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夕学レポート

2010年04月13日

西成 活裕「無駄学のすすめ」

西成 活裕 東京大学先端科学技術研究センター 教授 >>講師紹介
講演日時:2010年1月14日(月) PM6:30-PM8:30

「渋滞学」でも有名な西成活裕氏、今回は「ムダをどう取るか」についてお話していただきました。昨年秋、テレビで生中継され、国民の関心を集めた「事業仕分け」は、ある意味、ムダなものとそうでないものを判定する作業であったわけですが、事業仕分けそのものが賛否両論を呼んだように、ムダかどうかを判定するのは簡単ではありません。なぜなら、何を無駄とみなすかという「定義」をするのが難しいからです。
例えば、西成氏が示した以下の項目のうち、どれが「ムダ」と言えるでしょうか。


・生命保険
・食事の食べ残し
・長電話
・スポーツ
・数学
食事の食べ残しは、明らかにムダとわかるとしても、他の項目については、見方や立場によってムダかどうかの判定が変わってきます。一般に、ムダかどうかの判定基準には、「費用対効果」がよく使われますが、「教育」といった分野のムダを費用対効果で判定するのは困難です。例えば、全国の中学校に外国人英語教師を配置する費用に対する成果は、単にテストの得点がアップするということだけでなく、10年後に外国人教師の教育を受けた生徒の誰かが、外交官となって活躍するといったことも含まれるからです。
西成氏は、家庭、組織、国家、地球、あらゆるスケールで、様々なムダが発生している状況を踏まえ、「無駄学」の必要性を痛感したそうです。ところが、上述したように、「ムダ」の定義はあいまいです。そこで、そもそも「ムダ」とは何かについての考察を西成氏は始めました。そして、まずわかったことは、「ムダであるかどうか」を判定し、そのムダを取るために、「目的」と「期間」を共有しなければならないということでした。
西成氏が示してくれた具体例のひとつとして、アリ社会があります。働きアリの仕事は、餌場からエサを巣に持って帰ることです。しかし、実は全体のうち2割のアリは働かず、あちこちをふらふらと歩き回っていることがわかっています。この2割は、エサを持って帰るという目的に照らすと、ムダなことをやっていることになります。しかし、ふらふら歩き回ることにも、巣から餌場への新しいルートを発見したり、新たな餌場を見つけるといった効用があるのです。現在の餌場は早晩枯渇するわけですから、遊んでいるように見える2割のアリも実は、次の食料を見つけるという目的達成の役に立っており、アリ社会の長期的な存続のためには、決して無駄な存在ではないのです。
このように、目的によっては、短期的には役に立たないように見えても、将来的・長期的には役に立つということもあるので、まず「目的」と「期間」をはっきりさせることが、ムダかどうかを判定するための前提となるのだそうです。
そもそも、「ムダ」とは、基本的には「コスト(お金、時間、資源、労力、命など)」が有効に使われないということだと言えます。西成氏によれば、ムダには3種類があります。

  1. 自分自身の甘さからくる誘引型・・・怠慢や手抜き、誘惑に負けやすいなど、わかっているけどついやってしまうこと
  2. 自分ではなかなか気づかない不覚型・・・自分にとっては習慣となってしまっていることであるため、他者から指摘されないと気づかないこと
  3. どうしようもないと思える自然型・・・病気や事故のような予測困難なことに対する保険のように、仕方ないと思えること

ただ、一見ムダに見えても、むしろ「効用」と考えるべき事項もあります。住むためには用をなさない庭、あるいは、書籍の余白は、空間的なゆとり、間を生み出すために有効ですし、睡眠や休暇は、疲労回復、気分転換のためには必要な時間です。前述したように、単なるムダか、それともなんらかの効用があるのかどうかは、「目的」「期間」の設定によって異なってくるということです。
では、目的、期間を共有したとして、次にどうやってムダを見つけたらいいのでしょうか。経営コンサルタントがよく採用するのは、物事を細かい単位に分割して見ていく、微分的な方法です。部分に細かく分ければ、ムダが見つけやすくなります。ただ、これは、部分(局所)最適化はできても、全体最適化には必ずしもつながりません。例えば、マラソンをいくつかの区間に分けたとして、タイムの遅い区間はムダが発生していると決めつけるわけにはいきません。目的は1位でゴールすること、あるいは最終タイムを短縮することですから、区間によってはスタミナを温存するために意図的に遅めに走るといった戦略が最適となる場合もあるからです。
ですから、西成氏は、大局観を持ち、さまざまな矛盾を認識した上で全体最適化となるようなムダ取りを勧めます。これは、コンピュータにはできません。なぜなら、コンピュータは矛盾を処理できないからです。全体を一歩引いて眺めることができる人間こそが、全体最適化を行うことができるのです。
そして、この全体最適化を可能にするムダとりには、次の2つの能力が必要だそうです。
(1)サキヨミ(時間)
1分先、1時間先、24時間先など、未来を的確に予測することでムダの発生を防ぐことができます。会議に出席するとき、ひょっとしたらこの資料も見せろと言われるかもしれないと予測したら、実際そうなった時にすぐに資料を提出できます。もし、手元になかったら、資料探しに行く間、会議が中断するため、その分がムダな時間となってしまいます。
(2)辺縁視野(空間)
自分が関わっていることだけでなく、その周辺、他の工程にも同時に気を配ることです。京都の祇園では、舞妓さん、芸妓さんが、客一人に一人が接客につきますが、実は他のお客さんの様子も常に目の端で見ているのだそうです。だから、柔軟な協調行動ができるのです。この接客方法は靴小売大手のABCマートで取り入れられていて、お客さんとの接客中も、他のお客さんの様子にも気を配るという店員教育が行われているとのことでした。
西成氏は、人には苦痛から逃れ、快楽を得ようとする基本原理(基本欲求)があるため、どうしても面倒なこと、複雑なことを避け、目先の快楽を優先してしまう傾向があることを指摘します。これがムダの発生の根底にあります。人間の本性ですから仕方がないこととも言えますが、同時に一方で、私たちは、将来のために短期的な快楽を我慢することもできます。例えば、将来の健康や外見向上のために、ダイエットや禁煙を行うことができます。
ですから、真のムダをなくすためには、長期的な視野を持って行動することが必要だと西成氏は考えています。また、私たちは、人々と協力しあう社会生活を営んでいるわけですから、それぞれが自分の利益だけを優先するのではなく、むしろお互いに他の人々や社会全体の利益を大切にすることでムダを減らすことができます。公害やゴミ問題への対応は、こうした「利他主義」が求められる事項だと言えます。
結局のところ、短期的な視野での行動が、長期的なムダを生み、局所最適化が、全体としてのムダを生み、「自分さえよければ」という考えが、社会のムダを生みだすのです。西成氏は、目先の効率化追求のために、必要なゆとり感が失われて、逆に新たなムダを生んでいる可能性を指摘し、真のムダをなくすためには、長期的視野、全体最適の視野、そして「利他の心」を持つことの大切さを改めて強調して講演を終えました。

主要著書
渋滞学』新潮社、2006年
クルマの渋滞アリの行列 渋滞学が教える「混雑」の真相』技術評論社、2007年
無駄学』新潮社、2008年
「渋滞」の先頭は何をしているのか?』宝島社(宝島新書)、2009年
よくわかる渋滞学 図解雑学』ナツメ社、2009年

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