夕学レポート
2021年12月14日
斎藤 幸平氏講演「人新世の危機とSDGsというアヘン」
資本主義の次に来る、真に豊かな社会
自家用ジェットに乗りながら環境案件に投資するビル・ゲイツ。古着のリサイクルをするファストファッションブランド。SUVの電気自動車。大インチの省エネテレビ。大量にコレクションされるマイバッグ……。最近見かける「本末転倒」。だが千里の道も一歩からというじゃないか。できるところから始めなくてどうするアクション。
自家撞着に陥るのも無理はない。人間の自然界への侵食が遠因とされる疫病が世界中に蔓延し、四季なき日本には今年もまた痛ましい水害の頻発が予感され、先月末のカナダでは気温が連日50度近くにまで達した。ディストピアが常態化したせいで判断がおかしくなってしまったとて、誰が責められようか。思い余った我々は、藁をも掴む思いで政府や企業という売人が小分けに繰り出してくるSDGsという「アヘン」にすがり、一瞬の癒しを得る。しかしSDGsはこれまで通り欲望にまみれた生活を続けるための「免罪符」にすぎず、長い目で見ればほとんど誰も(人も地球も)救わない。斎藤幸平氏が「アヘン」「免罪符」などと敢えてキツい表現を使うのは、事ここに至ってはSDGsのような小手先の対処法では間に合わず、もっと大物の敵(資本主義)を知る必要を訴えようとしての深慮なのだった。
いっぽう、ワクチンを打って経済を戻そうというプレッシャーは日に日に高まっている。この1年半は悪い夢をみていただけで、醒めればまたもとの経済状態に戻るのでは。いや戻らいでか。菅首相がうつろな目で放った「2050年までに脱炭素社会実現」宣言を経済成長のきっかけに、という牧歌的な論調が新聞に出始めている。いわゆる「緑の資本主義」への転換作戦だが、しかしそれも偽りなのだ。技術革新による効率化で経済成長を追い求めれば、さらなる環境負荷が生まれるのは必定。また、これまで同様、政府や企業が何とかしてくれるさ、と受動的SDGsジャンキーを続けていれば、それこそ既得権益を持った人たちの思うツボ。この未曽有の環境危機を乗り越えるには、民が自律的に住みたい社会を決めなくては。そして今こそ、「GDPを追い求めて働き過ぎ、ストレスを消費で発散するだけの人生」を続けていてよいのか。己に問い直すときが来ている。
そんなわけで問題の所在を問い直すと、大修正を迫られているのは、「資本主義」そのものだと改めて首肯できる。これこそが、自然や資源を蕩尽して地球を破壊し、経済格差を生み、人心を荒廃させる張本人であったと。もちろんうすうす気は付いていたが、我々大人は見事に目をそらし続けてきた。グレタ・トゥーンべリが怒りに満ちた表情で「システムを変えなければ、意味がない」と警告してくれたその時も。
ブルシットな状況が続く今の日本で、ほとんど唯一の光明が、斎藤氏の著作『人新世の「資本論」』の大ヒットかもしれない。今や32万部に届くとは、それだけの人が不安と後ろめたさを抱えていることの証左だろう。「人新世(ひとしんせい)」という、聞き慣れないが十分に滅亡感漂う言葉+おなじみマルクスの「資本論」。異種格闘技のような組み合わせが斬新なタイトルだ。むろん内容がその何十倍も革新的であることは、読めばわかる。ちなみに人新世とは、海に浮かぶマイクロ・プラスチックや大気中の二酸化炭素など人の活動の跡が地球を覆うまでに破壊しつくされる時代、の意味で、ノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェン博士が提唱した。46億歳の地球人生で最後?の地質時代が人類による汚染の傷跡層であるとは、何の冗談か。
マルクスとエコロジー。これも、マルクス研究者の間ではそう意外な組み合わせではないらしい。マルクスは『資本論』で、「資本が自然から豊かさを一方的に吸い尽くした結果、人間と自然との『物質代謝』(エコロジー)に取り返しのつかない『亀裂』を生み出す」と警告していた。世界中のマルクス研究者が刊行を進める『マルクス・エンゲルス全集』(MEGA)編集委員会のメンバーでもある氏は、書簡やメモを含むマルクス最晩年の記述資料にアクセスすることで、従来のマルクス主義が囚われていた「生産力至上主義」という成長の論理から一歩進めた「脱成長コミュニズム」という新解釈を獲得した。
