夕学レポート
2023年12月18日
山口 桂氏講演「クリスティーズオークションとアートマーケット」
山口桂社長に聴く、
クリスティーズオークションとアートマーケット
「さっきから熱心に何を見てるの?」
「オークションサイト」
「オークション?どうせまた何千円かのガラクタ見つけて『掘り出し物だ!』とか言って取り寄せて見たらガッカリ、っていつものパターンでしょ。お金と時間の無駄遣い」
「いや、今日のは違うんだよ。何というか、本物のオークション」
「本物?もしかして、お金持ちが大勢集まって入札して競り合って…っていう、アレ?」
「そう、アレ。今見てるのはクリスティーズっていう会社の出品物リスト。この前、その日本法人の代表取締役社長、山口桂さんの講演を聴いたんだ」
「クリスティーズ、知らないなあ…サザビーズなら聞いたことあるけど」
「どういうわけかそっちのほうの名前が出やすい、って山口さんも苦笑していたけどね。業界2位のサザビーズに対し、クリスティーズは歴とした業界1位、世界最古の美術品オークション会社なんだ。山口さん曰く、サザビーズはビジネスライクで広告戦略にも長けている『貴族になりたいビジネスマン』。一方クリスティーズは、どちらかというとオクテで鷹揚、アカデミックな雰囲気も漂う『ビジネスマンになりたい貴族』。そんな両社は、かれこれ260年間も良きライバルであるらしいけれどね」
「へえ、オークションって、そんなに長い歴史があるんだ」
$ $ $
「創業者のジェームズ・クリスティー氏がロンドンにオークションハウスを設立したのは1766年。公開の場で競り合い、最高値を付けた人が買い手となるというオークションのシステムは、『商取引はオープンな場でフェアになされるべきだ』という氏の理念に基づいてつくられたんだ。そして現在、クリスティーズは世界46か国にオフィスを構え、そのうち10都市で年間350回ものオークションを開催している」
「すごいね。でもそんな何千万円だか何億円だかする本物のオークションに、あなたが参加する余地なんかないでしょ」
「いや、そうでもないんだ。確かに、何億円という超高額アイテムの落札はニュースにもなるし印象に残るけど、それは総出品数のうちのほんの1%くらい。多くの出品物は何十万円とか何百万円とかの価格帯に収まる感じだよ。一番安いものだと、ほら、何万円なんていうのもある」
「ほんとだ。これなら私でも買えちゃう」
「ま、落札総額で言えば、億円単位のアイテムだけで売上高の約6割を占めるらしいけどね」
「これまでの最高額は?」
「まず現代美術の存命作家で言えば、アメリカのジェフ・クーンズによる金属製のウサギの彫刻、『ラビット』。2019年、クリスティーズ・ニューヨークでのオークションで、約100億円で落札された」
「!」
「次に、過去のすべての美術品の中での最高額は、2017年にこれもニューヨークのクリスティーズで落札された、レオナルド・ダ・ヴィンチがキリストを描いたとされる『サルバトール・ムンディ』。落札価格は、約504億円」
「!!」
「でも面白いのは、このダ・ヴィンチの同じ作品が、1958年のサザビーズでは贋作とされて、たったの十数万円で取引されてたってこと」
「!!!」
「真贋判定はそれだけ難しいってことだね」
「由緒あるものって言われても、必ずしも保証されていないってことか、逆に」
「美術品を投機目的で売買するのはお勧めしません、と山口さんも言ってたよ。真贋もそうだけど、時代の価値観や当座の引き合いひとつで落札金額は大きく変わる。仮に市場価格が下がっても後悔しないためには、自分が『好き』と思ったものを、自分のために手に入れるしかないんだろうね」
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「百億円単位の話を聞いてたら、金銭感覚が麻痺してきたみたい。この5万円のワインとかメチャ安く見えてきた」
「おーい」
「でも数万円だとしても、落札するには元手がないと。そうだ、まず『売る』ほうから参加できないかな?」
「出品かあ。って、そんなお宝、うちにあったっけ?」
「この家に来るときに実家から持たされた食器に、伊万里焼だか唐津焼だか、なんか高そうなのがあったはず。箱に入ったまま一度も使ってないけど」
「そうか、君はあの辺りの出身だったね。ええと、オークションに出品したい場合は、まずそのアイテムをクリスティーズが誇る各分野のスペシャリストに見てもらう必要がある。日本の焼物なら日本美術のスペシャリストが鑑定し査定して『エスティメイト』と呼ばれる落札予想価格を決める。そして出品が決定したら、まずは各地のクリスティーズで行われる下見会に出される」
「下見?」
「買う側の人が、事前にじっくりと作品を確認できるようにする機会だね。この下見会には誰でも参加できて、費用はなんと無料。美術品なら、例え国宝級のものだって数センチの距離まで寄って見られるし、時計や宝石なら試着もできちゃう」
「宝石の試着?それ、行かなきゃ」
「そしていよいよオークションだけど、残念ながら日本のクリスティーズにはオークション機能がないので、ニューヨークとか香港とかの会場に送られることになる」
「じゃあ私もニューヨークへ行くのね?」
