夕学レポート
2023年06月13日
小泉 悠氏講演「ロシアの論理、ウクライナの論理」
論理の先に
ウクライナへの侵攻が始まって数か月後、部屋の壁に世界地図を貼った。報道される街やロシアと国境を接する国の位置がわからなかったからだ。すると国の大きさや位置が目でわかることで意味づけが感覚として響いてくるようになった。何よりもロシアは大きい。アメリカよりもはるかに大きい。国境を接している国も多い。併合や侵攻された国も多いから、周辺国の脅威は日本人には想像が及ばぬほどのものだろう。
小泉悠氏の講演はロシアの軍事力について世界第5位といっても実は大したことがないという点から始まった。経済力では韓国と同程度、相当無理をしての世界5位で極東側に配備されているのも約8万人、大半はヨーロッパ側への配備のため日本には差し迫ったものとしての脅威はなさそうだ。
しかしヨーロッパにとっては事情が大きく異なる。スウェーデンとフィンランドがウクライナ侵攻の約4か月後にはNATO加盟を決めたことからも、ロシアに脅威を感じる程度が並々ならぬものであることがわかる。特にロシアによる併合経験が何度もある東欧は大きな緊張感をもつ。戦争の勝ち負けに関わらずロシアの信用回復(そもそも回復されるほど信用されているのか)は難しい。ではなぜロシア政府はこんな戦争を始めたのか、ロシア国民はなぜ今の政権を許しているのか。
1982年から2022年ウクライナ侵攻までのソ連・ロシア政治の流れを小泉氏は自分の人生と重ねながら紹介した。この10年ごとの時代の紹介は大変わかりやすいものだった。小泉氏が生まれた1982年のソ連はアンドロポフ政権だ。1992年ソ連崩壊でロシアがいかに混乱に陥ったか。資本主義を知らない人達が西側並みの資本主義に突然変わろうとした時の社会経済の歪み、「強者総取り」の様子が生々しく語られた。
そうした中、大統領に就任した40代後半のプーチンとKGB時代の盟友が一般庶民にいかに頼もしく見えたか。2000年頃は油の価格が上がったこともあって、ロシア経済は日本の高度経済成長期のような状態だったらしい。2008年の任期終了時に辞めていればプーチンは「名君」といわれていただろう、と小泉氏はいう。しかし「わかっちゃいるけど辞められない」事情が出てくる。
曰く、プーチン大統領は8年間の任期中に「強権を振るい過ぎた(=後ろめたいことをし過ぎた)」。「力の行使の目的が国を守るためなのか、自分を守るためなのか段々わからなくなってしまったのではないか」。そうして「『俺は辞めた時に生きていられるのだろうか』と考えたのでは」と分析する。
ただここから先はもう少し丁寧な説明が欲しかったところで、小泉氏は2010年代の下院選挙での汚職に対するSNSを利用した市民の抗議活動を、プーチン大統領が「『妄想的に』米国の陰謀だと考えた」というのだが、いくらスパイ的発想だとしても少し説明に飛躍がないだろうか。この辺りはロシア政権内部におけるSNSについての意見や側近の対応の仕方など裏付けの解説があると説得力を持つように感じる。
ウクライナ侵攻への開戦動機についても2022年のプーチン大統領の論文が紹介されてはいるものの、小泉氏自身が指摘しているように「開戦動機としては非常に雑」で日本人には難しいロシア理解をもう少し助けて欲しかった。
同様に解説がもっと欲しい点は、スパイ出身のプーチン大統領とコメディアン出身のゼレンスキー大統領との「スパイvs.コメディアン」の構図についてだった。プーチンは「ネトウヨのような人たちとばかり会って、それが悪かったのではといわれている」というが、同大統領の近年の世界ヴィジョンや「戦後ヴィジョン」などについての分析紹介がないと、荒っぽさが残る。少なくともロシア軍将校は「NATOとまともにぶつかっても(ロシアが)適う事はない」と冷静に分析している。
ゼレンスキー大統領についても「理想的な『有事のリーダー』を演じた。政治家としてはともかく一流のコメディアン」「本当は結構儲けている」との評価が中心で、政治家としての分析が欲しかった。戦争を続けるのではなく、終わらせることこそ政治家の仕事であるからだ。コメディアンにできるのだろうか。
両大統領の「政治家としての力量」について小泉氏の意見が聞きたい。
今回の講演でプーチン大統領がなぜ戦争を始めたのか」「今後の見通し」は見えた。でも「どのように終わらせたいのか」の意見はなかった。(まあ、世界中の誰もわからないのだろうけれど。)
壁に貼った世界地図を見る。ロシアの領土は本当に大きい。今でも中央アジアをはじめ、中東(そして両地域は多くの資源を有する)、東欧に強い影響力を持つ。禁輸制裁をしても効果は限定的らしい。小泉氏が言うようにプーチン大統領が国内でも当分引きずり降ろされることがないのなら、同大統領のもつヴィジョンは重要な意味を持つはずだ。
一民間人に過ぎなくとも国際政治に翻弄されている一人として私は知りたい。日本に演出の飛び切り上手なパフォーマンス政治家、あるいは情報操作や陰謀に強い政治家が登場した時に見抜くことが必要になるから。何を、どこを見て分析すれば良いのかを。
私は気づく。今回の講演で知りたかったのは「ロシアの論理、ウクライナの論理」だけではなく日本の近未来の姿、将来住む自分の世界の事であることを。そんなことを知らなければと思い始めたことそれ自体に空恐ろしさを最近覚えている。
(太田美行)
- 小泉 悠(こいずみ・ゆう)
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- 東京大学先端科学技術研究センター 専任講師
1982年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了(政治学修士)。民間企業勤務を経て、未来工学研究所特別研究員、外務省情報統括官組織専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済研究所客員研究員、国会図書館調査員などを歴任し、2019年より東京大学先端科学技術研究センター特任助教。2022年1月より現職。専門は安全保障論、国際関係論、ロシア・旧ソ連諸国の軍事・安全保障政策。特に軍改革、ハイブリッド戦争、核戦略、インターネット統制など。『「帝国」ロシアの地政学』でサントリー学芸賞を受賞(2019年)。近著に『現代ロシアの軍事戦略』、『ロシア点描』、『ウクライナ戦争』など。ユーリィ・イズムィコ名義でnoteも。
研究分野
・ロシア・旧ソ連諸国の安全保障政策研究
・新領域セキュリティの諸課題に関する研究
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