夕学レポート
2010年11月18日
甲野 善紀「身体から起こす革命」
気づかれざる革命 ~甲野善紀という親指~
いかにして甲野氏の「術」をかわせるか。
といっても、武道の心得もなくスポーツの経験も浅い私が、その方面で氏と組み合ってその技から逃れよう、という意味ではない。(もとより相手にされるべくもない。)
言いかえれば、一人の聴講者として、氏の話とどう組むか。
氏が惜しげもなく披露する技と術理の数々に目を奪われ、その実演の考察と感想にとどまる限り、氏が意図せずしてかけた「術」に嵌った、と言わざるを得ないだろう。
「身体から起こす革命」という言葉に込められた氏の想いを、いかにして的確に掴み取るか。その「術」中に陥ることなく、氏の懐にどこまで入り込めるか。
「身体から起こす革命」という講演タイトルに、もう一度意識を向けてみる。
身体「から」、とある。
武術研究を通じて自らが会得した、現代人が忘れてしまった技を実演し、その術理を聴衆に伝えて行く―というだけの話なら「身体で起きる革命」ないしは「身体の革命」という語で足りる。そこでおさまる話ではないからこそ、身体「から」なのだ。
では身体「から」はじまった話は、どこへ向かうのか。「革命」とは誰による、どのような革命なのか。
修練によって培われた氏の身のこなしを噂に聞き、その教えを請う声は、全国各地から寄せてくる。氏は求められるがまま、スポーツ界から介護業界、さらには演奏家に至るまでの各方面のプロのもとに出向き、その術理を披露して、都度感嘆の声を湧き起こす。
しかしまた、感嘆の声がそのまますべて継続的な歓声に結びつくわけではない。むしろ二度と呼ばれないことの方がはるかに多い、と氏は語る。選手の驚きの声を、監督が苦い顔で遮る。現場の介護者の得心を、斯界の権威が高い声で打ち消す。個々のチームや団体で、「身体」に相当する人々が認めた感覚を、「頭」に相当する人々が抑圧する、というこの構図。
技の実演の一場面。
会社で言えばでしゃばり社員のような、と氏がいう「手」。その手だけで相手の身体を持ちあげようとしても持ち上がらないよ。他の社員がみんなしらけて何もしないから。でもね、といって氏が全身を使う。身体のいろんな部分を少しずつ、少しずつ動かして仕事をさせれば、ほら、と言うが早いか相手は宙にひっくり返っている。
武道やスポーツ、さらには介護等の関係者が共通認識として持つ常識を丸ごとひっくり返すこと。それが「革命」であるとするならば、氏はいつも「革命」に失敗していると言わざるを得ない。たったひとりで日本中に技と術理を披露してまわる氏が演じているのは、まさに「でしゃばり社員」の役回りであり、饒舌な「手」のごとき存在である。「手」だけで起こす革命が成るはずもない。
常識が覆るかどうかは、実のところどうでもよいのかもしれない。
問題は、氏の技と術理を「感じた」一人ひとりが、それによって自己を覆すことができるかどうかだ。
全身の各部を少しずつ動かすように、社会全体が個人という各部を少しずつ動かす。
いや、「動かす」という言い方も適切ではない。
社会が全体として達成するものを念頭に置きながら、個人という各部が自ら主体的に少しずつ「動く」こと。その少しずつの動きが弛まず行われるとき、私たちの社会は、思いがけなく大きく、そして迅速に動く自らの姿を、不意に目撃することになるだろう。
「用意してきたことの五分の一も言えなかった」今回の講演では詳らかにされなかったが、氏を武術研究に向かわしめた衝動の根源は、効率優先の現代社会への懐疑であるという。
社会全体の意識を変えるのはむろん生易しいことではない。と同時に、いつまでも変わらず存するものもなかなかない。気がつけばいつの間にか大きく変わっていた、という実例なら、近年の環境問題への意識の高まりをはじめとして枚挙に暇がない。
氏の術が成功する一つの理由は、気配を出さずに動くからであるという。氏は革命の気配を消しつつ、しかし気がついた時には一瞬で人々の意識が変わっているような社会の招来を企みながら歩を進めているようにも思える。
親指に関する講義。
他の指よりも関節が少ない。なのに根元から円を描いて、他の4本の指より自由に動く。いつも相互に付和雷同している4本の指と、それに敢然と相対峙する親指。その親指のおかげで、ひとはものを掴むことができる。まるで、現代社会に相向かう甲野氏のような、親指の佇まい。
親指を酷使してはいけない、と甲野氏は言う。そう、いつまでも親指に頼っているようでは、革命など覚束ない。
私たち各部が、自ら少しずつ動くことに覚醒したとき、「身体から起こす革命」はすでに成っている。
誰にも気づかれぬうちに。
(白澤健志)
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