夕学レポート
2024年09月01日
福澤克雄氏講演「『VIVANT』とテレビ局社員」
「天照大神、イエス・キリスト、アブラハム、アラーよ。誰でもいい、助けてくれ、俺はこんなところで死にたくない…」
どこまでも広がる砂漠をスーツ姿で彷徨う堺雅人さんの予告映像は鮮烈だった…。
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2023年7月から9月にかけて放映されたTBS日曜劇場『VIVANT』。
『半沢直樹』『下町ロケット』『陸王』『ドラゴン桜』など、TBS日曜劇場の大ヒット作品を作ってきた制作スタッフが再集結。TVドラマでは異例ともいえる“モンゴルでの長期海外ロケ”を敢行し、その制作費は、通常のドラマが1話3000万円程度が相場と言われる中、1話1億円、全話で十数億円を超える制作費を投じたと言われるから尚更だ。
7月16日の第1話はなんと超拡大版108分。質量ともに大作映画を丸ごと1本見るくらいの充実感に世間は沸き立った。
視聴人数は第1話が840万人で、2位の他社ドラマの541万人を大きく突き放して断トツTOP。第2話以降も増え続け、第6話の段階で1000万人を超えた。
視聴率こそ20%にわずかに届かなかったが(それでも昨今ではかなりの好成績だ。あのNHK紅白歌合戦ですら30%程度なのだから)、配信の再生回数では凄まじい数字を打ち立てた。最終話放送直前の9月11日時点で、見逃し配信「TVer」の第1話から第9話までの累計無料配信総再生数は4000万回を突破。これはTBSドラマ史上最速となる記録だった。
また「X(旧Twitter)」で『VIVANT』は、第1話から第4話まで4週連続で世界トレンド1位を獲得、最終話でも再び世界トレンド1位を飾った。
ラグビー・福澤諭吉・ドラマ監督
そんな超話題作『VIVANT』の原作・監督・演出を担当したのが、今回の講師の福澤克雄氏である。
今回の夕学は始まる前からいつもとはかなり雰囲気が違う。普段の受講者席は会社終わりのビジネスマン風の人でほぼ占められるが、今回は“業界風”のカジュアルな服装の人や大学生らしき若者の姿が目立つ。最前列にはなんとセーラー服の女子高生までいるではないか。
そんな会場に福澤氏が大きな歩幅で踏み入れるや、受講者席が軽く沸き立つ。今や“日本で最も視聴率を獲得するドラマ監督”として話題沸騰中の超有名人だからだろう。
目の前の演壇に立った福澤氏は、とにかく“でかい”という第一印象。身長は190cmとのこと。だが、その表情や声は、拍子抜けするほどに柔らかい。目尻を下げた吶々とした語り口。まるで仲の良い上司の武勇伝を居酒屋で聞かされている時のような愉快な気分にさせられる。
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福澤氏はこれまで3度、メディアに注目された。1度目は慶應義塾大学時代のラグビー日本代表選手として、2度目はTBSに入局した福澤諭吉の玄孫として、そして3度目は『半沢直樹』の頃から『VIVANT』に至るメガヒットドラマの監督として。
ラグビー・福澤諭吉・ドラマ監督。一見バラバラに見えるファクターだが、実は福澤氏の中では1本の軸が貫かれている、というのが今回の講演のメインテーマだ。
「人間は弱い」から、やりたい仕事を見つけろ
福澤氏は、今般1万円札からお役御免となった、かの福澤諭吉の玄孫(孫の孫)ということで、慶應幼稚舎(小学校)に顔パスで入れてもらい(公式には、忖度なしの試験結果だそう)、以降大学まで慶應義塾で学んだ。
独特の教育で知られる慶應幼稚舎では、6年間にわたり級友も担任教師も変わらない。福澤氏はその担任の中川先生に、人生を決するほどの大いなる影響を受けたという。
特に心に残ったのは“仕事論”だった。
中川先生は黒板に凶悪事件の事例を書き連ね、その犯人のほとんどが無職だという事実を示された。『小人閑居して不善をなす』ということを小学1年生から教え込まれたのだ。
「人間は誘惑に弱いから仕事に打ち込んでいないとダメになる。でも仕事は厳しいもので辛いことも多い。だからこそ、好きで好きでたまらないことを見つけ、それを仕事にしなさい。君たちは将来そういう仕事に就くために、いま勉強をしているのですよ、というのが中川先生の教えでした。これがのちに僕の人生を決めることになったのです」
