ピックアップレポート
2024年03月12日
石山 恒貴・花田 光世 対談「ワークエンゲージメントから キャリアエンゲージメントへ」
人材を「付加価値を生み出す資本」と捉え、採用や育成を通じて中長期的な企業価値向上につなげる「人的資本経営」の動きが活発化しています。しかし、企業が人材育成に尽力しているにもかかわらず、個人が置き去りになってしまう危険性が指摘されています。それはなぜなのでしょうか。キャリア論の大家である花田光世教授と、越境学習、ジョブ・クラフティングを提唱する研究者である石山恒貴教授に、働く大人の成長についてお話しいただきました。
Will、Can、MustではなくMust、Can、Will
花田:勉強でもスポーツでも、「必ず押さえておかなければいけない基本」があります。基本をきちんと学ぶか学ばないかで、その先に広がる未来の広さや深さは全く異なってきます。これはキャリアにおいても同様です。Will(やりたいこと),Can( できること), Must(すべきこと)っていうフレームワークがありますよね。特に若い人は、採用試験や配属といった早い段階でキャリアビジョンつまりWill を聞かれる機会が多いと思います。
でも私はその順番は逆じゃないかな?と思っていて。最初はMust、組織で働くということの意識づけやマナーといった基本を身につけ、次にCan、自分のできることを増やしていく。この2つを経て初めて、Will がより高次なものになると考えているんです。組織で働いた経験が浅い、言ってみれば未開発の状態でWill を掲げても、小さくまとまってしまったり、独りよがりな自己実現に陥ってしまうのではないでしょうか。
ただ、一般的に基本というと義務のイメージが強く、楽しい感じはあまりしないですよね。ですから、人材育成を担う人は、Must、学ぶべき基本が自分の未来を開くということに納得してもらえる工夫と、Must の獲得では、過剰な忍耐や努力を強制せずに本人の主体性を引き出す努力が必要です。好奇心―興味―関心―探求心という学びのサイクルをどう自分で積極的に学びたいと思ってもらえるか。それができればいいんですけれどね。
私は大学で、最初に私の研究会を履修した3年生に、企業へ行って人事の方とヒアリングをし、その企業に就職した新入社員に対する人事ガイドブックを作成するというテーマを与えていました。人事の「じ」の字も知らない学生たちです。その学生が自分たちの手で人事のガイドブックをつくるという課題を与えられると、試行錯誤、失敗をしながらも、そのガイドブックを完成させるんですよね。しかも大学に泊まり込みでグループ討議をしながら。Must を押さえないと何も進まないということを主体的に学ぶプロセスとでも言えると思います。
私はそれをOJD(On the Job Development)と呼んでいます。石山先生はジョブ・クラフティングで実践されていますよね。その両方に共通するのは主体的なチャレンジを通した学びだと思うし、Must も進め方によって、押しつけられたものだけではなく、自分自身にとっての大事な学びであると捉えることが可能だと思っています。
その「自発性」は誰目線か?
石山:はい、ジョブ・クラフティングとは、組織や上司から仕事を受け取るだけではなく、自分の人生にとって意義のあるものとして仕事を再定義・創造(クラフト)する考え方です。ジョブ・クラフティングのプロセスには、自発的に変化を生み出すという重要なポイントがあり、そのことによって自身が成長できるだけでなく、周囲にもいい影響を与えると言われています。
このとき、注意しなければいけない点があって、このプロセスを組織という枠組みの中で行おうとすると、「組織が個人に対して自発性を強制する」さらに言えば「社員が会社の都合を忖度してあわせてくれることを期待する」という危険性があります。すでに組織の方向性が決まっている状態で、それに都合のよい自発性、主体性を個人に求めてはいないだろうかと。個人の視点より組織の視点を優先させている限り、本当に経営に資する人材の育成や能力開発は難しいのではないかと思うんです。
人的資本経営においても、無批判にただそれが正しいと推進していくと、個人より組織を優先している点で、同様の危険性があると感じています。
個人の可能性が組織の可能性をひろげる
花田:私は個人の元気が組織の活性化を形成するというのが基本姿勢です。ですから、組織ではなく一人ひとりの個人の視点が優先されることが重要というアプローチをとっています。
ワークエンゲージメントという言葉があります。仕事に対する熱意・活力・没頭の3つの心理が揃っている状態のことで、生産性の向上や組織の活性化につながると言われています。しかし、これには組織視点からの展開が非常に強く影響するのではないでしょうか。それを個人の視点からの展開に変えていく。私は、ワークではなくキャリアエンゲージメント、長期にわたって個人がキャリアの充実や成長を感じるといった気持ちを持てるように仕事と関わっていくことが大切だと思っています。そのためには個人は自分の成長を自分で考え、人事の役割はそのような個人を支援することです。
