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夕学レポート

2021年03月09日

岡本 隆司氏講演「歴史から読み解く現代中国」

岡本隆司
京都府立大学 教授
講演日:2020年12月4日(金)

岡本隆司

「バラバラの中国」「一つになろうとする中国」

「ぐつぐつと煮えたぎる熱湯を、鋼鉄の鍋で閉じ込めている状態」
現代中国政治研究の第一人者で、防衛大学学長でもある国分良成先生は、現代中国をこのように評したことがある。
清代を中心にした中国の歴史を専門とする岡本隆司先生は、まったく違った表現を使う。

「バラバラの中国」「一つになろうとする中国」

この二つの中国評は、見事にシンクロする。
「ぐつぐつと煮えたぎる熱湯」とは「バラバラの中国」が発する分裂の熱量であり、「鋼鉄の鍋で閉じ込めている」という表現は、「一つになろうとする中国」の統一に向けた権力の強さのことである。

2019年から続いている香港民主化運動は、日本でも人気の周庭さんを含む3人の民主運動家が逮捕収監されたことでターニングポイントを迎えたかもしれない。昨年制定された香港国家安全法は、民主運動を鋼鉄の鍋に放り込んでしまったようだ。

そもそも、なぜ荒っぽい手段を用いてまで「一つになろう」とする必要があるのか。One china愛国主義を声高に主張しなければいけない理由は何なのか。
岡本先生は、19世紀末の中国近代史に遡って、「一つになろうとする中国」の源流を解説してくれた。

実は、One china愛国主義の形成には日本が深く関わっている。日清戦争は朝鮮半島への影響力を巡る戦いであった。この戦争に敗れたことで、清国は朝鮮半島の独立と台湾譲渡を受け容れることになった。古代から続く旧体制の象徴である”属国”を喪失したのである。

これを契機として列強による清への浸食がはじまった。「瓜分(かぶん)」=瓜を切り分けるように領土が分割されていく、ことを余儀なくされたのである。
この事態を受けて、国内には強烈な危機意識が生まれた。「中国は一つでなければならない」One china愛国主義は、この流れの中で産み落とされたナショナリズムである。
きっかけは日本が作ったともいえる。

One chinaのモデルも日本であった。
改革を志向する中国人にとって日露戦争の衝撃は大きかった。西欧近代化を採用して間もない小国日本が大国ロシアに勝ったのである。
「一つの中国」のモデルは西欧流の立憲主義に基づく国民国家であり、学ぶべき対象は日本の近代化への取り組み方だと、彼らは考えた。孫文の辛亥革命、蒋介石の国民革命といった革命運動は、この流れ中で生まれたのである。

では、なぜ中国はバラバラだったのであろうか。
岡本先生によれば、清代の中国が多元共存コンセプトで統治されていたことにある、という。
中国には、さまざまな民族、言語、宗教があり、いくつもの国があった。清国は、統一に向けたマスタープランを持った国ではなかった。彼らとの生存競争の結果として、たまたま勝ち残って出来上がった大国だという。

因俗而治(いんぞくじち)=それぞれの習俗に従って治めよ、という考え方が「清の統治理念であり、ひたらく言えば、-暮らしやすいように暮らせ-という統治であった。
藩部(チベット、モンゴル、ウィグル等)や属国(ベトナム、朝鮮等)など周縁地域の多元的勢力と共存する=「バラバラの中国」のままの方がうまくいく時代だったのかもしれない。

バラバラの方がうまくいく理由は、経済・社会構造にあるという。
明・清時代の中国は、東三省、長江流域、江南といった巨大な地域経済圏が並立・連鎖するネットワーク型経済であった。貨幣も銀・銭二貨制で、各地域がそれぞれに海外貿易を行い、為替も異なっていた。
バラバラであることを前提にして経済システムが機能していたともいえる。

