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夕学レポート

2024年08月27日

伊藤 融氏講演「グローバルサウスの雄 インドの行動原理」

伊藤 融
防衛大学校 教授
講演日:2024年1月16日(火)

伊藤融

インドとどう付き合うのか

インドは今、激しくモテている。

気が付けば世界のモテヒエラルキーのてっぺんに君臨。あらゆる主要国が「味方につけたい」とナレンドラ・モディ首相にすり寄り、気に入られようと必死になっている。登り龍のごとく成長する国のヘッドにふさわしく、ガタイよく顔ぢからのあるモディには、近年ますますモテ強者のオーラが漲っているようだ。

背景には、米中露のパワーゲームの限界が見えてきたことで南アジアの雄・インドの存在感が一気に高まったということがあるが、それにしてもなぜこれほどまでにインドの求心力が増しているのか。

インドの3高

モテといえば、若い御仁はご存じないかもしれないが、古くは3高という言葉があった。無理に当てはめるとすれば、インドのそれは「人口・経済・政治イデオロギー」ということになろうか。

まず、2024年にはついに中国を抜いて人口が1位になる。しかも、子どもが減って今後は果てしなく老人しかいなくなる我が国とは対照的に、若者の割合が抜群に高い。いわゆる人口ボーナスだ。勢い消費人口の爆発も見込まれ、不動産バブルがはじけ暗雲が立ちこめる中国を尻目にイケぶりが目立つ。GDPは目下イギリスに次ぐ5位に甘んじているが、2027年には、日本はもちろんドイツも抜いて堂々3位に躍り出る予定。軍事力はすでに世界3位につけており、宇宙開発でも頭角を現し始めた。

若くてリッチで強い。だけじゃない。権威主義とは真逆の「自由で開かれた」民主主義国であるところが、実は最大のモテポイントだ。18歳以上の有権者だけで9億人以上いるというのも驚きだが、どこかの国のように、敗けた側が「選挙無効!選挙無効!」と100年前に遡ったようなデスマッチをしかけることもない。いちおうは独立以来、一貫して議会制民主主義が機能しており、クーデターもなく、近隣国に侵攻する非道な独裁者もいない。

しかし待て。インドってそんなに超優等生みたいな、非の打ちどころのないやつだっけ?
のんのん。まず、何といってもあの悪名高きカースト制がある。モディ率いるインド人民党のヒンデゥー至上主義がそれ以外の宗教コミュニティを抑圧している点も問題だ。またインドに旅した人がなべて衝撃を受けるという物乞いの人びとに象徴される、極端な貧困もなくなっておらず、陰惨な女性差別の事件もよくきかれる。
これで本当に先進民主主義国になったといえるのか。

伊藤融氏は言う。
「我々は、暮らしが豊かになったり、人びとが平等になったりするという、いわば『結果としての民主主義』を考えがちです。しかし、インドの場合『過程が民主的であればいい』のです」

煙に巻かれた風。だがこのセリフをモディでアテレコしてみると、顔の圧と相俟ってまんまと押し切られてしまいそうだ。そう、いつだってインドは自信満々。揺るぎない。そして多分、だいたいのインド人は総じて押しが強く、自信に満ちている。単純化も甚だしいが、タブラ奏者ユザーンの名著『ムンバイなう。』の続編で、インドには「『ありがとう』と『ごめんなさい』を言う文化がない」と書いてあったから、おそらく間違いない。日々この2語しか使っていない自分の、じっと手を見る。

自信とは、自分を信じる力なり

堂々として自信のある人は、魅力的だ。つまりそれだけで高モテポ獲得。たとえ「二枚舌」「八方美人」という別名があったとしても。

ロシアのウクライナ侵攻直後の国連安全保障理事会で、インドがロシア非難決議案を「棄権」し続けたことはよく知られている。経済制裁にも参加せずロシアの石油を爆買いのオレ流路線も、全然空気を読んでいなかった。

だが上海協力機構首脳会議で行われた会談で、モディはプーチンに
「今日の時代は戦争ではない。民主主義、外交、そして対話、そういうものが世界を動かすと我々はあなた方に何度も電話で伝えてきた(よね)」
とキッパリ苦言を呈して見せた。今のプーチンにガチ説教できる猛者。どんな相手にも言うべきことは言う、太いリーダーのイメージを世界に植え付けた瞬間だった。

いっぽう、バリの20サミットでは「グローバルサウスのために行動する」と大宣言。一転、途上国を代表するキャプテンを演じきった。最初、西側は呆気にとられていたが、次の瞬間には拍手喝采するしかなかった。こんな風にモディ劇場の筋書きやセリフは、舞台や配役によって都合良くころころと変わるが、その佇まいがあまりにも堂々としているため、観客はその”語り(騙り)”につい引き込まれてしまうのだ。

理にとらわれず、利を追求

実は、インドの語りに溢れる自信には、文字通り歴とした根拠がある。徹底して実利を追求するプラグマティズム「アルタ」の思想で、古代マウリヤ朝の宰相カウティリヤが物した『アルタシャーストラ(実利論)』に依拠している。インド2千数百年の伝統。実利を各国ごとに計算し、その時々で最善の方法をとる。裏切りと、思わば思え。誰とも同盟せず、あくまで独立的に、我インド道を往く。

勉強になります。できれば日本もかくありたいものだ。実際、安部元首相の提言で始まった「QUAD(クアッド:日米豪印戦略対話)」の枠組みで、インド太平洋地域での協力を確認する場もある。ビジネスでは、あちらに倣い、双方の利害が一致する点でのみ付き合うというプラグマティズムを援用するのが得策だ。

自信のない人間はモテ子に食い物にされがちだが、近年ますます自信喪失気味の日本に得策はあるのか。
その戦略を練るためには、我々がインドを知らな過ぎることにまず気付く必要があると伊藤氏は忠告する。
「今後、相当程度インドの発言力が大きくなってくるのは間違いないが、その割に日本で南アジア研究が行われてこなかった」として、どこの大学にも南アジア研究者がほとんどいないことを嘆いた。

確かに、インド哲学を専攻したり、ガンジス川へ自分探しに行ったり、全インド地方のカレーに通じたり、という好事家はまわりにも居た。しかしインドの政治や社会についてアカデミックに学ぼうとする時、用意されている場所はそれほど多くないのかもしれない。

だが急げ。アカデミズムでも、在野でも。この面倒くさくて不思議さんで自信たっぷりな、遅れてきた人気者。インドをもっと全力で学ばなくてはならない。
「起きて」しまってからではもう遅い。未来に起きる難事に備えるために、インドに真正面で向き合う時が来た。

(茅野塩子)


伊藤 融(いとう・とおる)

伊藤 融
  • 防衛大学校 教授

1969年生まれ。中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程後期単位取得退学、広島大学博士(学術)。
在インド日本国大使館専門調査員、島根大学法文学部准教授等を経て2009年より防衛大学校に勤務。2021年4月より現職。
専門領域:国際政治学、インドを中心とした南アジアの外交・安全保障

新興大国インドの行動原理 独自リアリズム外交のゆくえ』(慶應義塾大学出版会2020年)、『インドの正体 「未来の大国」の虚と実』(中公新書ラクレ2023年)など、インドを中心とした国際関係、安全保障問題に関わる著作多数。

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