夕学レポート
2024年02月09日
山極 寿一氏講演「人間の本質と情報通信革命」
人間の本質
NHKラジオの「子ども科学電話相談」で4-5歳くらいの女の子が「ずっと待ってたらチンパンジーは人間になるの?」と質問していた。スタジオでは回答者が「ハッハッハッハ」と爆笑している。もしかするとあの回答者は山際壽一先生だったかもしれない。(違うかもしれない。)ご存知ダーウィンの進化論のどこかを飛躍した理解だけれども、ではどこを飛躍したのか説明せよといわれても大半の大人はまず答えられない。
人類は700万年前にチンパンジーと同類の祖先から分かれた。回答者の先生は「何かが違うから人間は人間になったの。だからこれから700万年先のチンパンジーは人間と違う何かになっているはずなの」というようなことを答えていた。質問した子供の素直な問いにも回答者の答えにも妙に感心した。「何かが違うからチンパンジーはチンパンジーで、人間は人間になった」。何が違うのだろう。
山際先生は「40年ほどアフリカに通ってゴリラに会っているうちに人間って変だなと思うようになった。この『変だ』と思うところが人間の本質ではないか」と思ったそうだ。大変に興味深い。夕学講演会では多くの宗教家や科学者の講演を聴いているうちに何人もの講師が「人間とは何か」に興味を抱いていることに気づいた。人間を人間たらしめるもの、ある宗教家は「AIに興味を持っている」というが換言するとそれは「人間との違い」であり「人間とは何か」を探ることに他ならない。現代とはそんな問いを強烈に抱かせるような時代のようだ。そのためか今回の演題は「人間の本質と情報通信革命」だ。
今回の講演の前半は、人間の特徴を多く挙げられた。
- 人間は強くない(微生物の数が少ないので消化能力がサルより弱く、食べるものが限られる。)
- 人間は直立二足歩行を700万年前からする。
- 人間は石器を200万年前から使用する。
- 人間は毎日食べる必要がある。(サルは毎日食べなくても大丈夫。)
- 人間は強い者が弱い者に食べ物を分配する。(サルは強い者が独占する。)
- 人間は共食をする。
- 人間は見えないものを欲望する。(これは情報の共有や共感を育む。)
- 人間は少年期と青年期があり、老年期が長い。
- 人間は乳歯の内に離乳してしまう。
- 人間は育児によって音楽の能力を向上させた。(子守歌)
どうも人間はサルよりも弱い生物で「人間は強い」神話は打ち砕かれた。ではなぜ人間がこの世の王様のような顔をしているかというと「弱みを強みに変える戦略を初期の頃からしてきたから」らしい。「この世で生き残るのは強い者でなく、環境に適応した者」との言葉を思い出す。
この中の乳歯の内に離乳してしまう理由が面白かった。人間の祖先がサルに押されて数が減少し熱帯雨林を出たことに起因する。草原は安全でない場所のため子供の数を増やさなければならず、その時に「一度にたくさん産む」か「毎年生む」の二択の中で人間は後者を選んだ。また二足歩行をしたために頭の大きな子供を産めなくなり、生まれてから脳を大きくすることを選んだという。ここで私が不思議に思ったのは山際氏が「選んだ」との言葉を用いたことで「毎年産む」のはともかく「一度にたくさん産む」「生まれてから脳を大きくする」ことは「選べるもの」なのだろうか。とても不思議な表現のように思える。「人間は一度にたくさん産めない動物なので『結果として毎年産む』ことになった」「頭の大きな子を産めなくなったので『結果として』生まれてから脳が大きくなった」とは違うのだろうか。この辺りは専門家の捉え方と一般人の言葉の表現のありかたに何か違いがあるのか気になる点でもあり、面白い点でもあった。
講演の後半は、こうした人間の特徴と情報通信革命、そしてこれからの世の中に必要な考え方について述べられた。講演前半で語られたように人間は共感を育み、求めていく者である。その例として対面相手の白目を覗くことで相手の反応を探るようなコミュニケーションが人間にだけあるし、芸術もまた共感を求めていく表現の一つだという。一方でAIはそうした情緒的社会性を持たず、情報として処理していく存在に過ぎない。そうした動きに加えて世界で今起こりつつあることは文化の無国籍化であり、移民や大移動、複数居住によって生じた信用社会から契約社会への変化だ。これまで存在していた地縁、血縁、社縁が喪失されている。人間の心身は小規模社会の暮らしに適応しているし、文化は閉ざされた中で生まれるものなのに、社会はそれとは逆の方へ急激にそして大規模に変容している。私たち人間の心身は壊れやしないか。
山際氏によれば人間だけがいくつもの集団を渡り歩き、一度出た集団に戻ることのできる存在だそうだ。そしてこれから時代は東洋と西洋を行ったり来たりする必要がある、そのことを「東洋の知と西洋の知を融合させる」との言葉で表現する。東洋の知とは「自然の諸力と融合してその力を生かす」こと、西洋の知とは「環境を客体化して分析して生かすこと」だと。人間が急激に変化する社会に心身のバランスを崩さず適応するためにはきっとそれが必要なのだろう。
私は技術者でないのでAIや様々な技術にこの先何ができて何ができないのかはわからない。でもこの「複数の価値観を行ったり来たりする」「渡り歩く思想」が技術者の中にこそ浸透して欲しいと考えている。人間の本質を失わせないために。そのためにも主義でなく思想をしっかりと育てる教育があって欲しい。日常を生きる中で関係ないと思われるかもしれないが、年齢を重ねるにしたがって何かの背景にある思想や哲学を感じることが多くなってくる。主義を教え込み、誰かの何かの目的のために働かせようというのではなく、人間が自分の立っている位置を知って同時に他者の立つ位置を知り、共感を育み、人間だけでなく世の中全体に貢献できるような、そういったものだ。それこそが人間の本質であり、役割だと思うから。もしそれができるのなら700万年先の人間はもっと素敵になっているだろう。そしてチンパンジーはその時一体何になっているのだろう?見ることが叶わないのがしみじみと残念だ。700万年待っていられたらいいのに。
(太田美行)
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山極 壽一(やまぎわ・じゅいち)
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- 総合地球環境学研究所 所長
- 京都大学名誉教授
1952年東京都生まれ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。ルワンダ共和国カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンター研究員、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授、同教授、同研究科長・理学部長を経て、2020年まで第26代京都大学総長。人類進化論専攻。屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地で野生ゴリラの社会生態学的研究に従事。 日本霊長類学会会長、国際霊長類学会会長、日本学術会議会長、総合科学技術・イノベーション会議議員を歴任。
現在、総合地球環境学研究所 所長、京都市動物園名誉園長、2025年国際博覧会(大阪・関西万博)シニアアドバイザーを務める。南方熊楠賞、アカデミア賞受賞。著書に『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(2020年、家の光協会)、『スマホを捨てたい子どもたち―野生に学ぶ「未知の時代」の生き方』(2020年、ポプラ新書)、『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』(2021年、朝日新書)、『猿声人語』(2022年、青土社)など多数。
総合地球環境学研究所:https://www.chikyu.ac.jp/
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