コンプラ意識の行きわたった現代では、教師が犯罪者を例に教えるのは適切ではないかもしれない。だがこれは半世紀前の話。訳も分からず漢字の書き取りを強制されるより、幼な子にも理解できる形で“勉強する目的”を知らされるのは幸せな話だ。
「好きで好きでたまらない仕事を見つけろ」と、中川先生に3年間言われ続けて幼稚舎を卒業した福澤氏は、慶應義塾普通部(中学校)に上がって、たまたま映画スターウォーズを観た時、「これだ!僕は映画を作る仕事をしたい!」と覚醒する。“福澤監督”の誕生譚である。
大嫌いなラグビーでの経験が身を助けた
慶應幼稚舎にはなんとラグビー部があるという。1899年に日本で初めてラグビーをやった慶應義塾ならではの伝統だ。福澤氏も小学5年生の時にラグビー部に入部。当時はまだ体もヒョロガリだったのであまり楽しくはなかった。ただ体育の先生に「普通部に上がったら必ずラグビー部に入りなさい。社会に出たときに絶対に役に立つから」と言われていたので中学進学後もラグビー部に入る。その頃には体もかなり大きくなっていたが、すでに映画スターウォーズに“出会って”しまっていたため、気もそぞろでラグビーは好きになれない。ただ勉強が嫌いだったので、その代わりに一生懸命ラグビーをやり、高校までやったら辞めるつもりでいた。
ところが皮肉なもので高校日本代表に選ばれてしまう。勉強の振るわない息子が日本代表選手になったと母親が喜ぶ姿を見て、大学でもラグビーを続けざるを得なくなった。
大学のラグビー部はまさしく地獄だった。高校日本代表だったことで期待されるも、ふさわしいプレーができず徹底的にしごかれた。殴られるようなことはない。しかし「殴って済むなら殴って欲しい」と思うほどにエンドレスの練習。校舎はコートの目の前なのに授業に出ることも許されず朝から晩まで続く走り込みとスクラム。一人になれる時間はトイレに入っている時だけだった。
「ラグビーなんて大嫌いになった。練習が嫌で嫌でたまらず車に轢かれようと飛び込みかけたこともある。たぶん少し鬱病のようになっていたのでしょう」
そんな状況だった1985年、慶應義塾大学ラグビー部が初の日本一に輝いてしまう。個人としても関東代表や学生日本代表に選ばれ、さらには就活中に日本代表A(23歳以下日本代表)にまで選ばれてしまう。
就活では夢の映画監督になる道を探っていたものの、すでに映画会社は監督を社員で雇うことをしていなかったためフリーになるしかなかった。しかし母親からは「フリーなんて絶対ダメ」と言われ、完全に行き詰まっていた矢先。「ラグビーは嫌いだけど、就活の苦しさから逃げるため、日本代表Aの召集に応じたんです」
そんなこんなで就活のタイミングを逸し、映画監督になる道も閉ざされたと思い、帰国後は一般企業に就職して事務職で働いていた。そんなある日とある人から「TBSに入ればドラマの監督ができるじゃないか。TBSは新卒以外も採用しているぞ」という話を聞く。当時はTV局も外注化が進み、社員に監督をさせることは無くなっていたが、TBSだけは“自前主義”が残っていた。しかも新卒でなくても25歳まで採用試験を受けられるという。
そこで福澤氏は一計を案じた。
「ラグビー日本代表という肩書きが使えるぞ、と。“経験を活かしスポーツ報道で視聴者に感動を与えたい”などともっともらしいことを言い続けて8回にも及んだ面接試験を突破したんです。短いながらもサラリーマン生活で嘘をつくことを覚え、“会社というのはなかなかクビにはならない”ということを知ったので、とにかく潜り込んでしまえばこっちの物だ、TV局なら大企業だし母親も許してくれるだろうと」
そして合格、入社。新人研修が終わる頃にいきなり「気が変わりました、ドラマをやりたい」と上司に申し出た。渋々ながら上司もそれを許してくれた。
困難を乗り越えていく力が夢を掴み取らせる
あんなにも大嫌いだったラグビーのおかげで、とうとう手にしたドラマ監督への切符。もちろん始めから監督をさせてもらえる訳はない。最初のうちは奴隷のようなAD生活が続いた。しかし地獄のラグビー練習を経験した身にはAD生活なんてどうということもない。どんどん落伍者が出る中を1人鼻歌まじりで務められた。ここでもラグビー経験が助けとなった。