脱成長といっても、氏が提唱するのは、単にGDPを減らすのではなく、生活の質を大切にする「潤沢なコミュニズム」への転換だ。水や電力、交通網、教育などをタダにして市民が共同で管理(「コモン」化)、労働時間を減らし(日曜日は店を休みに)、所得税を90%に上げるといったこと。パンデミック後なら、部分的にでも手を付けていけるのではないかという気がする。高い所得税も制度化すれば優秀な人は儲け以外のところで頭を使うだろう、という氏の希望的観測に同調したい。資本主義の恩恵にあまり浴し得なかった日本のクレヴァーな若者が怒りをアイデアに昇華してくれたら。もちろん当方のような古参も、「資本主義の一歩外に出るような真にユニークでクリエイティヴ」な方法を熟議で生み出す努力を惜しむべきではない。欧州に生まれている萌芽に倣って。
女性市長アーダ・クラウ率いるバルセロナの取り組みが、頼もしい。「フィアレス・シティ(恐れ知らずの都市)」の旗を掲げ、パンデミックでの経済活動休止を逆手に、まちの一定区画を自転車や歩行者のための公共空間「スーパー・ブロック」として開放。市民の好評を得て、今後10年で500にまで増やすという。道路って本来車のためじゃなくてみんなのもの=「コモン」じゃない?という発想から生まれた成功事例だ。「明日からすぐできて、技術はいらず、二酸化炭素も出ないし、何より”成長しない”」。ほかにも新築の3割を公営住宅にするなど市民目線の施策が進む。
30年前に五輪をやった都市とは思えないほど資本主義から距離を置くバルセロナ。彼我の差に眩暈がするが、都市こそ意識的にコモンズにしていく必要があると氏は力説するのだ。どうする、トーキョー(その前に五輪は中止だ)。
質疑応答で会場から「本を出したあと、日本の政治家からアプローチがあったか」という問いに、「パブリックなものではないが、ありました」「本が売れたことで人びとの関心の高まりについて政治家が気付いてくれたことが嬉しい」と応えながら、近年欧州で注目が集まる「気候市民議会」のことも紹介された。
年齢・性別・学歴・居住地といった属性が均等になるようくじびきで選ばれたメンバーによる150人規模の市民議会。フランスでは、2025年以降の飛行場新設禁止(!)、国内線廃止(!)、自動車の広告禁止(!)、気候変動対策用の富裕税の導入(!)……(〔!〕:筆者)。といったやや過激ながらも十分に実効性がありそうな気候変動防止対策案が打ち出された。
議会発足のきっかけは、あの「黄色いベスト運動」。化石燃料税を上げながら最も二酸化炭素を排出する富裕層への税を削減し、地方交通機関を減らして自家用車を使わせようとしたマクロン首相に、農民やトラック運転手とともに環境保護を訴える人びともいっせいに蜂起したのだという。「日本でも、選挙だけではだめで、デモや市民運動から生まれる議会をつくっていかねばなりません」
(共産主義のような)歴史上の似たような試みに対する失敗についてどう思うか、という質問に、氏は「現在の資本主義を正当化させる理由にはならない。ソ連のような国家による共産主義ではなく、バルセロナのように下から変えていくという試みを今から育んでおかないと」と応じ、「あと30年で間に合うのかという批判もあるだろうが、新しい可能性に賭けたいという気持ちです」としめくくった。
静かな変革の扇動。「知っていて行わないのは罪」と聖書にもある。さて何から始めようか。
(茅野塩子)
- 斎藤幸平(さいとう・こうへい)
- 大阪市立大学大学院経済学研究科 准教授
- 1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy (邦訳『大洪水の前に』堀之内出版)によって権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初、歴代最年少で受賞。同書は世界六カ国で翻訳刊行されている。日本国内では、晩期マルクスをめぐる先駆的な研究によって「学術振興会賞」受賞。30万部を超えるベストセラー『人新世の「資本論」』(集英社新書)で「新書大賞2021」を受賞。
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