また、階層別の人口構成にも特徴がある。19世紀の中国の人口ピラミッドは、底辺がとてつもなく大きい。同じ時代の日本がロケット型であるのに対して、漏斗を逆さにしたようないびつな形の構造である。庶民・基層社会の数が多すぎて、末端の集落やコミュニティまで権力が統制できないメカニズムになっている。
国民政府の概念が理解できる知識層だけを頼りにしても革命は成就しない。農村を基盤とすることにこだわった毛沢東の革命が成功したのは、農村(庶民・基層)が圧倒的なボリュームゾーンであることを見抜いていたのかもしれない。

先述のように、19世紀末からの列強の浸食によって、「バラバラの中国」の秩序は機能しなくなった。バラバラのところに列強が入り込んだことでバラバラ度が強くなり過ぎたのである。この結果として「一つになろうとする中国」を標榜する革命運動が沸き起こったのである。

しかしながらOne chinaは困難な道のりであった。
孫文の辛亥革命も蒋介石の国民党政府も「一つの中国」を作ることはできなかった。列強の浸食に続く日本の大陸侵略によって危機が高まる中で、国民党政府、軍閥、そして共産党との合従連衡を経て、中国共産党による「ひとつの中国」へと変遷していったのである。

翻って、香港民主化運動の弾圧に象徴されるような現代の中国にあって、「バラバラの中国」「一つになろうとする中国」の実相はどうなのであろうか。
ここからは、岡本先生の講義を受けたうえでの私見になる。

中国政府は、1950年代のチベット動乱、80年代以降に激化したウィグル自治区問題といった周縁部の反乱を力で飲み込んできた。弾圧の後に大量の漢人を移住させることで社会構造を変えてしまうというずいぶんと乱暴なやり方であった。
いま香港が同じように飲み込まれようとしている。次の矛先が台湾に向いていることもはっきりしている。
この動きを、「一つになろうとする中国」の対外拡張と見ることもできる。

藩部と呼ばれた地域の次には、かつての属国(朝鮮半島、インドシナ半島、琉球諸島)へと「一つの中国」の外縁を広げようとしているのではないかという言い方をする人もいるだろう。南沙諸島、尖閣諸島などを巡る動きを見ると不安になることは事実だ。

一方で、「バラバラの中国」のエネルギーが中国内部に高まっているという危機感の反作用として、見せしめ的に香港に強圧的な態度を取っているという考え方もできる。
庶民層の制御が効かなくなった時の恐怖は、政府指導者が一番よく知っているはずである。
香港民主運動家への弾圧情報が、中国国内にさざ波のように広がっていくことを承知したうえで、あえて強面でいく、という伝統的な弱者への脅し戦術である。

中国国内で「ぐつぐつと煮えたぎっている」不満に、水差し効果を提供してきたのが経済成長であろう。中国の庶民が、政府への不満を抱きつつも、親の代より豊かなになったことは間違いない。「自分に直接関係なければ、まあいいか」思っているのかもしれない。
成長の果実の再分配が機能している間は、鋼鉄の鍋にひびが入ることはないような気がする。
言い方を変えれば、中国経済がリセッションを迎えた時こそ、「バラバラの中国」と「一つになろうとする中国」の均衡状態が変わる時ではないだろうか。

(慶應MCC城取一成)


岡本 隆司(おかもと・たかし)

岡本 隆司
  • 京都府立大学 教授

1965年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。中国近代史研究者。現在、京都府立大学文学部教授。
著書は『近代中国と海関』(第16回大平正芳記念賞受賞、名古屋大学出版会、1999年)、『属国と自主のあいだ―近代清韓関係と東アジアの命運』(第27回サントリー学芸賞受賞、名古屋大学出版会、2004年)、『中国の誕生―東アジアの近代外交と国家形成』(第12回樫山純三賞受賞、第29回アジア・太平洋賞特別賞受賞、名古屋大学出版会、2017年)他多数。

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