個人は決して強くなく、打たれ弱い存在です。ですから自己肯定感でも自己効力感でもない、「自己受容感」を大切にしようと私は言っています。自己受容感とは、ポジだけでなくネガの部分、自分の肯定できない部分も受け入れること。その上で、一歩を踏み出そうとする人には、強くなる可能性が芽生えます。
その芽がいつ花開くのか、実を結ぶのかはわらかなくても、未来への可能性は確実に育ちます。ですから自己受容感を前提とした支援を行う組織は、同様に強くなる可能性を持つことになるのです。
今は強くなくても誰しも潜在的な能力を持っているんだという視点が現在の人事の多くに欠けているのではないかと思っています。
石山:自己受容感と近い視点を持っている人事の方も少なからずいらっしゃると思いますが、日常のやるべき業務が山積しており、個人の自己受容感を高めるための施策まで手が回らず、葛藤している場合が多いかもしれません。昨今で言えば、例えば人的資本情報の開示義務で、項目をチェックすることだけが役割になり、繁忙感だけ増している状態に陥っている例です。
花田:キャリア自律も、組織視点で作り上げられるキャリア自律ではなく、個人が長い期間をかけて自分の器を、自分の可能性を拡大していかなければなりません。そのために外へ学びに行くとか、職務や職能を拡大するために色々な経験を積むといった行動を、当事者意識を持って取り組める仕組みを作っていくことが、究極の人事の役割だと思っています。
自分の成長にのめり込む
石山:私は社会人大学院で教員をしています。そこでは決められたことを教わるのではなく、各自が抱いている問題関心を、慣れ親しんだ組織、環境から越境して、教員を含め異なる価値観を持つ他者と一緒に、あれやこれや工夫しながら追究しています。その中で、自分を客観的に見ることができたり、価値観がひっくり返るような混乱に陥ったり、答えのないモヤモヤを長期間考え続けなければいけないといったことが起こります。それを乗り越えるには自己を俯瞰して、その枠組みを拡げざるを得ないことが起こり得ます。それが外で学ぶ醍醐味の一つであると思っています。
慶應MCC の学びは基本を大切にしていると思っています。守破離で言うところの守の部分。それは、異なる経験や価値観を持つビジネスパーソンが学び合うときの共通言語として機能していて、ひいては既存の型を破って発展する「破」や、個性や独創性を発揮する「離」の段階へと発展していく。
慶應MCC は、そのような自分の成長にのめり込むことができる場であってほしいですね。
石山 恒貴(いしやま・のぶたか)
法政大学大学院政策創造研究科 教授
慶應MCC担当プログラム
ジョブ・クラフティング
一橋大学社会学部卒業、産業能率大学大学院経営情報学研究科修士課程修了、法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程修了、博士(政策学)。NEC、GE、米系ライフサイエンス会社を経て、現職。越境的学習、キャリア形成、人的資源管理、タレントマネジメント等が研究領域。経営行動科学学会優秀研究賞(JAASアワード)(2020)、人材育成学会論文賞(2018)、日本の人事部「HRアワード2022、2023」書籍部門最優秀賞受賞。
日本キャリアデザイン学会副会長、人材育成学会常任理事、Asia Pacific Business Review (Taylor & Francis) Regional Editor、日本女性学習財団理事、フリーランス協会アドバイザリーボード、専門社会調査士等。
花田 光世(はなだ・みつよ)
慶應義塾大学名誉教授
一般社団法人キャリアアドバイザー協議会代表理事
慶應MCC担当プログラム
キャリアアドバイザー養成講座
キャリアアドバイザー養成講座<アドバンス>
組織版キャリアコンサルティング指導者育成プログラム
南カリフォルニア大学Ph.D.-Distinction(組織社会学)。産業能率大学教授、同大学国際経営研究所所長を経て、1990年より慶應義塾大学総合政策学部教授。1999年に同大学SFCにキャリアリソースラボを設立し、人事、企業内教育、キャリア、キャリア支援領域を専門に活動。最近はキャリア自律プログラムの実践、Learning Organization の組織風土づくり、キャリアドバイザーを中心としたキャリア支援型の組織づくりを勢力的に行う。
人材育成学会副会長、産業組織心理学会理事などの学会活動に加えて、キャリアアドバイザー協議会代表理事。厚労省のキャリア政策全般を取り扱う委員会の座長などの活動を通して、国のキャリア政策、企業・個人のキャリア支援活動に従事。企業の社外取締役、指名報酬委員会などの活動にも従事。
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