夕学レポート
2020年12月08日
本間 希樹「人類が初めて目にしたブラックホールの姿」
本間希樹所長に聴く、事象の果てに見えたもの
プロジェクトの名はEHT/Event Horizon Telescope。直訳すれば「”事象の地平線”望遠鏡」。
欧州、北米、南米、南極、そしてハワイに散らばる各国の電波望遠鏡を連携させて地球と同じ大きさの仮想的な巨大電波望遠鏡を構成する。人間でいえば視力300万、というその途轍もない「目」=超長基線電波干渉計(VLBI)が見据えるのは、太陽系から5500万光年の彼方にあるM87銀河、その中心にある見えない陥穽、ブラックホール。
200名を超える世界の研究者たちが参加したこの国際プロジェクトの成果発表は、2019年4月10日、協定世界時13時ちょうどに世界6か所で一斉に始まった。歴史的瞬間はそのきっかり7分後に指定されていた。
「日本時間午後10時07分、この時刻は一生忘れられない」
日本チームのリーダーを務めた本間希樹・国立天文台水沢VLBI観測所所長は、各チームを代表する6人のうちの一人として、人類が初めて撮影したブラックホールの姿を世界に向けて見せたその瞬間を振り返って、言った。
始まりはアインシュタインだった。
1915年に発表された一般相対性理論によれば、質量の周りでは時間と空間が歪む。極大の質量を持った星が、ある極小の半径より小さく潰れると、その重力で半径内に引き寄せられたものは二度とその外側に出られない。この概念を表す方程式はアインシュタイン自身が解けないほど難解だったが、1916年にシュバルツシルトが解を発表し、今私たちがブラックホールと呼ぶ天体の存在が予言された。
しかしこの二人の天才は、理論的帰結とは裏腹に、直観的にはそのような天体の存在を信じなかった。それほどまでにブラックホールは、人間が持つ常識とはあまりにもかけ離れた、おかしな、ありえない存在だった。
そのような物理学の展開の傍らで、天文学は様々な観測結果を積み上げてブラックホールの存在を傍証し続けてきた。それでも、この100年間、その姿を実際に見たものは誰もいなかった。果たしてブラックホールは本当にあるのか、どんな形をしているのか。それらの疑問に終止符を打ったのが、今回の偉業だった。
太陽の65億倍もの質量を持つM87のブラックホールの場合、その途方もなく大きな重力のため、直径400億㎞の仮想球面の内側に入ったものはもはや外に出ることができない。吸い込まれたものは内部で極限まで圧縮され続ける。光さえも抜け出てこられないので、内部の様子を見ることはできない。
地上で地平線の向こう側が見えないように、ブラックホールの球面より内側の事象は、外側にいる者には見通すことができない。これが「事象の地平線」だ。
その、銀河の中心にある地平線、「見える」ものと「(決して)見えない」ものとの境界線を浮かび上がらせたのが、今回の画像だった。
平面の画像でドーナツ状に見える部分が、ブラックホールの周りにまとわりつく光子の衣、光子球。ドーナツの穴にあたるのがブラックホールの「影」、ブラックホールシャドウだ。しかし実際の天体は立体であり、ドーナツよりもむしろイチゴ大福に近いと本間所長は言う(イチゴがブラックホール、薄皮が光子球だとして)。その姿は動画で見るとイメージしやすい。
ブラックホールは見えなかった。見えないはずのものを「やはり見えませんでした」と示すことによってその存在を直接的に証明する。こんな方法が成り立つのは宇宙の中でもブラックホールだけかも知れない。それだけ奇妙な天体なのだ。
いや、それが奇妙に思えるのは、人間が、人間の尺度で考えているからだ。
そもそも「見える」と言っても、人間のそれは、だいぶ条件付きの「見える」だ。電磁波の中で見えるのは可視光線だけ。赤外線や紫外線、電波やX線やガンマ線は見えない。小さすぎるものも見えないし、遠すぎるものも見えない。空気のように透明なものも見えないし、ハチドリの羽ばたきのように速いものも見えない。
だが人間以外の生物にはそれが見えるものもいる。「鳥の目・虫の目」というが、彼らの目は紫外線を見ることができる。また、色の知覚は動物によって大きく異なる。
あのブラックホールの画像も、一枚の写真のようにパチリと撮られたものではない。
2017年4月に、各地のパラボラアンテナが受信した4夜分の電波を、複数のチームが従来法・米国法・日本法の3つの解析手法で処理し、それらを合成して画像にしたものだ。
光子球の色も、わかりやすくするためにEHTのメンバーが電波の強度等に応じて人工的に着色した恣意的なものである。そもそも電波に色はないし、人間の目には見えない。
