由というような日本の料理文化を言語化して伝えよう、見直してもらおうとの話がされているのに、最近メディアでよく見かける「日本の良さ再発見」「どうだ、これが日本だ」的な誇示し過ぎの感じがしない。それは土井さんの話が観察眼や美意識に拠るものだからではないかと思う。土井さんが料理研究家として通常扱うのは家庭料理だが、その歴史や背景、生活文化にまで話は広がっている。

土井さんに見える世界は、今日の料理だけでなく、その背後にある風土に培われてきた日本の価値観や美意識、幾千年もの文化、そして明日の食卓のあり様だった。

(太田美行)


土井善晴(どい・よしはる)
土井善晴
  • 料理研究家

1957年、大阪生まれ。
大学卒業後、スイス、フランス、大阪にて料理修行。
土井勝料理学校勤務後、1992年独立。
料理研究家、おいしいもの研究所代表。

元早稲田大学非常勤講師(~2016年)
東京造形大学講師(2017年~)

家庭料理指導のほか、全国にて文化講演活動。

●メディア
NHK「きょうの料理」
テレビ朝日「おかずのクッキング」は1988年より30年間レギュラー。
MBS「プレバト」盛付け審査
BS朝日「土井善晴の美食探訪」
などに出演。

近著に『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社、13万部)がある。

慶應MCC担当プログラム
土井善晴さんと語らう【「一汁一菜」のその先へ】』(2023年11月)

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