「オークションの様子はオンラインで見られるし、そもそも今では入札自体もリモートで済ませる人が8割なんだって。もちろん会場で生の雰囲気を味わうこともできるけどね」
「それにしてもなんか、すごい時間と手間がかかるんだね。もっとお手軽にできないのかな?」
「それなら『プライベートセール』かな。日時の決まったオークションじゃなくて、スペシャリストが個別に仲介してくれる相対取引のこと。あまり衆目に晒されずに売買できるから、いろんな事情を抱えている売り手や買い手には重宝するね。クリスティーズの売り上げの76%はオークションだけど、プライベートセールも19%を占めている。山口さんは、自分のセンスと人脈を最大限に活かしながら、美術品の行き先をある程度自分で決められるプライベートセールのほうが好きだと言っていたね」
$ $ $
「日本の美術品なら、日本人だけに売ることで海外流出を防げる。とか、そういうこと?」
「いや、山口さんは、『その価値がわかって作品を大切にしてくれる人に届けたい。そうであれば世界のどこに作品が行っても構わない』と仰っていたよ。日本に住む僕らが、諸外国の美術品に触れる中でその国への畏敬の念を深めるように、日本の美術品も外国の地で『文化外交官』の役割を果たすべきだ。それだけの魅力が日本美術にはある、とね」
「今はまだ、そうなってないのかな?」
「世界では、去年一年間で約10兆円ものアートビジネスが成立した。けれど残念ながら日本はそのワールドマーケットから取り残されているんだ。米・中・英・仏といったGDP上位の国々がその経済力に見合った存在感を見せているのに対し、クリスティーズの世界総売り上げに占める日本地域の割合はわずか1%。日本経済そのものにも陰りが見える中で、この状況を打開するためには、アートの面でもインバウンドの開拓が必要だ。と山口さんは言っているよ」
「外国から人とモノを呼び込むのね」
「参考になる事例として挙げられていたのが、スペイン・バスク地方のビルバオ・グッゲンハイム美術館。建築家フランク・ゲーリーの設計による優美な曲面に包まれたこの建物は、バスク州政府がアメリカの有名美術館であるグッゲンハイムをパートナーに迎えたことで、多くの観光客を呼び込むことに成功した。古びた工業都市ビルバオは、アートの力で芸術と観光の街に生まれ変わったんだ。ちなみに、美術館の前庭では、前述のクーンズによる巨大な子犬のオブジェ『パピー』が人々を出迎えているよ」
「バスクは、食べ物も美味しいしね」
「だから日本だって、美味しいものが食べられて美しいアートに触れられる場所を創ればいいのさ」
$ $ $
「なんか壮大な話になっちゃったけど、結局、目ぼしい掘り出し物は見つかったの?」
「うーん、それが…。出品物リストを見れば見るほど審美眼が鍛えられる気がするけど、そうするとますます値段との折り合いがつかなくなってきて…」
「まあ、一生懸命お金を貯めながら、気長に探すのがいちばんね」
「確かに。ひょっとしたら、一生いっしょに暮らすかもしれないアートなんだから、縁が自然と巡ってくるのを待つくらいのほうがいいのかも」
「そして私たちが死んだ後も、何十年何百年も後世に受け継がれるかもしれないアート…」
「いくら長生きしても、人生はたかだか百年かそこら。だからこそ人は、数百年の時を旅するアートに、一瞬でも触れてみたいと思うのかも知れないね」
「芸術は長く、人生は短し、か」
「その時々の所有者の人生が、ひとつのアートによって縫い合わされるとき、その来歴(History)自体が物語(Story)になる…」
「古美術品を手に入れて、長く紡がれてきた物語の一部になるもよし。生まれたての現代美術をいち早く取り上げて、その物語に連なる最初のひとりになるもよし」
「あるいは、自分自身がアーティストになれば、まさにそこがアートの始源ということになるぞ。よーし、まずはそこから始めるか!」
$ $ $
「…で、結局いつものネットオークションで、数千円の絵の具セットを落札した、と」
「はい…」
(白澤健志)
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山口桂(やまぐち・かつら)
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- 株式会社クリスティーズジャパン 代表取締役社長
1963年東京生まれ。立教大学文学部卒。広告会社勤務を経て、1992年クリスティーズに入社。日本・東洋美術のスペシャリストとして活動する。19年間、ニューヨーク等で海外勤務をし、2008年の伝運慶の仏像セール、2017年藤田美術館コレクションセール、2019年伊藤若冲作品で有名なプライス・コレクション190点の出光美術館へのプライヴェートセールなど、多くの実績を残す。2018年からクリスティーズジャパン社長を務める。
国際浮世絵学会理事、アダチ伝統木版画技術保存財団理事
日本陶磁協会、米国日本美術協会(JASA)
クリスティーズジャパン WEBサイト:https://www.christies.com/exhibitions/japan/
X(旧Twitter):@christiesjapan
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