晴れて監督となった当初はアイドル系ドラマなど会社の要望に沿った作品も多く、本当にやりたいことができた訳ではなかった。やがて2000年代に入る頃には、自分の気に入った原作を見つけては原作者を口説き、上層部とケンカしながらも企画を通すようになる。
一般にドラマの視聴率は女性にかかっているという。“女性受け”しないドラマはヒットしない、さらには“医療物、刑事物、弁護士物、恋愛物”のいずれかしかヒットしないと固く信じられてきた。
そうした常識に挑戦状を叩きつけるように、男ばかりの企業物ドラマ『半沢直樹』を実現させたのだ。それが社会現象とまで言われる大ヒットを果たし、最高視聴率42.2%という金字塔を樹立。
「蓋を開けてみれば、女性受けしないと言われていた企業物なのに女性視聴者から火がついたんです。視聴者の皆さんは制作側の意識よりも遥かに上を行っている。この時それを実感しました」
こうした成功を幾度も積み重ね、満を持して送り出したのが『VIVANT』だった。予算、制作方法、ロケ場所など、あらゆる点で道なき道へと踏み出したTVドラマ。そのため原作も自分で書き、キャスティングも自らやった。
「砂漠での大冒険やチューバッカを模した役のドラムなど、中学生のときに何十回と見たスターウォーズのモチーフを散りばめた。とうとうあの“スターウォーズ”を自分で作る夢が実現したのです」
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福澤氏の半生を聞いた今となっては、「助けてくれ、俺はこんなところで死にたくない…」と言いながらモンゴルの砂漠を彷徨う堺雅人さんの姿が、若き日の福澤氏の姿に重なって見えてくる。“好きでたまらない仕事”のため、困難を乗り越えていく力。その凄味と輝かしさを見せつけられた講演となった。
質疑応答タイムには会場から「続編は?」「続編を!」との声が相次いだ。「続編実現のために我々に何かできることはありますか!?」と半ば叫んでいる人もいた。気づけば私も、それらの声にいちいち首がもげるほど頷いているのであった。
(三代貴子)
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福澤 克雄(ふくざわ・かつお)
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- 株式会社TBSテレビ コンテンツ制作局ドラマ制作部
- 演出家・映画監督
1964年生まれ。曾祖父は福澤諭吉。幼稚舎から大学まで一貫して慶應義塾に通う。ラグビー高校日本代表に選出、1985年に全国大学ラグビーフットボール選手権大会で優勝、同年の日本ラグビーフットボール選手権大会においては、慶應史上初のラグビー日本一に輝いた。慶應義塾大学法学部卒業後、1989年にTBSテレビ入社。テレビドラマ『3年B組金八先生』シリーズをはじめ、『GoodLuck!!』、『砂の器』、『華麗なる一族』の制作に携わる。『半沢直樹』、『下町ロケット』、『陸王』、『ノーサイド・ゲーム』など高視聴率を記録し、ヒット作を多数手がける。原作・演出を務め、壮大なスケールで描かれた2023年放映の『VIVANT』は、日本のドラマ史を塗り替えたといわれる大ヒット作となる。
<主な受賞歴>
2003年『さとうきび畑の唄』で文化庁芸術祭大賞(テレビ部門)
2013年『半沢直樹』チームとして、「倍返し」で新語・流行語大賞の2013年度大賞
2014年『半沢直樹』演出で、東京ドラマアウォード2014で監督賞作品賞グランプリ
2015年『レッドクロス~女たちの赤紙~』で文化庁芸術祭優秀賞(テレビ部門)
2023年 第5回野間出版文化賞 特別賞
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宮城まり子さんとこころの旅
【どんな時にも人生には意味がある】
『夜と霧』の著者V.フランクルの思想・哲学・心理学を題材に、生きる目的・人生の意味を語り探求します。
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