やはりブラックホールは見えない。あらゆる意味で「見えない」のだ。
そのことへの気づきが、人間に、自らの「見える」を相対化する機会を与えてくれる。
「ほんとうに大切なものは目には見えない」とサン=テグジュペリが「星の王子さま」に書いたのは1943年のことだった。その翌年、第二次世界大戦のさなか、自ら操縦する飛行機とともに彼は地中海に沈み、星になった。
そういえばシュバルツシルトも、シュバルツシルト解を示してから一年も経たずに、第一次世界大戦の従軍中に患った病気が元でこの世を去った。
アインシュタインは直接戦場に赴いたわけではないが、第二次世界大戦では米軍に協力し、原爆開発を大統領に提言した(ただし戦後は世界に向けて核兵器の廃絶を訴えた)。
20世紀の科学者たちが否応なく戦争に巻き込まれていったのに比べれば、EHTに集う21世紀の科学者たちの姿は明るい。
日本の観測プロジェクトVERAは韓国のネットワークKVNと連携し、KaVAという合同観測網を築いている。政治的な関係が悪化しても、草の根の科学者は仲良く協力して毎週のように観測を続けている。東アジアには中国を交えたEAVNというネットワークがあり、今後はこれにタイも参加するという。そのような地域ネットワークの集大成が、EHTという全球規模のプロジェクトだともいえる。
国際プロジェクトならではの苦労について本間所長は実感を込めて語ってくれた。距離、時差、言語、そして何よりも価値観や考え方の相違…。しかし、どんなに揉めた議論も、最後にはすっとまとまったという。
「結局は、みんな『ブラックホールを見たい』という想いでつながっていた」。
ひとつになったEHTのメンバーに対し、その成果を目撃した世界のほうも、ひとつになった。
記者会見で公開されたブラックホール画像は、それこそ光の速度でネットに拡散した。テレビは速報を出し、翌日の世界各国の主要紙は示し合わせたように一面トップにこの画像を掲載した。
世界の人々がこれほどまでに、こぞって祝い、讃えたニュースが、近年あっただろうか。
そこには、ナショナリティを超えた、地球人としての我々の姿があった。
ブラックホール。
光さえも抜け出せない、その仮想の球面を持つ存在は、いわば外から内への一方通行の「弁」。
これは何かに似ている。
生と死だ。
生者は死者を想い、また自らの死を想う。
なのに、死者は生者に何も伝えてはくれない。
それでもそれは、死者は生者の営みを見ていない、ということを結論付けるものではない。
ひょっとしたら、あちら側には、こちら側の様子が見えているのかもしれない。
そして、見えざる手を動かして、私たちの視線を宇宙の彼方へと導いてくれているのだ。
彼らは知っているから。
そこを見つめている限り、地球は、人類は、ひとつになれることを。
(白澤健志)
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本間 希樹(ほんま・まれき)
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- 国立天文台 水沢VLBI観測所 所長/教授
1971年アメリカ合衆国テキサス州生まれ、神奈川県育ち。
東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程を修了し、博士(理学)の学位を取得。国立天文台の研究員を経て、2015年に国立天文台 水沢VLBI観測所 教授。2015年より、国立天文台 水沢VLBI観測所 所長を務める。
主な研究分野は銀河系天文学。現在、国立天文台のVERAを用いて、銀河系の3次元構造の研究を進めている。また、銀河中心の巨大ブラックホールを事象の地平線スケールまで分解するEHTプロジェクト(サブミリ波VLBI)も推進している。
複数の望遠鏡で同じ天体を観測し、データを掛け合わせることで巨大望遠鏡で観測したのと同じ解像度を得るシステムの第一人者として、日本では水沢(岩手)、小笠原(東京)、入来(鹿児島)、石垣島(沖縄)の4基を繋いで観測する「VERAシステム」のリーダーを務め、その実績により2014年「自然科学研究機構若手研究者賞」を受賞。
2019年4月10日夜、国立天文台を含む世界16の国と地域の研究機関が共同で記者会見を開き、ブラックホールの「影」の撮影に成功したことを発表。この発表を行った、EHTプロジェクトの日本チームの代表者を務めた。
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